二 魔法のカード
正直なところ、僕は222という男を侮っていた。
僕は今、222の車の助手席に乗っている。僕が右で222が左。
おかしいな……普通、助手席は左だよね。おかしい。
乗っている車は赤いカラーリング。黄色のバックに黒い馬のシルエットのロゴ。これはいわゆる、フェラーリというものではないだろうか。
乗る時にドアが上に開いたのは、ある意味衝撃的だった。ドアといえば、手前に引くものか、横にスライドさせるものだろう。なんで上なんだ。ありえない。
と、密かに興奮していたのだが、悟られまいとがんばって平静を装っているのが現状である。こういう車って、すごく高いイメージがあるのだけど、怖くて値段を聞く勇気も無い。へたに聞いてしまったら、もう一生この人に頭が上がらない気がして。
車内はよく知らない洋楽が流れ、そのリズムにあわせて222がノリノリで運転している。
「そう固くなりなさんな。何食いたい? なんでもおごってやるぜ」
彫像のように座席で固まってしまっていた僕に、222が声をかけてくる。
「なんでもいいです」
萎縮しまくって、そう答えるのがやっとだ。試合にでるより緊張するって、どんな状況だろう。
「なんでもいいってことは、好き嫌いがないのか。偉いじゃないか」
すごく子供扱いされている。そんなに年離れてないと思うんだけどなぁ。
ふと、どこまで個人情報を提示してくれるのか、興味がわいたので聞いてみた。
「あの、222はおいくつなんですか?」
僕の質問に、222は普通に返してきた。
「ん? 十八だな。ピチピチの大学一年生だ」
「名前とか聞いたら、教えてくれるんですか?」
「七草だ。勤務中以外はナナって呼んでくれればいい。みんなそう呼んでる」
ナナとか、見た目とギャップありすぎなんですが。なんでそんなかわいいあだ名を受け入れてるんだ。嫌じゃないのかな。というか、
「個人情報だだ漏れじゃないですか!」
思わずつっこんでしまう。
「前も言ったろ? ルールは破るためにあるんだよ」
そう言いながらニヤリと笑う。無茶苦茶すぎる。
「みんながルールを無視したら、秩序が保てないじゃないですか? そんなんで組織としてやっていけるんですか?」
「自分で正しい判断が出来ない奴はルールに従っていればいいんだよ。俺は自分が正しいと思う事を前提に生きている。守る価値のあるルールかどうか、俺が決める、それだけだ。勝手に作られたルール上で生きてて何が楽しいんだ」
十八才でここまで達観できるものなのだろうか……。
ルールっていっても、たとえばスポーツなんかはルールが絶対で、破れば反則で即負けになるものだってある。222……ナナさんがいうルールはおそらくそういうのじゃなくて、生きる上での信条みたいなものなのだろうけど。
生きる上でのルール。物を盗まない。人を怪我させない、殺さない、そういった事だろうか?
「ナナさんは……ヴァンパイアは殺すけれど、人は殺さない、とかの線引きをしているんですか?」
「ん? 人だって必要であれば殺すぜ?」
「いやいやいやいや! 殺しちゃダメでしょ!」
「そうか? お前だってこないだ、殺す気だったろ?」
「それは……」
…………。
あれは……ヴァンパイアで……いや、でも……あの時はまだそんな事は知らなくて。「人」と認識しながら、僕は殺そうと思った。ただ、結果として返り討ちにあって実行出来なかっただけで、僕は確かにあの時……はっきりと殺意を持った。
「それでいいじゃないか。妹の仇だったわけだしよ。誰だって身近な人間が大切だろうし、それを奪われれば殺したくもなろうさ。法律なんてものが勝手に禁止してるだけで、目には目をってのは動物の本能って点から見れば至極当たり前な感情だ」
「それは……暴論だと思います」
「そうだな。法律があるから、弱い人間も生きる事ができるようになった。弱肉強食の世界で得するのは強い奴だけ。でもさ、おかしいと思わないか? 人を殺した奴が刑務所でのうのうと生きていて、数年後には社会復帰。被害者の関係者は心に一生の傷が残る。不公平だと思わないか?」
なんて答えたらいいんだろう。何が正しいかなんて、僕なんかにはとても判断できるわけもなく。
ナナさんの言葉を肯定すれば、それはつまり、あの時の自分の行動を正当化してしまうだけではないかと思えてしまうのだ。
「確かに被害者よりも加害者の人権のほうが尊重されすぎているというのはよくニュースで見たりはします。だからといって、そのまま仕返しっていうのもなにか違う気もします。あの時は僕も我を失っていたというか、反省すべき事ですけど……」
「だからそれはお前の考えじゃなくて、法律というものに縛られている、依存しているってだけだろう? なぜ疑問に思わない? 戻らない命、数年で自由の加害者。自分の身内に置き換えて、冷静でいられるのか? 人権だのなんだの言ってる偽善者の言葉を鵜呑みにするのか?」
「…………」
「たとえば、法律を超越する事が出来たら、お前はどうする?」
「言っている意味が分かりません」
「もし、人を殺してもお咎めが来ない魔法があったら、お前はどう使う?」
なんで突然魔法とか、似合わない言葉を使うんだ、この人は……。
「お前はもう、その魔法を使えるんだぜ」
「とりあえずナナさんはファンタジー物が好きというのは分かりました」
まじめに聞いて損した。からかわれていただけか。
落胆する僕をよそに、涼しい顔のままナナさんは続ける。
「よし、少しドライブを楽しんでから飯にするか」
ナナさんはそう言うと、無言で走りだし、しばらくすると高速道路の入り口である料金所に到着した。少しスピードをゆるめてETCレーンを通過。どこに向かっているのだろう? そんな疑問が一瞬頭をよぎった時だった。突然、強いGを感じる。ナナさんが思い切りアクセルを踏み込んだのだ。
「えええええええぇぇぇええええええぇぇぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇぇぇぇぇ」
思わず悲鳴とも苦情とも分からない声をあげてしまう。
それでもナナさんは構わず追い越しレーンの車を躱しながらどんどん加速していく。スピード表示をおそるおそる見ると……二百……二百二十……二百五十……まだまだ数字が上がっている。
あれ? 高速道路って百キロくらいで走るものじゃなかったっけ?
