六 両手に花
駅に隣接するショッピングモールの水時計前で僕と春夏は待ちぼうけをくらっていた。言い出しっぺのくせに、十五分ほど遅れると糸川から連絡があったのだ。罰として何をおごらせるか考える。夕食はもう済ませてきたから、デザート系になるだろうが、春夏はともかく、僕がパフェとかケーキを食べている姿は自分でも想像できない。けっきょくジュースだけで終わってしまいそうだ。
柱にもたれながら、絶えることのない人波の全ての目を見る。今日はシフトに入っていない日だから、もし赤目を見つけてしまっても、何も出来ない。ただ、見つけるための訓練としてやっているだけだ。
別に昨日の222に触発されて、やる気になったって訳ではない。むしろ、その逆というか、反骨心というか。222に出来る事が僕に出来ないのが納得できないから、出来るように努力する。超えるために努力する。
超えたらどうなるんだと問われれば、特に答えられる物は持ち合わせてはいないのだけど。いわゆる自己満足ってやつだ。
222の言っていた事はある意味正解で、反論したくても僕程度の頭じゃ思いつかなくて。結局従わなければいけないという現実は変わらないんだ。
だからって、それでは終わりたくない。僕もリードになって、222に追いついて、そしていつか追い越して、その上で改めて聞いてみたいんだ。
強くなった。これでもまだ、僕には守る力はないか、と。
もちろん答えは分かっている。きっと、無いと答えられるだろう。しょせん一人の力。何千といるDDやオリジナルを敵にして、何も出来ないと僕自身も分かっている。
これは僕のただの意地。負けず嫌いなだけの意地。
昨日からほとんど寝る事も出来ず、必死で考えて、答えを探して、模索して、でも結局なにも答えは出なかった。誰も殺さずに丸く収まる方法なんて、有りはしない。それを再認識しただけだった。そうなると、あとの問題は、僕が何の怨みもない、ただの被害者を殺す事ができるのか。
春夏が襲われた時には、たしかに僕は殺意をもった。でもあれは、憎しみが心を満たしていたから。心底、憎かったから。
ところが、そんな憎しみが無い相手には、僕はまったくもって無力だった。行動力という点で。躊躇した。無理だと思った。
でも、誰かがしないと終わらない事なんだとも思い知らされた。終わらせないといけない事も。
それならば、もう逃げる訳にはいかない。受け止めるしかない。怨まれずに済まそうなんて、甘い考えは捨てて、出来る限り憎まれて怨まれて、それを一生背負っていく。それ以外に選択肢はないんだ。
だから、出来る事は全部やる。222と同じ土俵に上がるために、妥協は出来ない。
とまあ、格好いい言葉を並べてみても、昨日今日ですぐどうにかなるものでもなく、やはり明るい中で赤い瞳を見つけ出すのは難しい。
「だーれだ?」
突然視界が黒くなり、左右の耳に同時に異なる二つの声が聞こえた。
僕は柱にもたれている状態で、その柱も直径一メートルは超えているから後ろから僕の視界を隠す事は物理的に不可能だ。ひとりならば。では、ふたりなら?
「小さいのと大きいのだな」
僕の答えに不満だったのか、今度は異なる言葉が左右から聞こえる。
「大きいとか、何を差しているのかしら? セクハラだと思うんだけど」
と右から。
「まだまだ成長途中ですから!」
と左から。
まあ、ふたりでなら、後ろに柱があっても目隠し出来るわな。
「くだんねーことしてないで、さっさと手をどけろ」
視界が明るくなる。
「あんたに大きいとか言われたくないわよ、でくの坊!」
べーっ! と舌をだしているのは、遅れて来た事をまるで無かったかのように振る舞う糸川である。スルーなどさせるものか。
「遅れた罰として、なにかおごれよ」
「女子にお金ださせるとか、最低な男よね、春夏」
「う……うん!」
春夏がしぶしぶといった感じに同意する。
「もぅ、春夏は翔に甘い! 厳しくしないとこいつのためにならないわよ!」
なんで妹にまで厳しい躾をされなきゃいけないんだよ。
苦笑いをする春夏をよそに、糸川はマイペースである。
「さ、ちょっと時間押しちゃったけど、買い物いこっ!」
と、さっさと歩き出してしまう。春夏があわててついて行くさまは、親鳥に必死について行くヒヨコのようで、鳥の尻尾ヘアの今の春夏にはある意味ピッタリなシチュエーションだ。
今日の僕は、護衛役なので、ふたりより少し後ろからついて行く。特に会話にまざろうとは思わない。というか、ガールズトークというものは、まったくもって苦手というか、そこもそも男が聞いて楽しいものでもないしな。女の本音とか、聞きたくない!
