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朱緒

輪廻のさだめの中にありて結ばれたる

縁の不思議さよ…

かかる出会いの中で人は

その己が生のあり方すら変える

それは慈しみと愛の成せる技に他ならぬ


「わしは…どこで生まれ誰が親かわからぬ…物心ついた時には盗っ人の頭に拾われ、大人なってからは用心棒のような荒事を生業としておった………」


緑翠王は遠い記憶を手繰り寄せるように話始める。



遠い昔…どのくらいの時かはわからない。

皆から『鬼黒』と呼ばれえらく恐れられる男がいた。

『鬼黒』の名は男の風体からきたもので、この男どういう訳か人より明るい色の目をしていた。

おまけに髪の色も、黒というより赤みがかった色合い、その上背の高さも周りの人より大きな姿をしていた。

陽に照らされた髪は燃えるような赤に見える。

そんな風体だった為、彼は物心つく前の子供の頃から『鬼の子』と人から蔑まされ生きて来た。

物心ついた頃には、当時都を騒がせていた盗賊団の首領に拾われ盗人の手伝いをしていたと言う。

その頃から身に付け始めた黒っぽい衣の色から、人は彼を『鬼黒』と呼んでいた。


時が経ち鬼黒もひとかどの男になり、盗賊団の小頭になっていた。

その頃にはその名を聞いただけで人々は彼を恐れるそんな男になっていた。

ある貴族の館を襲った時の事…

仲間の一人が館の家人に見つかり、その家人を切り捨てた。

それが元で山に追われ逃げ込んだ。

最初は仲間と一緒に追っ手を打ち払いながら逃げていたが、そのうち…一人二人と捕らえられるやら討たれるやらで最後に鬼黒だけが残る。

逃げる際に何度も囲まれ負わされた傷のおかげで、鬼黒は思うように体は動かなかったが…なんとか追っ手をまく事が出来た。

飲まず食わずで一昼夜……

せめて喉を潤そうと、清水を探し森の奥にやって来た時…何やら暴れる音が鬼黒の耳に聞こえてきた。

茂みをかき分け音のする方に行くと、袋の中に何か閉じ込められ逃げられぬよう石で重石がしてある。

鬼黒は辺りを見回し誰もいないのを確認すると、袋の傍により重石にしてある石を外し中を覗いた。

袋の中には一匹の大きな白蛇がとぐろを巻いて袋を覗く鬼黒を睨みつけていた。

蛇は出ようと暴れたのであろう、あちこち傷だらけになっていた。

しばらく鬼黒と蛇は睨みあっていたのだが、何を思ったのか鬼黒は袋をひっくり返し中の蛇を外に出してやった。

そうしてとぐろを巻いた白蛇を茂みに放り込むように逃がしてやった。

その蛇を捕らえた者に見つかり責められても面倒…と、鬼黒は袋の中に大きな石を入れると重石をもとに戻し再び水を求めて森の中に入っていった。


頭の上に陽の差し掛かる頃、ようやく湧き出る泉を見つけやれやれと思うつかの間…

茂みに潜んでいた追っ手に矢を射込まれてしまう。

水を探して歩き回った疲れと、射込まれた矢を数本受けて意識も定かでない。

鬼黒はふらふらと逃げ歩くうちに、足を滑らせ谷に滑り落ちてしまった。

谷は深く人の下りれる道もない。

追っ手は矢傷を受けて谷に落ちては生きてはいまい…そう思ったのか、しばらく谷底を眺めていたが諦めて引き上げていった。


鬼黒は身動きもせずその様子をぼんやりと見ていた。

そうして追っ手に捕らえられず逃げた安堵と、矢傷と疲れで起き上がる事も出来ずそのまま気を失ってしまった。


「……もうし…大…丈夫に…ます…か?…」


鬼黒が気がついたのは、女の声に呼びかけられてだった。

声をかけ覗き込むように見ていたのは、薬草摘みの女だった。


「もし…大丈夫にございますか?」

「…う…」


女はしばらく声をかけておったが、鬼黒が気がついたのを見て水を飲ますやら介抱し始める。


「…この先に私の家があります。その傷でお辛いでしょうが…お立ち…くださりませ…早う手当てをせねば…」


