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夢の中

黄昏時…四人は聖域から下りて来た。

朱緒と汀の二人は、下りると疲れも見せず食事の仕度を始める。

黒王とじい様は、山に入り今夜使う薪を拾っていた。


「ふふ…すまんの、仔細話さずいきなり連れていって…」


じい様は薪を黒王に渡しながらそう言った。


「まったく…じい様も人が悪い。じゃが良いものを見せてもろうた。

わしのような者が、あのようなところに行けるなど思いもしなかった。」


黒王はそれを受け取りながらそう呟いた。

頭の中には、聖域の様子がありありと浮かんでくる。

何者も入ることの許されないその場所の、鏡のような水面と音一つ無い静寂の緊張感…

それに触れただけでもありがたいと思うのに、山の命とも言える水をもらい…その場で朱緒との絆を結ばれた。


「何を申すか…そなたのような者だから行けたのかもしれん…思いもしなかったのはわしも同じじゃ。

あれは山の神と真に繋がるための儀式…あそこに入れるのは、神に許された者しか入れぬ。

普通ならば伺いを立て、許しがあって初めて入る事が出来る。

それもすぐの事ではない、人によってはの何年も待たされてやっと入る事が出来るのじゃ。

黒王…そなたの場合は、彼方から催促されての…急ぎ連れて来た訳じゃ。

後のあれはわしの思い…そなたの思いを神に見せたかった。朱緒を思う曲がりなき思いをの。」


黒王はじい様のその言葉に何も言えなかった。


「そなたはわしの言うことをよう聞いて、素直に己を改め生きようとしておる。

神がそなたをこの地に呼んだのも、その心延えを見ての事じゃろう…

そなたほど素直に己と向き合い変わろうとする者をわしは見たことがない。

それが証しに山の獣はそなたの言うことをよう聞いておろう。

心に卑しい思いを持つ者の言うことなど、自然に生きるものが聞く訳がない。

獣は魂で人を見る…

どんなに人からは良い人間であると言われても、その者の持つ魂が邪なものを持つ穢れたものなら従いはせぬよ。」


じい様は帰ろう…と、手で合図して動き始める。黒王は肩に薪を担いでその後に従った。


「じい様…朱緒は?」

「朱緒はの…あれは特別じゃ。あれはわしらに関わる大切なお方の御子…

そのうち仔細話してやるから、今はこれで我慢せい。」


黒王は朱緒の事をじい様から聞き出そうと話を振った。

これは前から思っていた事なのだが、どうして朱緒が山の中で一人で暮らしているのか不思議でならなかった。

じい様なら朱緒の事をよく知っているから、そこの事情も知っているかもしれない…そう考えて言ってみたのだが、そう軽くいなされてしまった。

まあ、何か訳があるから話してもらえないのだろう…

そう思い後々話してもらえることを願いながら、その事は胸の隅に置いてしまった。


二人が小屋のところに帰る頃には、陽もすっかり落ちて空に望月がかかり始めていた。

焚き火の前に朱緒と汀は座り、二人の帰りを待っていた。

遠目から見ると二人は血を分けた仲のよい姉弟のように、じゃれ合い笑う姿がなんとも楽しい。

黒王は子供のように笑う朱緒の姿を、心底愛しいと思うのだった。

四人は今日の話をしながら食事を取ると、それぞれ休む仕度を始める。

朱緒は小屋の中にさっき入っていった。


「黒王…今宵は朱緒と小屋に寝るがいい。」

「…あ?……いや…わしはここで…火の番もせねばなるまいし…」


いきなりじい様にそう言われ、照れ隠しにそんな言い訳を黒王はする。


「何を照れておる…晴れて許しをもろうた者が。

火の番はわしと汀でするから。ほれ…早く行かぬか!ほれ!」


昨晩寝た場所に寝床を作ろうとすると、笑いながらそう言ってじい様は小屋の中に黒王を追いたてる。

黒王は頭を掻きながら、ゆるゆる小屋の前に行く。


「今さら照れる歳でもあるまい。いつもこちらが顔を赤くする程仲が良いくせに。」


じい様は追い討ちをかけるように、黒王に笑いながらわざとそう言った。


「じい様!」


小屋の戸に手をかけた黒王は一言そう叫ぶと、小屋の中に入っていった。

小屋に入ると朱緒が驚いた顔をして黒王を見ていた。

入り口で大きな声をしたのが聞こえたらしい。

何を言われて大きな声をしたのか訊ねながら、嬉しそうに黒王の寝床を作り始めた。


望月の光は煌々と小屋の小窓から中を照らし始める。

月の光を頼りに寝床を作る朱緒は、これでは黒王には狭いだの、風邪をひかせてしまうだのぶつぶつ独り言を繰り返す。

黒王は黙ってその様子を笑いを噛み殺しながら見ていたのだが…

月に照された朱緒の横顔に我慢出来なくなったのか…後ろから抱き上げ自分の膝の中に抱きしめる。


「狭かろう広かろうは関係ない。そなたが傍におってくれたら、わしにはそこが極楽じゃ…」