特にいま繰り広げられている会話はひどいものだ。
「美絵はいいよね〜胸おっきくって」
「そんなことないわよ。夏場とか、胸のしたは汗びっしょりだし、けっして清潔とは言い難いわよ!」
そんな会話……男の夢を壊すような事を言うんじゃねえ! 女子の胸には男の夢だとかロマンがいっぱいつまっているんだよ! それを、この女は……。絶対何かおごらせてやる。
「おい、愚兄」
糸川が僕を呼ぶ。いや、愚兄が僕である証拠はないから、返事をすれば逆にそれを認めてしまうことになるわけで、あえて無視しよう。
「花籠翔という名の愚兄」
この女……ケンカなら買うぞ。
「なんだよ」
「そんな後ろにいないで、横に並びなさいよ。道広いんだし」
「僕はただのボディーガードなので、畏れ多くて近づけません」
「自分の身くらい自分で守るわよ。ぐだぐだ言ってないで春夏の横に来なさい」
自分で守れるとか、どこからそんな自信がでてくるんだよ。僕だってそれなりに力には自信あったけど、ごく最近打ちのめされたばっかりだというのに。
とまあ、ここで意地を張ってても仕方ないし、追いついて春夏の隣に並んで歩く。糸川と春夏は腕組んでやがる。たのむからレズの道には進まないでくれよ、春夏。
「両手に花のチャンス!」
糸川が意味不明な発言をしたかと思うと、中央に挟まれて歩く春夏が僕の右腕に手を掛けてきた。
「えへへっ。美男美女ひとりじめ!」
春夏がうれしそうに言う。
僕が美男とは到底思えないが、まあ春夏がそう思ってくれるのならありがたい話なのだから、あえて否定はしないでおこう。糸川の発言なら、確実におちょくられているだけだと確信できるけど。
しかし、変な気分だな。それなりに距離感の近い兄妹である自覚はあったけど、手を繋いだり、腕を組んだりとかはさすがに無かった訳で、いきなりのこの腕組みシチュエーションはドキドキしてしまう。はずかしいから、やはりうしろに戻ろうと思う心と、この時間が終わらなければいいのにと思う心が喧嘩している。
そんな葛藤を知ってか知らずか、女子ふたりのトークは尽きず、僕だけが無言のまま、建物の突き当たりにあるアミューズメントフロアにやってきた。大量のUFOキャッチャーにプリクラ、大型ゲーム媒体にコインゲーム。
腕を組んだ状態のままプリクラコーナーに突入し、撮影会が始まった。こういうの苦手なんだよなぁ……。尻込みする僕を強引に中に引きずり込み、慣れた女子ふたりによってどんどん設定が進められていく。なんだよ、美白モードとかなんとか。日焼けモードとかもあるのだろうか。
「お兄ちゃんと撮るの、はじめてだよね」
「プリクラ自体が初めてなわけだが」
「あらあら、私はお邪魔かしら? ふたりで撮る?」
糸川がニヤニヤしながら冷やかしてくる。
「うっせぇ。なんでもいいからさっさと終わらせろ」
「へいへい」
糸川が開始ボタンらしき物を押すと、突然機械から指示の嵐が始まった。上を見て〜はいポーズ! とか、次は下のカメラだよー! とか。そのあまりのテンポの良さに考える余裕もなく、ふたりに合わせるように適当にポーズをとって撮影が続いていく。時には女子ふたりに殴られてみたり、蹴られてみたり、羽交い締めにされたり……なんだこの罰ゲーム。僕の方から何かしようものならセクハラ扱いされるのがオチなんだろうな。世の中、男女不平等だ。
「次、最後!」
糸川が叫ぶと、春夏を僕のほうに突き飛ばして、外に出て行ってしまった。僕はというと、小さな悲鳴をあげて倒れかかる春夏を受け止めて、ヴァンピールブラッドの病室らしき場所で抱きついてしまった時の事をふと思い出し、赤面してしまう。春夏と目があった瞬間にパシャリと最後の撮影が終わった。
「糸川あああ!」
「美絵!」
僕と春夏が照れ隠しに同時に叫ぶが、糸川は何食わぬ顔でカーテンをずらし、
「ほら、編集編集」
と、次の作業を促すだけ。まったく……なにがしたいんだよ、こいつは。
