十 責任の所在
慌ただしい足音が複数聞こえる。
視界は真っ暗。
いや、違うか。
目を閉じていたから暗いだけ。
なぜ目を閉じている? 答えは簡単だ。
現実を見たくないから。受け入れたくないから。
何度も気を失って、痛みで意識が戻っての繰り返しで、毎回目を開くのが億劫になったというのもあるかもしれない。
何にしても、今の僕には何もできないのだから、再び意識を失うのを待つだけだ。
次第に足音が無くなっていき、車の音も遠ざかっていった。残ったのは、静寂のみ。
「さて、と」
女の声がする。誰だっけ。
「それじゃあ、私もそろそろ帰るわね。フフ……アンプルが切れるまでに誰かに発見されるといいわね。明日の朝刊を楽しみにしているわ。じゃあねっ」
そんな陽気な声と共に、足音が遠ざかる。
僕は心臓、両手、両足をスピアで貫かれ、大の字になって地面に縛りつけられているのだ。この状態でアンプルが切れて人間に戻ったら、即死だろう。ヴァンパイアの血が僕をかろうじて生きながらえさせているだけなのだから。
アンプルを使ってからどれだけ経過しただろう。僕の命は……あとどれだけもつのだろう。
協力してくれた男と、ミイラ化した糸川は回収されてしまった。そして、このまま僕も死ねば、自動的に春夏も処分対象になってしまう。
結局僕は何も出来なかった。何も、誰も守れなかった。自分の無力さをこれほど憎く感じたことは無いと断言できる。無力は罪だと思い知らされた。だから、今のこの僕の状態はその罪に相応しい……罰だ。
………………。
………………。
………………。
記憶が飛んだ。また意識を失ってしまったようだ。どれだけ時間を失っただろう。この贖罪の時間は、あとどれだけ残っている? あと何分たてば、この罪悪感から解放されるのだろうか。今はもう、時計を早送りしたい気持ちでいっぱいだ。
「よう。元気そうじゃねーか」
……声?
聞き覚えのある声だ。誰の声だっけ。いや、幻聴だろうか。こんな人気のない場所に、僕の知っている人が来るはずないし。いよいよ最後の時……か。
「お兄ちゃん!」
その声は、声だけは、聞き間違えたりしないし、分からないはずがない。春夏の声なのだから。
「離して!」
「おとなしくしてろ。何見ても冷静でいるって約束で連れてきてやったんだ。落ち着け」
「でも! ……でも……お兄ちゃんが……」
「勝手に助けるな。これは、こいつ自身の問題だ。自分で勝手に考えて、決めて、行動して、そして得た結果がこれだ。生きるか死ぬかも、こいつ自身が決める事なんだよ」
「……そんなっ……」
僕は目を開き、声のほうに首を傾ける。必死に僕の所に来ようとする春夏と、春夏の腕を掴んで行かせないようにしている222の姿が見えた。
「や……め……ろ……」
僕は必死で声をしぼりだす。やめろ。春夏を泣かすな。
「ほら、ちゃんと生きてるだろ? とりあえず落ち着けよ。話が終わってからだ」
春夏がいるし、名前で呼んだほうがいいか。
「ナナ……さ……ん……」
「元気そうでなによりだ。質問だ。あのレプリカの男は、偶然見つけたのがビンゴだったのか? それとも、見覚えがあったのか?」
「きの……う……みか……け……た……」
「なぜ、その時に処分しなかった? シフト外でも、報告くらいは出来たはずだ。それをしなかった結果、今回友達が犠牲になった。自分の甘さを痛感できたか? それとも、まだ懲りてねぇか?」
……全部僕のせいだ。僕の自覚が足らなかった結果だ。だから、最小限に抑えたかった。自分の手で、責任を取りたかった。
でも……無理だった。不可能だった。僕はあまりにも、無知で、無力すぎたから。
「お前が選べる選択肢は二つだけだ。このまま死んで、管理対象も死ぬ。お前が生きるなら、管理対象も生きることができる。友達の死を受け入れて生きるか、罪悪感のない自らの死を選ぶか、好きな方を選べ。早く選ばないとアンプルが切れるぜ」
春夏の事だとばれないように、あえて管理対象という言葉をつかってくれている。
ははっ……この人は本当にブレないな。
普通、こんな場面をある程度想定してやって来たのなら、まずは助けてから会話だろう。こっちは声を出すのも必死だというのに。助けるか、見捨てるかを本人にまかせるとか、意味が分からない。
「なぜ333を相手に躊躇した? さっさと殺しちまえば、お前の計画通りに事は進んだんだろう? 人間だからか? 違うか。人間ではないレプリカさえも、おまえは組織から隠そうとしていたんだもんなぁ」
さすがリードさま。やはりインカムで聞かれていたか。そして、知っていても、あえて助けない。邪魔もしない。いいな……そこまで自分に迷い無く行動できたら、僕でもこんな目には遭わなかったかもしれないと思うと、心底うらやましいと思ってしまう。
でも、僕は僕だ。今までも、これからも。
きっと、この先も、誰も救えないのだろう。だったら、もういっそのこと、このまま死んで糸川が寂しくないようについていってやるのが、糸川へのせめてもの償いになるだろうか。
そんな事を考えてると、突然心臓に激痛が走り、うめき声をだしてしまう。見ると、222が僕の胸に刺さっているスピアを踏みつけて、ぐりぐりと回している。この状況でまだ追い打ちしますか!
