四 初仕事
庭で素振りをするという口実で家を抜け出し、ナナさんとの合流地点に小走りに向かう。背負っているリュックサックには、アンプル二本と、武器となる鉄の棒、スピア。左腕にはカードケースをつけて、中にはIDカードを入れる。
夕食の後すぐに動いたから、脇腹が少し痛い。
十分ほど経過した頃に、合流場所のコンビニが見えてきた。店の前の駐車場には、昼間乗せてもらった赤い車が見えた。少し早めに来たつもりだが、ナナさんはもっと早くにきているようだ。
意外と几帳面な人なのだろうか。
というか、車があるのだから、家の前まで迎えに来てくれてもいいじゃないかとも思うのだが。
僕は車の窓を軽くノックする。
間髪入れずにドアが上に開く。相変わらず、違和感がハンパない。
「早かったじゃないか。意外と几帳面なんだな」
そっくりそのまま返したい言葉ではあったが、ここはスルーすることにした。
ナナさんを見ると、肉まんをほおばっている。
これまた以外な庶民的一面。
「暑いだろ? 乗れよ」
催促されるままに、助手席のほうに回り込み、乗り込む。
車内は涼しくて快適だ。汗が一気にひいていく。
ナナさんはといえば、肉まんの残りを一気に口に放り込み、コーヒーで流し込んでいる。
「よし。少し早いが、始めるか」
「はい」
「なんだよ、おとなしいな。緊張してんのか?」
「そりゃあ、緊張くらいしますよ」
まあ、最初は実戦を見せてもらうだけだから、多少気楽ではあるけれど。
ナナさんがギアのシフトチェンジを行いながら車が動き出す。
「そういえば、オートマじゃないんですね。ギアチェンジとか、初めて見ました」
「オートマなんざ、退屈すぎて寝ちまうよ。ギアを自分で操って加速する瞬間が最高に気持ちいいんだよ」
「はあ……そういうもんですか」
「そういうもんだ」
昼間の加速が脳裏に刻み込まれているから、つい警戒してしまったが、思いのほか静かなスタートだった。信号もちゃんと守っている。
十分ほど走ったところで、繁華街の駅前に到着した。客待ちしている沢山のタクシーが並ぶ乗り場の反対側に車を停め、エンジンを切る。
「ここからなら、駅から出てくる奴の顔を全部確認できる。あとは、決められた時間までのんびり見張ってるだけの簡単なお仕事、さ」
「いや、けっこう距離ありますよ……? この距離で何が分かるんです?」
僕の問いに、無関心そうに答えが返ってきた。
「特徴をもう忘れたのか? お前はあれか。三歩歩けば忘れるっていう動物」
ひどい言われようだ。
「外見で判断できるのって、赤い目くらいじゃないんですか?」
「だったら、その赤い目を探せばいいんだよ」
「いやだから、距離がですね……」
「ぐだぐだうっせー奴だな。見えないってんなら双眼鏡でも買ってこい」
ひどい投げっぷりだ。
そもそも、こんな駅前の明るい場所で、あの赤い瞳を見つけるなんて不可能だろう。街灯の少ない暗がりでは、はっきりと確認できたけれど、そういう場所でなければ多少赤いかな? という程度でしか認識できない。
試しに先日、春夏にコンタクトを取ってもらったけれど、部屋の灯りの下では、ほとんど判別できない程度だった。電気を消した瞬間には、はっきりと光り輝く赤い瞳を確認する事ができたけれど。
そんなものをこの環境で探せとか……無茶ぶりもいいとこだ。
「今日は333(トリプルスリー)の担当で、本来俺は休みなんでな。俺は寝とくから見つけたら起こしてくれ」
そう言いつつ、シートを後ろに下げて本当に寝る体勢に入ってしまった。
よく親と上司は選べないというのを聞くが、まさに僕は今、上司に恵まれなかったという状況なのだろうか。333とはどんな人だろう。
すでに寝息が聞こえてきた。どこののび太くんですか。
こうなっては、僕ひとりで何とかするしかないわけで、かといって今から双眼鏡を買いに行く訳にもいかず。
僕は腹をくくり、必死に目を見開いて、絶え間なく駅から出てくる人波の目を凝視し続けることにした。
最初は人の多さに、全ての人の顔の確認さえも出来ずにチェック漏れが多数発生してしまったが、十分くらいした頃には、全ての人の顔を見逃すこともなく、確実に目で追えるようになっている自分に気がついた。やればできるもんだ。
しかし、やはりこの明るい状況で赤い目を見つけるというのはやはり僕には無理な気がした。ひとりですることになったら、駅前で待ち合わせを装って近くから見える位置をキープするしかなさそうだ。もともと車とか持ってるわけじゃないから、こんな涼しい環境なんてはじめから無いのが前提なんだし、問題ないさ。
……しかし目が疲れる。予想していたよりも過酷な仕事かもしれない。こんなの肉体労働ではなく、眼球労働だ。
ポジティブに考えれば、動体視力を鍛える訓練にはいいかもしれないけれど。
とまあ、僕なりに一時間ほど必死で目を酷使した時だった。横から唐突に声がした。
「いたな。ついてこい」
もちろん声の主はナナさんなわけで。寝言だろうか? と一瞬思ったが、普通に目が開いている。僕の返事も待たずに車からさっさと出て行ってしまった。
僕はあわてて後に続き、駆け寄る。
「どこ行くんですか?」
「いたっつってんだろ。仕事しに行くんだよ」
「いた?」
まさかレプリカ? 寝てたいたのに、どうやって見つけたのだろう?
