一 DD222
「平和だねぇ」
西出の声がする。
「平和だなぁ」
僕は中等部の校舎の屋上で横になり、うたたねモードで返す。
少し離れた場所で西出も寝そべっている。
今回は授業をさぼっている訳ではなく、すでに放課後である。土曜なので授業は午前中だけで終わっているのだ。さっさと部活に行けよって話はまあ置いておいて。
「春夏ちゃんは、元気にしてるのか?」
西出がやっと用件を切り出してきた。僕が学校に復帰し、春夏は体調の理由により転校という発表がされて、はや一週間。
日曜日の夜には、お別れ会と称してクラス総出でカラオケボックスの一番大きな部屋を借りきって歌いまくった。
一番仲のよかった糸川は泣いていたなぁ……。気が強い女だったから意外な一面を見たというか、鬼の目にも涙ってやつだろうか。
「元気だよ。日光にさえ当たらなければ、今までと何も変わらないさ」
「そっか」
こいつなりに、心配しているのか。春夏の事を好きってのも、まんざら冗談ではないようだ。応援はしないけど。
「なにか俺に出来る事ってあるか?」
そんな西出の提案も、ありがたくはあるが、関わってもらう訳にもいかない訳で。
「ない、な」
「そっか。あの事故がなかったら、春夏ちゃんの病気は発症してなかったのかな?」
「どうだろうな。原因とかはっきりしてない病気っぽいし、時期が偶然重なっただけだと思うけど。むしろ、事故の検査のおかげで早く発見できた、という可能性だってあるしな」
我ながら白々しい嘘を言えるもんだと思う。でも、現実におきかえた場合、病気であると認識しておくほうがなにかとやりやすい。それゆえに、こういう嘘にもすっかり慣れてしまった。
「いつか、治るといいな……」
「そうだな……」
治らない……治ることはないと分かっているからこそ、余計に虚しくなる問答。
もはや、人間ですらなくなった春夏。
今の状態を病気と捉えるならば、治るとはつまり、人間に戻るという事。今現在では、人間に戻る方法は無いというが、研究が進み、将来人間に戻る手段が発見されれば……これもまた虚しい希望的観測。
「あーっ、いたいたー!」
突然、西出以外の声が聞こえた。
小走りに近づいてくる声の主は、糸川美絵だ。寝そべっている僕の側で立ち止まる。そんな所で立ち止まられたら、見えてしまうではないか。
「パンツ見えるぞ」
僕の声に動じることなく、声が帰ってくる。
「短パンはいてるし」
「いや、だから、その短パンの隙間から縞っぽいものがだな……ぎゃ」
そこまで言ってやっと理解したようだ。そして、僕の顔を足で踏みつけてくる。
「見るな、変態兄貴!」
お前が勝手に見える位置に来たんだろうが……短パンという物にたよって油断したくせに、僕のせいかよ。理不尽な。
「春夏! あんたの兄貴にセクハラされたから殺していい?」
春夏? こんな昼間に外にいるはずないよな? と、糸川の足を払いのけて起き上がると、糸川は携帯電話を手にしていた。なんだ、電話かよ。
「よくここが分かったな」
「わかんないから春夏に電話して聞いたんでしょうが」
「さいですか。で、何か用?」
「あ、ちょっと待って。ごめん、春夏、見つかったから切るね。ありがと」
そういって携帯での通話を切り上げ、改めて僕に目を向ける。
「なんか校門のとこであんたを探してる男がいて、軽い騒ぎになってるわよ」
男? 誰だろう。
「軽い騒ぎってのは何?」
「なんか超格好よくってさ、噂を聞きつけた女子達がどんどん集まってるのよ」
面食いしかいないのかよ、この学校の女子は。というか、僕に用事のあるイケメン男て誰なんだ?
「おい、こっから見えるぞ。確かに女子共が群がっているな」
西出が校門の見える場所から下を見下ろして教えてくれた。僕も西出のいる場所に行き金網越しに下を見ると、そこにいたのは―222(トリプルツー)だった。
……なんで222がここにいるんだよ! プライベートの交流は禁止じゃないのか!
今日は見回りのシフトが組まれているけれど、あくまでも夜だけの仕事であって、昼間は関係ないはずだ。
「知ってる人?」
糸川が聞いてくる。
「ん、まあ知ってはいるけど……」
軽い目眩に襲われる。
……とりあえず、行かない訳にはいくまい。
「西出。もう用は済んだか?」
「ああ。すまんな、こんなとこに呼び出して」
「教室じゃ、春夏の話題はタブーになりつつあるからなぁ。みんな、気つかいすぎだっての」
僕への接し方も、腫れ物でも扱うかのごとく、みんなの気の使い方が辺に気味悪いったらありゃしない。別に死んだ訳ではないのに。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
「まさか喧嘩とかじゃないよな? それなら助太刀するぜ」
西出のありがたい言葉が胸にしみる。
「普通に知り合いだよ」
僕はそう返し、小走りで階段を駆け下り、校門に向かった。なぜか糸川もついてくる。
「なんだよ、お前も男前に興味あるのか?」
「ない女子のほうがおかしいでしょ」
しれっと本音を言う。確かにそうだ。
「誰かさんは妹に夢中だしさ」
ん? 誰のことだ?