撮った写真のデコレーションに夢中になっているふたりを放置して、僕は少しはなれた場所にあるガンシューティングゲームの所に行き、お金を投入する。襲ってくるゾンビや怪物を両手にかかえる銃で倒していくオーソドックスなゲームだ。
敵が現れたら画面の標準を手に持つ銃で合わせ、トリガーを引く。ただただ撃って撃って撃ちまくる。なかなかに爽快感があり、ストレス解消にこういったゲームも需要は有り続けるのかな、なんて考えていると、攻撃を食らってHPが減ってしまった。
改めて集中してゾンビを撃退していく。倒しても倒しても沸いてくるゾンビ。こういったゾンビ系も、もとは人間がゾンビ化したという設定だよな。ゾンビ化したら、同じ人間に殺されるんだな。昔なら、たかがゲームの設定じゃないかと割り切るどころか、そんな考えも持たなかっただろう。
今僕がしている仕事は、このゲームと同じ事。元は人間で、しかも普段は普通に人として暮らしている。数週間に一度、血がほしくなり、理性がなくなるだけの、元はただの、どこにでもいる人間。
それを探して、心臓にスピアを突き刺して捕獲し、メディカルセンターに引き渡す。そのあと、どうやって処分されているのかは教えてくれない。
DD222は言う。見て見ぬ振りして、放置していれば、いずれみんなヴァンパイア化してしまうと。このゲームのような世界になってしまう。でも、それはいけないことなのだろうか。理性のないゾンビと違って、ちゃんと普通に生きていけるんだ。会話もできるし、腕を組んで並んで歩くことだって出来る。
………。
駄目だな……やっぱりまだ割り切れない。
見て見ぬ振りすることで、新たな被害者がでるだろうと言われれば何も言い返せないけれど、だからといって殺意の持ちようもない無関係の元人間を殺すことに、納得しきれない自分がもどかしくもあり、なさけなくもあり。
ふと意識をゲームに戻すと、一面のボスらしきゾンビが現れた。それは、少女の格好をしたゾンビ。無表情な白い顔。それがいきなり飛びかかってくる。僕は慌てて標準を合わせトリガーを引くために指に力を入れようとした瞬間、後ろから春夏の声が聞こえた。画面のゾンビが一瞬、春夏とダブって見えて、トリガーを引くことが出来ず、みるみるうちにHPゲージが減っていく。
何も出来ないまま、ゲームオーバーという文字が表示され、コンティニューを促すカウントダウンが始まる。
「なになに、おもしろそうじゃない。私にもやらせてよ」
糸川が興味をもったようで、お金を出す準備をしている。
「駄目だ」
反射的にきつく答えてしまった。そんな自分の声に、我に返る。僕はただゲームをやっていただけだ。誰も殺していない。
なのになぜこんなにも胸が苦しいのだろう。
「お兄ちゃん……?」
怪訝な表情の糸川の後ろから、心配そうに春夏が声をかけてくる。ゲームに入り込みすぎているといえば、それまでだけど……。現実とかけ離れていると思っていたゲームの世界が、意外と身近な事に気づいてしまったゆえか。知らなければよかった世界。
もう、後戻りは出来ないんだ。
銃の形のコントローラーを置き、立ち去ろうと振り向いた時に、糸川の指先が僕の眉間を差す。
「な……なに?」
素で驚いてしまったので、リアクションも素で返してしまった。
「最近ここにシワよりすぎてるよ〜。わからなくもないけどさ……あんまりひとりで抱え込まないほうがいいよ」
心の中を覗かれたような錯覚に陥って、ドキリとする。
「ここはひとつ、私に何かおごってですな。嫌なこともパーと忘れて盛大に無駄遣いを!」
結局それが狙いかよ。
「いいだろう。じゃあ、ちょっとしたゲームをしよう」
「ゲーム?」
僕はアミューズメントフロアを出て、通路の長椅子に腰掛ける。糸川に隣に座るように促し、財布から千円札を一枚取り出す。
「ここに一枚のお札があります」
「あるわね。くれるの?」
「これからするゲームに勝てば、これはお前のものだ」
「ほうほう。して、そのゲームとは」