そう言いながら手慣れた手つきでとりあえずの手当てして、鬼黒を支えるようにして立たせ自分の家へ連れて帰ろうと立ち上がる。


「大丈夫にございますか?…さあこれを持って…」


小柄なその女はそう言いながら、太い木の枝を鬼黒の手に持たせる。

覆い被さるような大男を支え、よろけながらもなんとか女は自分の家に連れ帰った。

たどり着くと鬼黒はその場に座り込もうとする。

大男に座り込まれては動かしようがない。


「男でございましょう!あと一息踏ん張りなさいまし!」


叱るように声を飛ばし、女は床に鬼黒を寝かせると傷の手当てを始める。

鬼黒はしばらく重い体を、女に言われるがままに動かし大人しく手当てを受けた。今の鬼黒には逆らう気力もない。

布を巻き終わるとえらく苦い薬湯を飲まされ、ようやく手当てが終わる。

そうしてやっと鬼黒は深い眠りに落ちた。


鬼黒が目を覚ましたその二日後…

目を覚ましたとき女は鬼黒の足元に伏せるように眠っていた。

鬼黒が寝てる間飲まず食わず…寝ずに介抱しておったのだろうか?女の顔は頬がひどくやつれた顔に見えた。

起き上がろうと身動ぎをした時、動いた弾みで足元の女が目を覚ます。


「お気がつかれましたか?」


女はそう言いながら眠そうな目を擦りながら起き上がる。


「ここは…一体…」


起き上がろうとする鬼黒を押し止め、鬼黒の尋ねる言葉に女はにこりと笑い答えた。


「奥の谷で滑り落ち、気を失うておられました。あまりにひどいお怪我でしたので、私の家に連れ帰り手当ていたしました…ここは私の家にございます。』


そう言いながら手にした薬を飲ませながら答えた。


「…そなたは…?」


問いかける鬼黒の言葉に、やつれた顔ははにかむように答える。


「…朱緒と申します…この辺りで薬草を取り、それを生業にしておる者です。」


朱緒は、手際よく傷を巻いた布をはがし傷の薬を貼り替える。

そうして新しい布を手早く巻いていく、その仕草は見惚れる程に鮮やかで優しいものだった。


「そなた…わしが怖くはないのか?」


鬼黒は思わずそう尋ねる。

今まで自分を見た者は恐れおののいた顔をしてそんな視線を投げかけた。

だから自分を見るものは、皆そういう視線で自分を見ていると鬼黒は思い込んでいた。

だがこの女はどうだろう…そんなそぶりも見せず、顔色一つ変えず手当てをしてくれている。

朱緒は見つめる鬼黒をちらと見てすぐに視線を手元に戻す。


「…なぜ…あなた様を私が恐れねばならぬのですか?」


最後の布を巻き終えた時…そう言って、鬼黒の目を正面から見据えた。


「わ……わしは見ての通りの男…人から鬼とも呼ばれておる…鬼のするような事を生業としておる…そんな者を前に恐ろしくはないのか?」


その目に鬼黒はドキリとしながら、しどろもどろにそう答えるのだが…


「あなた様がどんなお方で、どんな事をして生きておるか私は知りませぬ。

どんな者であれ生あるものが傷ついて、難儀をしておるのを助け応えるは道に叶う事…と私は思うております。

それは人であろうと鬼であろうと、倒れ傷つき難儀をしておるなら…私は手を差し伸べまする。」


朱緒は微笑むようにやんわりそう答えると、巻き替えた布を手に外へと出ていった。

横になったまま天井をぼんやり眺める鬼黒は、なんだかわからない込み上げるものを感じる。

それは今まで感じたことのない感情で、心が震えるような感覚すらある…そうして…胸のあたりがえらく苦しい…

朱緒の出ていった入り口を背に向けて目を閉じる。

パタパタと入って様子をうかがうと、布団をかけ直し外へと出た行った。

残された鬼黒はこみ上げて来るものに耐えられず、声を殺して泣いた…後にも先にも…こんな思いで泣いたはこの時が初めてだった。


朱緒の介抱のかいあって、鬼黒は数日したら起き上がれるようになった。

肩に受けた刀傷は思わぬ深手であったため、少々不自由はあったがなんとか自分で起きる事は出来るようになった。

その頃には朱緒と打ち解けて、鬼黒はぽつりぽつり話をするようになった。