朱緒の耳元で黒王は臆面もなくそう呟いた。

朱緒はその言葉に振り返ると、黒王の胸に顔を埋めるようにすがりつく。

それがなんともまた愛しく思えて、黒王はぎゅっと抱きしめ頬擦りをする。

そのまま二人は、小窓から見える望月を眺めながらあれこれと話をする。

今日見たあの白鷺の群れが綺麗だっただの、岩のところで引き上げられたのが怖かっただの…

黒王は時折茶化すような言葉を朱緒に投げ掛けながら、際限のない話を頷きながら聞いていた。

いつしか夜も更け…小窓から夜風が小屋の中に入ってきた。


「寒くはないか?」


夜の空気はひんやりと冷たい。黒王は腕の中で喋り続ける朱緒に聞いた。

朱緒は首を横に振り黒王の問いに答える。


「黒王……逢えてよかった…」


朱緒は小窓から見える空を見つめながらそう言った。


「黒王………私は親というものを知らない…生まれて赤子の時に独りになった。これはじい様に教えてもらった…

物心ついたときには、里長のところで家族同様に育ったけど…やはり血の繋がりがないからいつも何かしら自分は独りなんだと思っていた。」


朱緒は黒王の手で遊びながらぽつりぽつり自分の話しを始めた。


「じい様に呼ばれあそこで暮らし始めた時、自分の中にほっとするものがあった。

なんだろうなぁ…歳を取る毎に、どこからか投げ掛けられる嫌な好奇の目を気にしなくていいと思ったから…かな…

独りになったらなったで大変だったけれど…

そんな嫌な目を感じながら、人の中で独りであると思いながら…生きるより気が楽だった…」


朱緒を抱いている手に冷たいものが伝う。黒王は朱緒を離しの顔を見る。

月の明かりに照らされて朱緒の目からきらきら光りながら滴が溢れるように落ちていた。

黒王は両手で朱緒の顔を包むようにして自分に向けると、両の親指で溢れる滴をを拭ってやる。


「黒王が来た時、じい様は傷の手当てをしたら追い出せ…と言った。私には何でじい様がそう言うのかわからなかった…

それに…私が黒王から感じる視線は、じい様のそれに近いそれとは違う温かいもの…他の者から投げかけられるそれとは逆のもの…

自分の中にそれを手放したくない気持ちがあった。

だから初めてじい様に逆らった。黒王はじい様が考えるような人ではない…って。

じい様は渋々だったけれどそれを許してくれた。

………山で嫌な事があって、帰って顔を見た時…自分の身の上に起きた事を知られたくなかった。隙を見せた自分が許せなかった。

だから消えてしまいたい…と思って…」


朱緒はその時の事を思い出したのか、言葉を詰まらせ顔を曇らせた。


「でも…でもね…そんな私を黒王は自分の体の事も省みず、助けてくれたでしょう…

何も聞かずいつものように…それ以上に…気を使うのではなく逆にさりげなく守ってくれていたでしょう。

あの時本当に嬉しかった。ずっとこうして一緒に居たいって…

じい様に会って許してくれた時は、天に昇る気持ちだった。」


照れ笑いしながら、そう言うと朱緒は細い指先で黒王の顔の線をなぞる。

黒王はその手を握り朱緒を抱き寄せ、頬擦りすると口を吸った。

そのまま抱きしめて朱緒に言う。


「…わしの方こそ、そなたに救ってもらった…奪う事しか考えられなかった自分を…そなたは変えてくれたのじゃ。

わしもそなたとずっといたい…誰にも渡しとうない。

朱緒…約束して欲しい…今この時の命が終わっても、またわしのところに来ると…」

「ふふ…じゃあ黒王も私に約束して…命が終わってもまた私のところに来て、こうしてまた一緒にいるって…」


二人は互いを見つめながら、しっかりと手を結んだ。

夜も更に更け夜の風はまた少し冷たくなった。その頃には、朱緒も喋り疲れ黒王の腕の中で静かに寝息を立てていた。

黒王はそんな朱緒をしばらく見ていたが、頬擦りをすると自分の着ている着物で包むように抱きしめる。

小窓から入る月の光を眺めながら、幸せな思いを心の中で噛みしめていた。

時間を止める事が出来たらこのままでいたい…そう思いながら目を閉じる。

そうしていつの間にかそのまま抱き合ったまま、二人は互いの温もりを感じながら寝息を立てていた。



気がつくと夢の中…



黒王は暗い闇の中にいた。

その闇は小さな光の欠片もなく音もなく、ただ混沌とした何かが渦巻いている。

それはあまり気持ちの良いものではなかった。

目を開いているはずなのに何も見えない。

黒王は、見えないその気持ちの悪い気配から逃れようと闇雲に体を動かす。

そのうち体を闇が捕らえ、重い粘りのある闇に足を取られたようになった。

重い足を引きずりもがくように前に進んでいる筈なのに、ずぶずぶと体は下へ下へと強い力に引き込まれる感覚がある。

それでも黒王は、闇を引きちぎるようにして前に進んでいた。