僕は手でジャンケンのチョキの形をつくり、お札を指の間に入れる。
「僕がお札を落としたら、お前は指二本でキャッチするんだ」
「?」
糸川が首を傾げる。
「とりあえず、チョキの形にして手を出せ」
言われるままに糸川が手を差し出す。その指の間に千円札を入れる。
「僕が手を離した瞬間に指を閉じて落ちないように受け取るんだ。僕が離す前に閉じたらフライングで負け。それだけだ。ちゃんとキャッチできたら、この千円はお前の物だ」
「ほうほう! そんな簡単なので本当にいいの?」
食いついてきた。ふっふっふ。表情にださないように、心の中でほくそ笑む。
「その代わり、キャッチできずに下に落ちたら、逆にお前におごってもらうぞ」
「いいわよ! この勝負、買った!」
「よし、じゃあ、準備はいいか? いつ手を離すかわからないぜ?」
「よし、こい!」
糸川がチョキの形の自らの手を睨み付ける。あとは、僕がどのタイミングでお札を手放すか。だが、そんな難しい駆け引きやタイミングなんてどうでもいいのだ。
なぜならば……。
僕は特に何も考えず、軽い気持ちでお札を手放す。
そのお札の動きに反応して糸川の二本の指が閉じられていく。お札を掴むために。
そしてお札は……迫ってくる指をあざ笑うかのようにすり抜け、椅子に落ちていった。
「…………」
黙って見ていた春夏もふくめて、不気味な沈黙が数秒訪れる。
糸川にしてみれば、こんな簡単そうな事ができなくて、なぜ失敗したのか自己分析でもしているのだろう。春夏は僕と糸川のリアクション待ちといったところか。
僕はと言えば……当然、勝利の余韻に浸っているのである。
なんというか、結果はやるまえから分かっていたんだけどね。
単純なからくりだ。お札が落ちるのを目で確認し、その情報が脳に届き、次に脳が指先に閉じる動きを命令する。その命令が指先に到達するスピードでは、普通の人間の運動神経では絶対に間に合わないのだ。
ちなみに、お札の一番下に指を置けば、人によっては受け取れるから、念には念を入れて、お札の半分の位置を指の間にいれるのが確実に勝つためのコツだ。
「さて、糸川さん」
「……はい……」
男勝りの勝ち気な糸川も、さすがにこの現実を受け入れざるを得ない状況に、声が小さい。学生にとっては、たかが千円、されど千円。
「ゴチになります!」
言葉もなく、椅子に座ったまま固まる糸川。いまの姿を写メにでもとって家宝にしたいくらい、いい絵だ。そんな不謹慎極まりない事を考えている僕に、春夏が声をかける。
「ねね、お兄ちゃん。私にもやらせてっ」
む? なんのつもりだ? 敵討ち的なものだろうか?
「いいけど……賭けはなしでやるか?」
「賭けてもいいよ」
ほう。相変わらず、体の小ささに比例しない怖い物知らずな度胸だ。
「よし、じゃあ手をだして」
僕の右に座る春夏が右手を差し出す。人差し指と中指がしっかり開いているのを確認して、間にお札をもっていく。
今回は少しためて、じらす作戦でいく。一分ほど、無言の戦いを繰り広げ、おもむろにお札を投下する。
お札はさっきとかわらぬスピードで自由落下に入り、春夏の指先をするりと……すり抜けるはずが、春夏の指はお札を真ん中付近でキャッチしていた。ギリギリどころか、僕が手を離した瞬間にキャッチしている。ほんの数ミリしか落ちていない……。
「やったぁ!」
満面の笑みを浮かべる春夏と、固まる僕。
僕は重大な見落としをしていた事に気づいた。このゲームで勝つポイントは、あくまでも『普通の人間』の反射神経を前提としたものだ。そして、春夏はといえば、その『普通の人間』の定義からはずれているではないか。ヴァンパイア……赤目のレプリカ。反射神経も人間を超越してて当然じゃないか。
「美絵、これで帳消しだよ! なに食べよっか?」
僕の千円札を握りしめて勝利宣言する春夏。
「愛してるわよー! 春夏!」
春夏に抱きつく糸川。
僕の千円が……。
今度は僕がさっきまでの糸川の状態になってしまった。