「お前ひとりにまかせる訳ねぇだろ」
寝たふりをしていたのか。最初から無理だと思われていたという訳で、だったら最初から一緒に探してくれてればよかったのに……。いじわるなのか、なんなのか。
僕はナナさんの後ろを歩きながら、誰の後を追っているのだろうと目をこらす。
四人ほどが前方を歩いている。男が三に女が一。
五分ほど歩いたところで女が脇道にそれていった。
ナナさんは、男三人には目もくれず、女の入っていった小道に入っていった。
「いまならひとけがない。サッサと終わらすなら今がチャンスだぜ。やってみな」
ナナさんが小声で僕に声をかける。
「えっと……アンプルを使って、それから鉄の棒、スピアを伸ばして、えと、それから……」
いきなりで、少し焦ってしまっている。心の準備が全く出来ていないぞ。
「今なら気づかれてないんだから、アンプルなんざ必要ないだろうが。なんでも血にたよるな。そっと近づいて、スピアで心臓をサクっと刺してくりゃいいんだよ」
「あ、はい」
なるほど。確かに、今は無防備だ。これならヴァンパイア化する必要は無さそうだ。
僕は背負っているリュックサックからスピアの元になる白い鉄製の棒を一本とりだし、ふたたびリュックを背負う。
「お前なぁ……もうちょい出し入れしやすいように工夫しろよ。ちょっと改造すりゃ出来るだろ。いちいちチャック開けて出し入れしてたら、間に合わない時だってあるぞ」
そういうのは事前にちゃんと教えて下さいよ……。
僕は手にした白い鉄製の棒の下のほうについているボタンを押す。すると、十五センチほどの棒は一瞬で一メートルほどの、先端の尖った立派な槍、スピアに早変わりした。
あとは、これを心臓めがけて……。
…………。
めがけて……あれ?
「あの……僕はまだ確認できてないんですが、あの人が本当にレプリカなんですか?」
「信用できないなら、前に回り込んで確認してくればいいだろ」
ああ、そうか。脇道にはいってから街灯も少なくて暗くなっているから、前から見れば簡単に確認できる。
僕はスピアを元の十五センチの小さな棒に戻し、歩くスピードを上げて十メートルほど先を歩く女を一気に追い越し、さらに距離をとって、怪しまれないように一瞬だけ後ろを振り向く。
その一瞬で十分だった。ナナさんの言うとおり、その目は赤く、紅く輝いていた。
そしてその顔もはっきりと脳裏に刻み込まれた。二十才前後だろうと思われる、まだ幼い顔立ちの女性。大学生くらいだろうか。
普通に生活をしている、ただの女の人。
どこにでもいる、女という性別の、人間の外見。
ただ、中身が違うというだけ。人間ではないというだけ。夜しか出歩けないというだけ。
それを……殺す?
その時になって、ようやく頭の奥にひっかかっていた物が何か分かった。
僕に与えられた仕事は……春夏と同じ目にあった被害者を殺すこと。
なんだ、これ。
これほどひどい身内びいきも無い。同じ立場なのに、妹は守って、他人は殺す?
僕は無意識のうちに立ち止まっていたようで、追い越した女性が僕を訝しげに見ながら追い越していった。しばらくしてナナさんも追いつき、僕の肩に手を置いた。
「何ぼーっとしてんだよ。確認できたんだろ? 次に何するか覚えてるか?」
ナナさんの声がひどく遠くに聞こえる。考えがまとまらない。
いや……考えたくない、が正解かもしれない。脳が考える事を放棄してしまっているような感覚。
「フフ……まあ、誰もが最初にぶち当たる壁だわな。とりあえず今日はおとなしく見学だけしとけ」
そう言いながらナナさんは次の行動に出ていた。
「DD222よりOC。V発見。MCをよこせ」
直に聞こえる声と、インカムから聞こえる声が反響して脳に響く。考える事を放棄している脳に、無理矢理活動再開を促すかのように。
そして……僕の目は見てしまった。まさに一瞬の出来事。
ナナさん……DD222が女性との距離を一瞬で詰め、背後からスピアで心臓を貫き、地面にその切っ先を突き刺した。女性は声を出す隙も与えられず、苦悶の表情で苦しんでいる。その赤い目が春夏とダブって見えて。
見えてしまって。
僕は背負っているリュックからアンプルを一本取り出すと、躊躇無く自らの首の後ろに添え、ボタンを押した。チクっと痛みが走り、全身に異物が駆け回る感覚に寒気がする。
知らぬ間に過呼吸気味になっていた息も整い、全身の神経、感覚がとぎすまされていくのを自覚した。降ろしたリュックを背負いなおすことはせず、すぐ下に降ろす。
僕は222との距離を一瞬で詰め、不意打ちを仕掛ける。とりあえず背中に体当たりをして、吹っ飛んでもらおう。ある程度加減すれば死ぬことはないはずだ。その隙にスピアを抜き、女性と一緒に逃げよう。その後の事なんて今は考える余裕はない。
だが、僕の浅はかな計画は、スタート位置につくことさえも許されなかった。
僕の体当たりを222はあっさりと躱し、僕を睨み付ける。その眼光の鋭さに一瞬ひるむ。
「なんのつもりだ、てめぇ。アンプルを使ったな? 訓練の時に言ったよな? それはなるべく使うなと」
その言葉とともに、最初の訓練時に言われた言葉が記憶に蘇る。




