一 喧嘩と殺し合い
「DD222よりOC、V発見、MCをたのむ」
「OC了解。OCよりMC。一〇五七出口より出動後、SV、並びにAMの指示にしたがってください」
「MC了解。MC11(エムシーダブルワン)よりSV。周辺の道路の封鎖ならびに目撃者の人数確認、確保の指示をお願いします」
「SV55(エスブイダブルファイブ)了解した。現場に近いAMは急行し、必要人員、車両数の報告と──」
僕の発信した声の後を受けて、いつも通りのやりとりがインカム上で続いている。
聞き飽きた声、聞き飽きたやり取り。それらを聞き流し、目標に近づいていく。
閑静な住宅街の暗く細い夜道、ひとけはない。あと三歩の距離で後ろから声をかける。
「こんばんは」
まだ二十代と思われる若い男が立ち止まり、振り返る。
「なに?」
不審な目を僕に向けて、用件を聞いてきた。
「血を吸われたのがいつか覚えていますか?」
僕の唐突な質問に、男はまゆをひそめ、聞き返してくる。
「なんの事をいっているんだ?」
血を吸われたという事の重大性に気づいていない場合、たいていはこういった反応が返ってくる。まだ赤目になって間もない感じか。血への渇望期がまだ来ていないなら、自覚がないのも仕方のない話だ。
「お兄さん。太陽が怖くないですか?」
太陽という単語を口にしたとたん、男の表情がこわばった。
「なんだ……お前……?」
不審の目を僕に向ける。当然か。
「悪いけど、同行してもらいますね。おとなしくしてくれれば、苦しい思いはさせません。後のことは知りませんけど」
僕の言葉の途中で、男は逃げるための行動に移った。僕のいるほうとは逆方向に体の向きを変える初動を見て、男の足元に左足を差し出す。
男は僕の足に躓き、俯せに倒れた。間髪入れずにスピアをリュックから取り出し、体の真ん中、心臓めかげてそれ打ち込んだ。
男は苦悶の声を一瞬上げ、あとは声にならない苦痛に悶絶し、閑静な住宅街の道路の真ん中で荒い呼吸音だけが鳴り響いていた。人目に付かないように、リュックから灰色のビニールシートを取り出し、男にかぶせる。
どれだけ力やスピードが人間離れしていても、動き出す最初の動きは人とそれほど大きな違いはない。だから初動さえ見逃さなければ、アンプルを使うまでもなく逃走を防ぐ行動を先に起こせる。
もちろん、相手が逃げるとは限らない。しかし、大抵は赤目になってからの期間で予想することは出来る。何度も血を吸ってきた、赤目歴の長いやつほど好戦的だ。自身の力を熟知しているから、普通に逃げるよりも、敵を排除してから安全に逃げる事を選ぶ。
その見極めをするために、血を吸われたのはいつかと毎回聞いている。その反応で大抵は分かってしまうほどに、僕はこの一年、誰よりも多くのレプリカを捕獲してきた。
その結果が──証がDD222という、僕のもう一つの名前。リードの証であるダブルナンバーとトリプルナンバー。
さて、あとはメディカルセンターが来るまで、通行人が来ない事を祈るだけだ。今の時代、こんなあやしいビニールを見かけても、気にする人間は少ない。気になった奴がいたらいたで、メディカルセンターに引き渡して記憶を消してもらうだけなんだけど。
適度に通行人が来ないか見張っていると、突然、背後から拍手が聞こえてきた。
「お見事お見事。ははっ──俺の見る目は間違っちゃいなかったようだ」
あいかわらずというか……どうすればこれだけ完璧に気配を消せるのかと問いただしたくなる。
「よう、久しぶりだな」
そう声をかけてきたのは──元DD222、七草という名前の男。僕の前任者、という事になるのだろうか。今のヴァンピールブラッドでの彼の名前は、AM2(エーエムツー)。AMはエリアマネージャーの略だそうな。半年前にリードになった僕に押し上げられる形で昇格した。
「道路の封鎖とかは終わったんですか?」
「ちゃんと指示はしたさ。ここは誰も通らない。俺の美声を聞いてなかったのか?」
「報告のあとは、いつも聞き流しているもので」
にべもない僕の返事に、がっかりする仕草をするAM2。
「まったく、かわいげのない後輩になったもんだ……」
ふふ……こんな僕でも、後輩扱いしてくれるのか。少しだけうれしいが、もちろん表には出さない。
