第五話
私は、記憶喪失なのだそうだ。
医者であるというご老人は、私の頭にある傷も関係しているのだろうと言っていた。
……でも、正直どうでも良い。
実の親であるらしい鏡に映る私と似た女の人が静かに謝ってきたけれど、私に執着していた奴とよく似た『婚約者』の男から逃れるのならば。
目覚めたら、知らない場所にいた。
私は、日本の一般の庶民だったはずなのに。
どこにでもいるような、極普通のOLだったはずなのに。
普通じゃなかったところを敢えて挙げるのなら、一人の見目麗しい男に執着されていたことぐらい。ヒトに見えない少年が見えていたぐらい。
誰かに呼ばれたような気がしたから、瞼を開いた。そしたら伯爵令嬢だったなんて、本当に笑えない。
薪が燃える暖炉。
中世のような景色が見える窓。
そして、時折道を走る馬車に馬。
これが夢なら、早く目覚めてほしい。
☆
「…ごめんね、里紗……」
一人、呟く少年。
彼は、彼女がいる伯爵邸の真上に浮かんでいた。
魔法も魔術も呪術も。非科学的現象が存在しないこの世界で、普通の人間が空を飛ぶことはほぼ不可能である。まして、殆ど科学が進んでいない現状では。
でも、少年は空を漂う。
「君は、最期を忘れてしまっているんだね……。いや、君の精神が耐えられなかったのかな」
少年は、リサとなった彼女を見守りつつ。
「願わくは、幸多からんことを――――…と言いたかったけれど。どうして彼が見つけちゃうかなあ……幸せになって貰いたかったんだけど、介入したくなっちゃうじゃないか」
憎々しげに同じ邸宅にいる男を睨みつける。
少年は、独りぼっちだった。
強大な力を持ち、複数の世界を見守り続けるから。
そんな中、気まぐれに降り立った世界で、自分を見つめるただ一つの視線に気づいた。
今まで一度も生きているものに見咎められたことのない少年は嬉しかった。そして、興味を持った。
心行くままに彼女の姿を追い、話しかけ。そして、一人の男に執着されてたことに苛ついた。
苛ついて、初めて彼女に思慕を抱いていることに気づいた。
そのときには、もう遅かったけれど。
だから、次に生まれるときこそ、幸せになって貰いたかったのに。
また。
「ああ、イライラする」
少年の怒りに反応して、世界が荒れ始めている。
だが、押さえるつもりもなかった。
「折角、君が喜んでくれるような比較的平和な世界を選んで挙げたのに」
「ああ、苛つく」
『神』たる者の負の感情のままに、世界は。