とりあえず今は222の所に行くのが最優先だ。聞き流しておこう。
階段を降りきり、急いで校門に向かう。目視できる距離まで来て、さてなんと呼べばいいのか分からず、結局向こうに気づいてもらう距離まで行くしかないという。
というか……女子に囲まれすぎだろ! そこまでの男か? 同じ男の立場では、とても理解し難い。
「よう」
ようやく僕に気づいてくれたようで、サングラスを外しながら声をかけてくる。女子達の壁をかき分け、目の前に行く。
「何やってんすか、ここで!」
開口一番、思わず、怒鳴ってしまう。
「いやぁ、やっぱ女子の制服姿っていいよなーと思って、せっかくだからおしゃべりを堪能させてもらっていたところだ」
ダメだ、この人。いろんな意味で。頭を抱える僕に構うことなく、マイペースで続ける。
「飯は食ったか?」
「これから食おうと思ってたところです」
「なんだ、まだ授業あんの?」
「いえ、部活があるので」
「ああ。じゃあ、ちょっと今日はサボってくれよ」
全く意味が分からない。なんでサボらないといけないんだ……。
「ほら、今日初仕事だろ? 本部の場所教えといたほうがいいかなと思ってさ。案内してやるよ」
「仕事とか、ここで言わないで下さい!」
あわてて小声で止めるが、なかなかに手遅れ感が。守秘義務はどこにいった!
「と、とりあえず、外で待っててください!」
「へいへい」
ここで口論していても仕方がないし、とりあえず今日は従うしかないと判断せざるを得ない。
急いで顧問の先生に急用ができた事を告げて了承をとり、鞄をとりに教室に戻る。
授業をサボるのはなんの抵抗もないのに、部活をサボるのはものすごく抵抗がある。我ながら自分勝手極まりないものだ。
帰る準備をすませ、教室を出ようとすると、糸川が丁度戻ってきたところで、出入り口を塞がれてしまった。222の連絡先でも聞かれるのだろうかと思ったが、糸川は予想外の言葉を口にした。
「あんまりあんたと縁なさそうなお友達ね。この間の事故に関係ある人?」
不信感全開で答えにくい事を聞いてくれる。どうごまかしたものか。
「関係ないよ。いや、無くはないか。むしろ恩人なんだ。第一発見者というか、救急車の手配とかしてくれた人だ」
思いつく限り、一番しっくりきそうな返事をしてみた。まるっきり嘘って訳でもないしな。さて、信じてくれるか。
「あ、そうなんだ! なら、私もお礼言いたいな」
「なんでお前がお礼言うんだよ」
「だって、春夏とあんたの命の恩人なんでしょ? 大切な友達を助けてくれたんだから」
そりゃまあ、そうだが……。うーん、どうもやりにくいな。正直に言えないもどかしさが、なにかこう、心にもやもやしたものが残る。
「用事の内容は知らないけど、まあ悪い人じゃないよ。お礼とかはたぶん嫌がりそうな人だし」
「ふーん……そっか」
あっさり納得してくれた。助かるが、逆に不気味でもあるな。いつもの糸川らしくないというか。
「じゃあ、また来週な。ばいばい」
僕の別れの挨拶に、しかし糸川はまだ道を譲ろうとしなかった。
「明日、夜って予定ある?」
「明日?」
明日ね……部活はないし、ヴァンピールブラッドの仕事は基本的に土曜の夜だけだ。明日は特に何もないけれど……なんだ?
「予定は特に無いけど?」
「春夏と三人でさ、ショッピングにでも行かない? 八時くらいなら外に出られるのかな?」
「春夏の予定までは把握してないから、知らないぞ?」
「春夏には電話で聞いとく。じゃ、あんたはオッケーってことで話すすめとくわよ」
「おう」
その返事でようやく入り口を空けてくれた。なんなんだよ、僕がいなくても問題ないだろうに。
いやまあ、夜にしか遊べなくなったから、女の子だけじゃ危ないか。
そうなると僕は護衛役かよ。まぁ、いいけどさ。
小走りに校門まで戻ると、222は相変わらず女子達と談笑中だった。なんだろう、この脱力感は。