加速は止まらず、ついに表示は三百キロに到達してしまった。
景色の流れ方がもはや常軌を逸している。
ああ……僕はここで死ぬのか。
このスピードで事故ったら、苦しまずに即死できるだろう。
こんなことなら、先においしい物を食べさせてもらえば良かったな。
うーん、我ながら、しょうもない悔いだ。もっとあるだろ! 甲子園行きたかったとか!
……どんなに考えてもその程度。自信の人生のしょぼさが再確認されて、泣けてくる。いざ目の前に死が迫ってくると、何も思いつかないものだな。それならば、もっと事前に後悔しそうな事を考えておくべきだったか。
というか、僕はこんな所で死ねない! 僕がいなくなれば、それは春夏の人生の終わりでもあるんだ。
「と、とりあえず、ス、スピードを、落として……ください!」
必死にしぼりだした声に、しかしナナさんは鼻歌まじりにさらに加速する。
「心配しなさんな。死なせやしないって」
信用できないから言ってるんですけど! 駄目だ、車がトラウマになりそうだ!
「そいやお前、なんかあだ名ってある?」
今の状態に全く似つかわしくない質問がやってくる。
「妹と区別するために、普段は名前で呼ばれてます!」
やけくそに答える。
「そうか。確か翔だったか。いい名前じゃないか」
「名前はいいんで、とりあえずスピードをですね……」
「なんだ、もっと上げてほしいのか? それならそうと早く言ってくれよ。これでも遠慮してたんだ」
はい? ちょっと何いってるか分かりません。
そしてさらに加速。
「あの……家族にさようならの電話をしてもいいですか」
「なんだ、どっか旅行でも行くのか?」
ナナさんがこっちに顔を向ける。ますます僕は慌てる状況になってしまった。
「お願いだからせめて前だけはしっかり見ててください!」
本当に、何の罰だよ! 部活さぼった罰かそれは僕の意思じゃないぞ!
「ほら、そろそろドライブも終了だ」
ナナさんのその声が、本当に神様の声に聞こえた瞬間だった。生き延びた!
おそるおそる前を見てみると、かなり先ではあるが、パトカーが数台待ちかまえているのが見えた。バリケードのようなもので道もふさがれている。
確かにこの無謀なドライブも終了のようだ。
ナナさんは車をゆっくり減速させ、警官達が待ちかまえる場所でピタリと止まる。
どうなるのだろう? 逮捕されるのだろうか? 免許のない僕には、いまいち分からないけれど、スピード違反である事だけは分かる。
というか、これだけの警官に囲まれている状況が怖すぎる。みんないまにも殴りかかってきそうな怖い人相で僕とナナさんを睨んでいる。
あの……僕は無罪です。むしろ被害者なわけで。
「おい、出てこい」
警官のひとりが近づいてきて、ドアをノックする。
次のナナさんの言葉を聞いた瞬間に、僕はこの場からすぐに消え去りたいと本気で思った。
「おいおい、きたねぇ手で触るんじゃねぇよ」
窓を開けながら、そんな言葉を言いはなったのだ。この人、どこまで無敵なんだ……。
「調子に乗るなよ、坊主。免停だけじゃすまねぇぞ」
「はははっ。そいつぁ、楽しみだな。カツ丼でもおごってくれるのかい?」
ナナさんの挑発じみた発言に、警官の顔がどんどん赤くなっていく。
ああ……どうか僕には無関係でありますように。
「とりあえず出てこい! こっちの車の中で話を聞く!」
「断る」
「ナナさん、言う事聞きましょうよ! ね! お願いだから!」
思わず口をはさんでしまった。警官と一瞬目が合い、震え上がる。怖い! 身を乗り出していた僕の顔をナナさんは右手で押しのける。
「あんた、ここの連中のトップかい?」
突然ナナさんがよくわからない質問を警官にした。
「そうだが、それがどうした」
「そうかい。これを知ってる階級だと、手間が省けてありがたいんだが、どうかねぇ」
ナナさんは、うっすら笑みを浮かべたまま、ジーンズの後ろのポケットから財布を取り出し、中に入っていたカードを一枚手に取る。そのカードは見覚えがある。僕も持っているから。ヴァンピールブラッドの身分証ともいうべきIDカードだ。建物の出入りや、勤務中の同士討ちを避けるための物と聞いた。だから常に持ち歩いておけ、と。