朱緒は鬼黒の事を『黒王』と呼んだ。どうしてそう呼ぶのかと尋ねたら…


「鬼は谷に落ちた時に死にました。ここにいるのは一人の男にございましょう?」


と、朱緒はにっこりと笑って答える。

鬼黒…改め黒王は、朱緒が何か言って笑う度に何だか痺れるような感情を感じていた。

それは今まで感じたことのない甘い感情でいつまでもそれに酔っていたい…そんな感情だった。


朱緒の生活は、黒王からすると随分不思議なものに映った。

薬草を摘み貯め、里へ持って行き、何がしかの物と交換したり幾ばくかの金を手にして帰って来る。

人から物を奪い生きてきた自分からすると、それは随分まどろっこしいものに映ったのだが…朱緒の姿を見るうちに不思議と楽しいものなのだと感じ始める。


ある日の事…

里に行った朱緒は、手に包みを持って随分嬉しそうな顔をして帰ってきた。

家に入るなり包みを持って黒王のところに飛んでくる。黒王の目の前で開けた包みの中から出てきたのは深い紺地の布地だった。


「良いものが手に入りました。」


朱緒はその布を黒王にあてながら満面の笑みを浮かべて、嬉しそうな声でまた言った。


「これで黒王の着物が作れます。着替えがないと困りましょう?」


その日から家に戻ると夜は遅くまで、縫い物をする日が続いた。

黒王はよくもそんな事が出来るものだと思いながら、朱緒が縫い物をする姿を見ていた。

そうしてこの間感じたあの痺れるような感情がまた湧いてくるのを感じる。

黒王は縫い物をする朱緒に呟いた。


「わしは、生まれてこんなに静かな時間を過ごした事がない。物心ついた時には、食うか食われるか…そんな世界に住んでおった。他人の物を奪い、自分のものとする…油断したら奪われる…そんな世界。だから…そなたがやることが珍しくての…」


その言葉を、朱緒は縫い物の手も止めずにっこりと笑って聞いていた。

黒王はそんな朱緒を愛しいと思い始めていた。朱緒のためなら何でもしてやろう…そんな気持ちが湧き出てくる。

今までいろんな女を見てきたが、こんな気持ちを感じた女は朱緒ただ一人だった。


そんなある日の事……

山に薬草を摘みに行った朱緒がえらく汚れた姿で戻って来た。

見ると手足のあちこちに打ち身やら擦り傷を作っていた。着ていた着物も裂かれたような後がある。

黒王が朱緒にどうしたと尋ねながら傍に寄ろうとした時、朱緒は泣きながら家の裏にある滝つぼに向かい走り始めた。

その姿にただ事ではないと感じた黒王は、朱緒を追いかけ後を追った。

追い付いた時朱緒の姿は滝つぼの中にあり腰のところまで水に浸かっていた。


「何をしておる!!」


黒王は叫びながら水に入ると、尚も水の中に入ろうとする朱緒を抱えるようにして岸に引き上げた。

そうして泣きながら抗う朱緒を、自分の懐に抱え込むように抱きしめ耳元で静かにひとこと言った。


「…何があったかは聞かぬ。だがわしの命を救ったそなたが命を捨ててはならぬ。」


その言葉に朱緒はしばらく黒王の顔を見つめていたが、黒王の胸に顔を埋めるようにして声を上げて泣き始めた。


やがて陽が傾き始め、宵の星が出始める。

二人はそのまましばらくそこに座り込んでいた。

その頃には朱緒も落ち着いたのだろう…黒王に身を預けるようにそのまま抱かれていた。

水辺に宵の風が吹き始めると、黒王は朱緒を抱えたまま静かに立ち上がる。


「さあ…帰って傷の手当てをせねばの…それにずぶ濡れで体も冷えておる。体を温めて何か食べねばなるまい?」


優しく労るようなその声に朱緒は安心したのか、涙でくしゃくしゃになった顔の口元で笑う。

朱緒の手は、黒王の着物の端をしっかりと握っていた。

黒王は朱緒の重さと、着物の端を握る手の感覚を感じながら朱緒を見つめ自分の命をかけても朱緒を守る…そう心の中に強く誓った。

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