「おらぁ、まだ声だせるじゃねえか! なに全部諦めた顔してんだよ! マジで殺すぞ!」
いやいや……わざわざ手を出さなくても、ほっとけば死にますって。
「春夏を……お願い……できません……か?」
痛みのおかげで少しだけ思考がクリーンになった。春夏の事まではまだ諦めていない。春夏だけは……生きてほしい。
「断る」
まあ、予想通りの答えではあるから、特に驚きも無い。
だったら、最初と同じだ。選択の余地が無い。僕が生きるしか、春夏が生きる術がないのなら……僕は死ねない!
「くっくっ。いい目になったじゃねぇか。だが、まだ違うな。生きる事を選択する以上は、もう二度と逃げるな。怨み、憎しみを恐れるな。全部自分の中で消化しろ。殺すことでしか前に進めない仕事なんだと、頭だけじゃなく、体にたたき込め。またこんな思いをしたくなかったら、人だろうが赤目だろうが、躊躇せず殺せ。そのためのカードを俺もお前も持っているんだから。責任を……責任だけを妹に押しつけるな」
押しつけてなどいない!
ただ、いろいろな物から逃げた結果が今の僕だ。また逃げたら、きっとまた同じ結果になるだけだろう。価値観を変える恐怖に打ち勝たないと、春夏を守れないという現実が、今になってやっと実感できた。
僕は糸川を守れなかった。あのレプリカの男を守れなかった。その現実から目を背けるな、か。難しいけれど……つらいけれど、それを背負って生きていこう。心が壊れるまで、殺し続けよう。邪魔な物全てを。
それで春夏が生きる事が出来るのな……ら……。
あれ……?
なにか……違う……。
ああ……そうか……そういうことか。
は……ははっ。
僕は、痛みも忘れて、笑みを浮かべてしまった。
春夏を守るため……そんな口実に僕は隠れていただけだったのか。
このままだったら、全部春夏が背負う事になるじゃないか。僕が背負わないといけない物なのに。
春夏の為にお金を稼ぐ。
春夏のためにレプリカを捕獲する。
その僕の行動原理を春夏は知らない。
自分の命が、僕次第だという事を知らないのに、結果だけがどんどん積み重なっていく。僕を通り越して、春夏に。
それはつまり、責任を全部春夏に押しつけていただけじゃないか。
「やっと気づいたか?」
自分の価値観で、自分で決めて、他の命を取り扱う。殺すのも殺さないのも自分の決断次第。そのための魔法のカードか……いまさらながらに222の言葉が心に染みこんでいく。涙が出るのを僕は止めることが出来なかった。
「僕を……助けてください」
全ての気力を使って、途切れることなく言葉をはき出した。
その瞬間、僕を地面に縛りつけるスピアが引き抜かれていく。
「よく言った」
最後のスピアを僕の心臓から引き抜く222の顔は、暗くてはっきり見えなかったけれど、どこかうれしそうな、そんな笑みが見えた気がした。
自由になって起き上がった僕に春夏が抱きついてきて、せっかく起き上がりかけていた僕は再び地面に倒れ込んでしまった。
なにか前に、この逆のパターンを体験したような、していないような。
僕の胸の中にすっぽりおさまる小柄な春夏は、いままで我慢していた感情を全部はき出すように、声をあげて泣いていた。
「ごめん」
「いや」
「ごめん」
「いや……許さない」
曖昧に、ただあやまるだけの僕に、春夏は許してはくれないようだ。それでも僕には、謝ることしか出来なかった。春夏の大切な友達を……守ってやれなかったのだから、それでいい。許されようなんて、虫が良すぎる話だ。
「私を……おいてかないでよ……」
「ごめん……」
春夏の頭に手をのせ、かるく撫でる。春夏が泣いている時にやってしまうクセだ。222に見られているのを思い出し、たまらなく恥ずかしくなってあわてて上半身を起こして春夏を引き離す。きっと、僕をからかう材料を見つけたと、ほくそ笑んでいるに違いない。
「あれ……?」
僕に無理矢理起こされた春夏が呆然としている。
そこに──222の姿は無かった。