ナナさんがそのカードをドアの所に仁王立ちしている警官に見せる。見せてどうなるというのだ? 組織の事自体、秘密じゃないの? そんな事をしても鼻で笑われるのがオチだ。
なのに。
警官は表情を一変し、目を見開いたかと思うと、突然ナナさんに敬礼した。
「失礼しました! おい! バリケードをどけろ!」
バリケードの所に待機していた警官達があわててその指示に従い、道が開けていく。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした!」
さっきまでの高圧的な態度とはまさに正反対な態度で、頭を深々と下げる。
いったいなにが起こったのか、さっぱり分からない。
「いいっていいって。勤勉でよろしい。暑い中ご苦労さん」
そう言うと、ナナさんは窓を閉め、再び車は動き出した。
警官達の横を通り過ぎる時に、みんな納得しかねるといった顔だった。
「あの……何がどうなってるんですか……?」
僕の質問に、ナナさんはIDカードを僕にも見せる。いや、だからそれは僕も持ってますってば。
「魔法のカード、さ」
また魔法とか。
「ま、冗談はさておき。こいつを持つって事はさ、日本もそうだが、世界中の法律を無効にできる……そういう立場にある事を証明する物なんだよ」
「法律を無効……?」
「そ。今の警官の態度で分かったろ? こいつを見たとたんに、解放された。本来なら有り得ない事だ。つまり、ちゃんと国家規模で認められている組織なんだよ。法律外に生きる事をゆるされた組織。それを証明するカード」
それって……さっき言ってた、人を殺してもお咎めがないという話に繋がるのだろうか。
「お前は、自分で正しいと思う事を、法律という物に縛られず、自らの意思で行動できるんだよ。でもそれは、逆に難しい事でもある。自分で決めた事なのだから、当然、誰にも責任転嫁できない。たとえ罪に問われなくとも、結果は自分自身に永遠について回る。その力をお前はどう使う?」
どう……使う?
どうって……そんなの、決まっている。僕は春夏を守りたいだけだ。
「ナナさんは、どう使っているんですか?」
「幅広く利用させてもらっている。必要なら人も殺す、さ」
静かに言うその言葉には、とても冗談とは思えない重みがあった。
自分の中ではとても重い決断だった、春夏の事。それが、とても軽はずみな決断だったのではないかという恐怖が突然頭を支配する。
僕はとんでもない組織の一員になってしまったのではないのか。僕なんかが持つには、あまりにも重すぎる、まさに権力。
何をしても許される。
いや。
許されない事も見逃される、無かったことにされる、そんな力。
僕は声を震わせながら、質問を続ける。
「……平気で人を殺せるんですか?」
「さっきも言ったよな。被害者と加害者の関係をよ。法律に守られる加害者に恨みを晴らしたい人間はたくさんいる。一生を棒に振るほどの高い金を用意する覚悟があるなら、代わりに怨みをはらしてやろうってな仕事もしてるもんでな。すでに何人か殺しているかもしれないぜ?」
「そんなの……新しい怨みを生むだけじゃないんですか……?」
「そうだな。否定はしない。誰かが我慢しなければ、怨みは続いていく。だからって、そんな正論で怨みを忘れるなんてこと、出来ると思うか? もしお前の妹や家族が殺されて、お前は許せるのか?」
………。
「もちろん法律による裁きで満足できる奴もいるだろうさ。それはそれでいいじゃないか。俺は推奨しているわけじゃない。ただ、我慢できない奴に、少しでも心の傷が軽くなるのなら、その手伝いをしてやろうってだけの事さ」
とても僕なんかが簡単に否定できるような事じゃない。僕が怖いのは……僕にも同じ事ができるという、その事実。僕自身で決めて、それを背負う覚悟。
そんなもの……僕はまだ持っていない。
「勘違いするなよ。お前に人殺しを推奨しているわけじゃない。ただ、そういう力、権力を手に入れたという自覚を持てってだけの話だ。実行するしないはまた別の話だ。俺の場合は、そういった仕事もしないと自分の満足できる生活が出来なかったってだけだからな」
とてもじゃないが、今すぐ出せる答えなんて何も持ち合わせていないわけで。
数年の年の差なのに、自分がとてもちっぽけな人間に思えた。




