七 幸せな時間
カフェで僕のお金でケーキを食べたあと、本格的に買い物モードになった。ショッピングモール内をしばらく無言で歩いていると、突然糸川が立ち止まった。下着専門店の前である。なんの罰ゲームだ、これは?
「さすがに中に入れとは言わないわよ」
ふふふ、と薄笑いを浮かべながら糸川が言う。外で待っててと言い残して糸川と春夏が店に入っていく。さすがに中に入る勇気もないし、仕方なく近辺をブラブラすることにした。
現在二階にいる僕は、すこし歩いた先にあった吹き抜けになっているフロアから一階を見下ろし、さっきまでの赤目探しを再開する。222が寝たふりをしながら簡単に見つけた距離よりは短いわけで、この位で発見できないようでは、永遠に222に勝つどころか、追いつく事も出来ないだろう。
しかしまあ、全ての人を一人も見逃さずに確認するというのは、慣れてしまえばそれなりに出来るものだ。見つけることが出来る出来ないはまた別として、だが。
焦る必要はない。ゆっくりでも慣れていけばいいんだ。野球と一緒で、昨日今日始めた人間がいきなりレギュラーになれるほど簡単なものじゃない。
五分ほど経過した頃だろうか。四十代位の男に目がとまる。人混みの中だからこそ違和感に気づけたのかもしれない。他の人達との微かな違いだ。微かに……目に残光を見た。見えた。
普通の目を数多く見慣れた中で、ソレを見ると違和感を覚える。その違和感を確かめるために、僕は急いでエスカレーターに向かって駆けだし、そのままの勢いで駆け下りる。
一階につくと、特徴として覚えた白のシャツにカーキ色のズボンを探す。男の進行方向とかかった時間を元に、向かった先で見つけることが出来た。
早足で男を追い抜き、少し距離に余裕ができた所で逆行を始める。すれ違う瞬間の一瞬だけ、男の目に集中し、はっきりと確認する事が出来た。部屋で見た春夏と同じ目……その目は間違いなく赤目と呼ばれるヴァンパイアだ。
見つけたとはいえ、今は武器も通信手段も持ち合わせていないから何も出来ないんだけどね。今は見つけるための方法というか、コツみたいなものを感じる事が出来た事がうれしかった。やっとスタートラインにたどり着けただけだけど、それでもスタートできるようになったのは大きな事だと思う。そこに立たなければ、何も始まらないのだから。
しかし、改めて思う。血に飢えていない状態では、本当に普通の、どこにでもいる男だ。子供もいるのかもしれない。それを思うと、やはり躊躇してしまいそうになる自分に気づく。
僕に……222のように非情になりきることが出来るのだろうか。すれ違った赤目をもう一度見ようと振り返ったが、人混みに紛れて見失ってしまった。今日がシフト外でよかったという安堵感と、そしてそんな自分の心の弱さに改めてとまどってしまう。こんなので本当に春夏を守ってやれるのか。
「おーい」
上から声がする。見上げると、糸川と春夏が二階から僕を見下ろしていた。あわてて二階に戻ると、さっそく怒られる。
「あんたは数分も待っとけないのか! ガキ!」
ひどい言われようである。だいたい、数分じゃなく数十分だし。
「じっとしてるの、嫌いなんだよ」
「これだからスポーツマンは……もうずっと走っとけ」
「マラソンには興味ねぇ。てか、そろそろ帰らないとまずくないのか? 九時まわってるぞ」
「あー、うん。そうだね。今度は家にお泊まりいくよ! そしたらゆっくりできるしね」
「くんな」
「あんたは西出のとこにでも泊めてもらいなさい! 夜這いされそうだし」
「誰がお前なんかを襲うか!」
心外にもほどがある。どれだけ野蛮人て思われてるんだよ、僕は。
「ガタイはでっかいのに小心者ね〜」
「どうしてほしいんだよ、お前は」
まったく……。
春夏も顔を赤らめてうつむいたままになってしまった。