「そういえば、333がメールに返信がないってキレてたぜ?」
「仕事に関係のないメールにまで返信義務はないですから。なにか問題でも?」
「プライベートの話かよ。んなもん俺に愚痴るなよなぁ」
「あんたとしゃべる口実がほしかっただけでしょ」
僕のつっこみに、おそらくどこかで聞いていたであろう333の声がインカムを通して聞こえてきた。
「DD333よりDD222。あとで本部に来い! 以上!」
まったく……私信に使うなよ……。シフト入ってる奴みんな聞いてるんだぜ。
とはいえ、本来シフトに入っているのは333だったから、それを忘れて迂闊な発言をしてしまった僕が悪いとは思うけれど。
リードは各地区に二人。333と僕は交互にシフトを組まれているのだけど、僕はこの一年、シフトを無視して毎日見回りをしている。
一年前の──あんな思いをしたくないから。後悔はしたくないから。
AM2に目を向けると、なにやら耳元を指さしている。インカムの電源を切れって合図だ。仕方なく指示に従う。
「なんです? やっかいごとは勘弁してくださいよ」
「いや、なに。誰かさんのせいで現場はなれちまってさ。体がなまって仕方がねぇんだよ」
「すみませんね」
「そう思うならよ、ちょっと運動の相手してくれねぇかね」
「運動?」
思わず眉をしかめてしまう。嫌な予感しかしない。
「おう。久々に本気でケンカしようぜ」
予感的中だ。嫌な予感の的中率は限りなく百%に近い。でもまあ、これはこれで嫌な予感と言い切れるものでもないか。この一年でどこまでこの男に近づけたか、自分自身に興味が沸いていたところだったのだから、丁度いい機会だ。
「いいですよ」
僕は背負っていたリュックを降ろし、電柱の下に放り投げる。
「スピアを使ってもいいぜ」
「いりませんよ」
「いいねぇ。いい根性だ。そんななまくら根性、へし折ってやりたくなるねぇ」
いきなりAM2が僕に向かって来る。
正直なところ、余裕をかまして僕に先制させるだろうと思っていたから、虚を突かれる格好になったが、相手が七草だから油断はしていない。僕は素早く脳にリミットブレイクの指令を出す。リードに昇格した半年前あたりに、ようやく出来るようになったのだ。このおかげで、アンプルの使用量は激減した。野球という、別の物を失ったけれど。
AM2に教えられた、脳の抑制を無効化し、肉体の限界を超えた動きを可能にする。
当初は、肉体への負担のすさまじさに、使った後の数日は筋肉痛で身動きできなかったが、肉体を鍛え続ける事でようやく三ヶ月ほど前からリミットをはずした負荷にも普通に耐えられる肉体になった。
AM2も当然、リミットをはずした状態での攻撃を仕掛けてくる。一瞬で間合いを詰められていた。その勢いのままAM2の左手が僕の顔めがけて飛んでくるが、僕はしゃがんで避け、かわりに僕の左手をAM2の腹部めがけて突き出す。
当然のようにAM2は僕の攻撃を避け、体が入れ替わった瞬間に、背中を向けたまま攻撃を仕掛けてくる。後頭部に殺意の塊が近づいてくるのを知覚し、首をわずかに左に傾け、ギリギリでかわした。
というか。
「ちょっと待て!」
思わず声を荒げてしまう。
「なんだよ?」
「あんた、二回とも頭狙ったろ? 殺す気か!」
「ん? 駄目なのか?」
「ケンカと殺し合いは別でしょ!」
「命を賭けないケンカなんざ興味ねぇな。んなもんはただのじゃれあいだ」
まったく……どこまでもブレない人だ……。
「分かりましたよ。じゃあ、こっちも手加減しませんよ」
「へぇ。手加減する余裕があるとはね。生意気言うようになったじゃねぇか」
「おかげさまで」
今度は僕のほうから距離を縮める。AM2のクセのひとつ、後ろに下がる時の最初の一歩目は左足だ。だから僕はAM2の残っている右足めがけて自らの足をのばし、AM2の右足を踏み、これ以上後ろに下がらせないようにする。
次に僕は体を鎮めながら、両手の掌底をAM2の腹に突き出す。後ろに下がれない以上、かわしようがないはずだ。おそらく内蔵が破裂するだろうが、即死するような攻撃ではないから、アンプルで治療すれば問題ない。
指先がAM2の腹に触れた。それは、勝ちを確信した瞬間だった。