腰の辺りまで闇に引き込まれたと思ったその時に、蒼白い一条の光が目の前に上から射し込んでいるのが目に入る。

黒王はまつわりつく闇を振りほどくように、更にもがきながらその光の方へと体を動かした。

形の無い闇はまるで人の手のように、黒王を引き止め押さえ込むように体に巻き付いてくる。

重い闇はいつの間にか肩のところまで来て、あと一息で黒王を呑み込もうと這い上がってくる。

あと一歩…あともう少し…蒼白い一条の光はもうすぐ目の前にある。


「飲まれてたまるか!」


黒王はそう叫ぶと、重い闇に巻かれ動きの取れない腕を目の前に射し込む蒼白い光に差し伸べる。

闇色の自分の手は、黒王の心に応えるように僅かに蒼白い光に触れた。

触れた瞬間…細く差し込んでいた光は、下から湧き上がるように柱となって黒王を包んだ。

まつわり付いていた闇は、光にその力を奪われ指下から剥がれ落ちるように消えていく。

やがてそれは陽光が、雲を吹き払い大地に射し込むように広がって行った。

広がる光の中にちらりと見えた闇は、人の姿をしておりその顔はなんとも言えない醜いものだった。

やがて黒王にまといつく闇は光に剥がされ、周りの闇も全て消し去っていた。


気がつくと黒王は聖域の池のほとりに立っていた。

空には望月が昇り、煌々と辺りを照らしている。

闇の剥がされた体に纏って(まとって)いたのは、その望月の光を集めて織られたような白い衣…

衣はそれ自体から光を放つように、浮き立つように光っている。

黒王は、静寂が支配する聖域の景色に見とれていた。

ゆっくりと一歩踏み出したとき…池に映る望月を囲むように四柱の龍神が現れる。

龍神は緑、赤、白、黒の鱗を月の光に照らし、黒王を見下ろしていた。

やがてどこからともなく涼やかな笛の音が響き渡ると、池に映る月の中から金色の龍神が一柱現れた。

黒王は驚いたものの、静かにその場に座り金色の龍神に深々と礼をした。


「汝…黒王…聖域での今日の誓い、決して違わぬと再びここで誓うか?」


金色の龍神は、低い頭の中に響くような声で黒王にそう問いかける。


「決して違いませぬ。」


黒王は伏したまま金色の龍神の問いかけに答えた。

金色の龍神はその答えに満足するように頷くと…


「ならば顔を上げよ…汝に良いものをやろう。」


そう言って顔を上げた黒王の額に手を伸ばし、黒い…だが五色に輝く一枚の鱗を貼り付けた。


「これは汝の心に応える我らの気持ち…これよりの手助けとなろう…

それから今一つ…」


金色の龍神はそう言いながら後ろに下がると、水面に映る月が光りその中央に水の珠が現れた。

珠の中には緋色の衣装を着た女が、同じ色の布を頭に被り座っている。


「あれは汝の宿命…決して離すでないぞ。」


龍神の言葉に珠は水面に溶け落ちるように消え、女の被り物も風が吹き上げるように剥ぎ取られた。

緋色の衣装を着けた女はゆっくりと立ち上がり、うつ向いた顔を上げにっこりと笑い白い両手を黒王のいる方向に差し出す。


「あ…朱緒…」


黒王は朱緒の立つ水面の月の中に向かい歩き出す。

二人は月の真ん中で手を取りあった。

水面の月の周りでそれを見ていた五色の龍神は、手を取る二人を見ると光の柱になって空へ昇っていった。

それに付いて上がるように風が渦を巻き、白い花びらを散らし巻き上げるように空に向かい舞い上がる

いつの間にか二人は、素のままの姿になり花弁の舞う柔らかな光の中でしっかりと抱き合う。

やがて花弁は白い翼を煌めかせながら飛ぶ白鷺の群れに変わり、光の中で抱き合う二人の周りを舞い飛んでいた。

二人は一つになり、光の中に溶け込んでいった………



かたり…


小さな物音で黒王は目を覚ました。

目を開けると、朱緒が食事が出来たと起こしに来ていた。頭の中はまだ夢とも現ともはっきりしない。

頭を振りながら外に出ると、じい様が何やら意味ありげな顔をしてにやにやと笑いながら黒王を見ていた。

滝壺の水で顔を洗い、ようやく自分が現の中にいると実感する。


「じい様…」


夢の話をしようと声をかけたら、じい様は口に指を当て首を振った 。


「黒王…それはの…そなたの胸の中にしまっておれ。それはそなたの大切なものじゃ。」


じい様は意味ありげな視線のままにそう言うと、何やら嬉しそうな顔をして滝を見ていた。


四人は食事を取ると帰り仕度をし、滝に向かい一礼すると山を下り始めた。

何やら思うことがあったのか黒王は、下り始めて数歩のところで立ち止まり滝の上をじっと見つめていた。

朱緒がそれに気づき、引き返すと黒王の腕を引っ張る。

それは滝が見えなくなるまで繰り返されたのだった。


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