「ほら、バカな事いってないで、帰るぞ」
ここで言い合っていても仕方がないので、帰宅を促す。
「糸川はここが地元だっけか。どうしよ……家まで送ってけばいいか?」
学生がうろうろしていい時間じゃないし、ひとりで夜道を帰らせる訳にはいかないしな。
「徒歩十分くらいだし、ひとりで大丈夫よ。あんたは春夏をしっかり守ってなさい」
今の春夏は僕よりも遙かに強い……とは言えないしなぁ。
「私は遅くなっても平気だよ。あぶないから家の前まで一緒に行こうよ」
春夏の提案に、しかし糸川は首を振る。
「地元人間なめるでない。何年往復してる道だと思ってるのよ。だーいじょうぶだって」
僕にしても、春夏にしても、最近の赤目がらみの事を体験してるだけに、過剰に心配しているだけかもしれない。治安はいいほうなんだよな、この街は。
「なんかあったら電話しろよ。そんな余裕なかったら、大声だせよ」
「子供扱いすな!」
糸川のチョップが僕の頭にクリーンヒットする。痛い。
話しているうちにショッピングモールの出入り口に来ていた。
「じゃ、そんなわけで、今日はごちそうさま! またね!」
「おう」
「またね、美絵」
手を振りながら、駅とは反対方向に歩いていく糸川を見送り、見えなくなったところで僕と春夏は駅の方にむかって歩き出した。
「私みたいな例はほんとに例外だよね。そうそう吸血鬼さんがいるとは思えないし」
春夏の言葉に、さっきの赤目の男の顔が一瞬ちらついたが、血の渇望期でなければ害はないし、確率でいえば、心配するレベルではない。
「うん。それに、あいつはお前と違って強いしな。昨日も顔蹴られたし」
「あはは。美絵らしいよね。素直じゃないの」
「素直?」
「私のライバルなんだよ〜」
「ライバル? なんの話だ?」
「なーいしょ」
またそれか。言う気がないなら、最初から言うなよなぁ。気になるじゃないか。
「ねね」
「ん?」
「また、腕組んでいい?」
「…………」
いやまあ、嬉しくはあるけどさ……さっきは糸川がいたからまだよかったけど、いざ二人っきりの状況だと、さすがに恥ずかしいといいますか……。
僕が躊躇していると、すぐにフォローをいれてくる。
「冗談冗談。言ってみたかっただけ」
あはは、と笑ってごまかす春夏。
ほんと……なさけないな、僕は。血のつながりとか、家族とか、そんな目に見えない物にこだわって、ずっと壁をつくって接してきた。その壁を、春夏が壊そうとしてくれているのに、肝心の僕が尻込みしていたら、何も変わらないままだ。
変わりたくない……そんな想いが強いのも事実だ。変わりたくないというか、変わるのが怖い、か。
その一歩を踏み出してしまったら、もう後戻りできない……今までのように話せなくなるんじゃないかという恐怖。
本当に、見えない敵を相手に何を戦っているんだろう、僕は。
春夏と僕の身に起きた今回の事は、その変わるはずの無かった関係を変えるチャンスなのかもしれない、なんて考えもしたけれど、変えた先に何があるのか、先を考えるとやっぱり怖くなってしまう。
怖い?
何を恐れる必要があるんだ。
春夏を失いかけた恐怖。
あれに勝る恐怖などあるものか。
春夏は僕の隣にいてくれる。これからも、ずっと。僕が守るって決めたじゃないか。
だったら……。
「あっ……」
春夏が驚いて声をだした。
僕は春夏の手をつかみ、前を向いたまま無言で歩き続ける。もちろん、春夏の顔……反応を見る勇気がないだけだ。それでも、今の僕にできる精一杯は、手を繋ぐこと。
少しでも嫌そうな素振りが見えたらすぐに離すつもりだったが、そんなこともなく、むしろ逆に春夏が僕の手を強く握りかえしてきてくれた。
今、この時が止まればいいのにと、本気で願った、そんな幸せな時間だった。