僕は手を止めた。
もちろん手加減だとか、情けとかではない。
僕自身の命の危機を体が関知したからだ。冷や汗が全身に一斉に吹き出す。
僕は手を伸ばした状態で固まったまま、眼球だけを動かして下を見る。
僕の顎の下にある、自身の両腕のわずかな隙間から見えるのは──AM2の左膝だった。
「惜しかったな。だが、いい動きだった。八十点くらいはやろう」
お互いに止まらなければ、AM2の腹に手が届く前に、僕の顎は腕ごと砕かれていただろう。
お互いに、でなないな。AM2が先に動きを止めなければ、か。AM2の膝が僕の顎を捉えた瞬間に、AM2の動きはもう止まっていた。その止まっている体に、僕は掌底を打ち込んで、勝った気でいたのだ。
AM2の膝が軽く僕の顎を小突き、僕は後ずさって踏んでいた足を解放してしまう。
「殺し合いとか言ってたくせに、最後に手加減とか……舐めてるんですか?」
精一杯に憎まれ口を叩く。本当にこれが精一杯の……見栄っ張りだ。
「くくっ。あれくらい言わないと、お前本気ださないだろ? とりあえずあとの二十点は、もっと無駄な動きを無くすことだな。ひとつひとつの動作にまだまだ余計な動きがある。もっと削れるはずだ。そうすれば、俺よりも先にヒットできただろうさ」
「…………」
「そろそろメディカルセンターが着く頃だ。遊びは終わりだ」
その言葉通り、救急車に偽装された車が二台、走り込んできた。中から数人が一斉に降りてきて、カバーで隠された赤目の回収作業が始まる。
まったく……甘いのはどっちだか。僕は手を止める気なんて、全く無かったのに。
すでに勝負が決まっていたから止めただけだ。僕がその事に気づかなかったら、どうするつもりだったのだろう。
……僕を信じていた、ということなのだろうか。
インカムの電源を入れ直し、回収作業を眺めていると、見慣れない娘がいることに気がついた。初めて見る顔だ。黒縁眼鏡をかけ、帽子を深くかぶっているからはっきり顔は見えなかったが、回収班とはなにげに顔なじみになっているから、雰囲気だけで僕の知らない人だと気づく。
そうだよな。DDだけじゃなく、メディカルセンターでも人間の入れ替えはあって然るべきだ。
これから世話になるし、挨拶でもと近づこうとした時に、AM2が僕の肩を持って止める。
「なんです?」
僕の不審な目を気にする風もなく、AM2は口を開く。
「浮気は駄目だな〜。春夏ちゃんにチクるぜ?」
「なっ……なに言ってんです! あ、挨拶しようとした、した、だけじゃないですか!」
なぜ動揺しているのか自分でもよく分からない。というか、この場で春夏の名前を出すのは反則だろう。僕のもっとも大きな弱点なのだから。
「お前ぐらいなもんだな。他の部署と仲良くやってんのは。評判いいぜ? お前さ」
「いがみ合う理由が僕にはないですから」
「本当にそれだけか?」
急にAM2の目つきが険しくなる。
「……他に何が?」
「ふふん。だったらいいけどよ」
確かに……それだけではない。メディカルセンターの人間と少しでも仲良くなって、レプリカの処理方法とか、僕達DDが関与していない部分の情報を聞き出したいというのがある。糸川がどうなったのか、いまだに確認を取れていないけれど、おそらくもうこの世にはいないだろう。
騒動当日の一年前、本部に押しかけた時も門前払いだった。せめて、どうやって処分されたのか、それくらいは知っておきたいと思ったのだ。
とはいえ、本当にそれだけの為という訳でもなく、年の近い人も多いし、仲良くなる事自体が元々好きというのもある。
新人なら、口が軽そうだなと一瞬思ったが、そこはさすがAM2といったところか。本当に抜け目がない。
僕は声をかけるのを諦め、地面に残った血の処理も終わったのを見届けてから、AM2に声をかけた。
「僕はそろそろ帰ります」
「車で送ってやろうか?」
「いえ。もっと鍛えないといけないと痛感させられたので、走って帰ります」
「ははっ、そうかい。春夏ちゃんによろしくな」
またその名前を出す……。リード以上には聞かれているかもしれないのだから、やめてくれ。
軽くAM2を睨んでから、僕はひとり帰路についた。




