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ダメージディーラー  作者: 広森千林
真章 血
23/31

二 人は忘れていく生き物

 三駅分の距離を走ること三十分。ようやく見えてきた我が家の前に、人影をひとつ見つけた。腕時計を見ると、午前零時前だ。両親は就寝の準備に入っているころだろう。

 ある程度近づいた所で人影の正体が分かり、僕は自分の住む家を素通りすることにした。

 人影が、関わり合いになりたくない人物だったからに他ならない。

「どこに行くのかしら? まだランニングを続けるの?」

 数歩ほど通り過ぎた頃に、声が掛かる。見逃してくれるはずもなく、僕はしぶしぶ立ち止まった。

「なんでここにいるんだよ?」

 愛想のかけらもなく、問い返す。

「私の声、聞こえなかったのかしら?」

 質問に質問でかえし、さらに質問が続く。もはや会話とは言えないひどい状況だ。

 僕を待ち伏せしていたのは、DD333。ある意味、因縁のある少女だ。

「なんだっけ? 忘れた」

 そっけなく答える。

「本部に来いって言ったんだけど。そんな忘れっぽくてよくリードが務まるわね」

「家に先回りしてたって事は、無視されるのが分かってたんだろ?」

「まあ、ね」

 特徴的なツインテールをなびかせて、僕につめよってくる。

「いい? ナナさまの前で、二度とあんな事言わないで。次は殺すわよ」

「前じゃなきゃいいんだな? 後ろとか、インカムごしとか──」

 僕の屁理屈にキレた彼女は、顔めがけて回し蹴りを繰り出してくる。ジーンズだから、色気も何もあったものじゃない。

 僕はあえて動かない。避ける動作もしない。ギリギリで止まるだろうと思っていたからだ。その予想が外れた場合、僕の命は無くなる恐れもあったけれど、こういった予想は外れない。仕事上のつきあいだけとはいえ、一年以上同じ地区で仕事をしてきたのだ。このくらいは、たとえ分かりたくない相手であっても、分かってしまう。

 予想通り、333は片足立ちで器用に立ち、蹴り足は僕の顔の数センチ先で止まっている。

「次は止めないわよ」

「そんなこと言っていいのかな。あれ、いつのまにか僕の携帯にAM2との通話画面がでているぞ」

 僕のわざとらしい声につられて、333の目が僕の携帯を持つ手に向かう。あとワンタップで通話状態になる状態だ。だが、視線をはずした一瞬があれば、今の僕には十分だ。携帯を持った手は動かさず、333が自身を支えている片足に素早く足払いをきめる。

 きゃっ! という、可愛らしい悲鳴をあげて、333は尻餅をついた。

 顔をあげた333の目の前には、僕の持つスピアの切っ先。形勢逆転である。

 こんな簡単な事が、一年前の僕には出来なかった。今なら……糸川を救う事ができただろうか。

 戻る術のない過去に思いをはせ、その意味のない、たられば論に苦笑いを浮かべてしまった。いまだにあの後悔から解放されたいと思っている自分の心の弱さにあきれてしまう。

「むかつく」

 頬を膨らませ、僕を睨みながら333がつぶやく。さきに手……というか、足を出してきたのはそっちなんだから、そう言うなよ。

 別に333を怨んでいる訳ではないし、憎んでもいない。一年前のあの時の333は、DDのリードとして職務を全うしただけなのだから。僕の心に残っているのは、自分の無力さへの後悔だけだ。

「悪かったな。ちょっとやりすぎた、ごめん」

 僕はスピアを引っ込め、逆の手を差し出す。333は僕の手を無視して、ひとりで立ち上がってしまった。まあ、そうなるか。

 さて、どうやって機嫌をとろうかと考える。これ以上、家の前で揉めるわけにはいかないわけで。思案していると、333がホコリを払いながら先に口を開いた。

「用件はもうひとつ」

 まだ何かあるのか? 目の前の我が家がとても遠く感じられた。

「いい加減、私の番号とメアド、登録しなさい」

 携帯を僕に差し出しながら、そんな命令をされた。前に交換したお互いの個人情報を、すぐさまデリートしたのだが、なぜその事を知っているのか問いただしたい気持ちをグッと我慢する。

 まあ……あの当時は、わだかまりが心のどこかに残っていたからなぁ。年月は、恨みつらみ、悲しみをも風化させてくれる。人は忘れていく生き物と、誰かが言っていた気がする。あながち間違った見解ではないな、と思った。

 これ以上ここに居座られても困るので、改めて333の個人情報を僕の携帯に登録する。それで多少は気が晴れたのか、表情が少し和らいでいた。だが、捨て台詞は忘れない。

「次は油断しないわよ。夜道には気をつけることね」

 そう言って立ち去ろうとする333──ひいらぎかすみの後ろ姿に、一瞬目眩がする。

 今は、もう真夜中だ。こんな時間に、仮にも女子である333をひとりで帰らせていいのか。

 糸川を見送った時の記憶が鮮明に蘇り、胃液が戻ってくるのを必死で押さえる。人は忘れていく生き物……でも体は──忘れてはくれない。

「お前ん家、遠いのか?」

 歩きかけていた333が立ち止まる。

「……なに? まさか心配でもしてくれてるの?」

「…………」

 どう答えていいものか返答に困ってしまった。333は心底あきれた表情で口を開く。

「……バカじゃないの。まぐれで一回勝ったくらいで調子にのらないで。私があんたにした事、なあなあで済ませられる事じゃないはずよ」

 お互いに、初めて会った一年前を邂逅する。下っ端のDDと、リードと。今はお互いにリード同士。

「あのあと……僕のスピアを抜きに戻ってきてくれたって聞いたけれど」

「だ、誰によ! 誰もいな……」

 慌てて口を閉ざす333。

「誰もいなかった? なぜ帰った奴が、その後の事を知ってるんだか。あと、こんな噂もちょっと前に聞いたな。管理者になるから処分を見送ってほしいって名乗り出た少女がいるとかなんとか」

 元DD222,現AM2を名乗る七草という男からの情報だが、教えてやるものか。

「……ねつ造にもほどがあるわね。バカバカしい。とりあえず、私の心配なんて百年早い!」

 そう言うと、早足で立ち去っていった。

 小さくなっていく333の姿が、一瞬糸川の背中に見えて、僕は身震いした。僕が一生背負っていく過去。目を背けない。逸らさないと決めた過去。

 もう一度333の姿を見ようと視線を上げたが、彼女の姿はもう見えなかった。

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