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【本格推理小説】天然ホームズの必然推理  作者: もとき孔明
第一章 時効が呼ぶ必然

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北アルプスにて(前編)


 バスでここへ来る途中、片側が谷になっている道が続いていた。

「烏丸さんご夫妻は、あの当りで事故に合われたのかしら……」

 夜間どころか昼間でも細心の注意を払わないと、谷底へ真っ逆さまだと、車を運転しないホームズにも想像できる険しい道だった。


 その集落は、つづら折りになった坂道の両側に、十数軒ばかりの古い家が点在している小さな集落だったので、香織の実家はすぐにわかった。地域の人は誰もが愛想よく、この地域に似合わない格好をしたホームズの問いかけにも親切に応えてくれた。

 香織の実家は、決して大きな屋敷というわけではないが、立派な茅葺で歴史を感じさせる旧家だとわかる。家の周りも綺麗に掃除され、農作業用の道具なども使いやすそうに整頓されていた。軒下に下がっている柿や大根を見ると寒い冬の訪れが近いことを物語っているようだ。

「こんにちは」

 ホームズが声をかけると、中から優しい笑顔のおばあさんが顔を出した。口元に刻まれた皺の深さから、いつも笑顔でいるのだろうとわかるほどだった。

「あれまあ、こんな田舎にべっぴんさんのおいでただ」

 おばあさんは、とびきり嬉しそうな笑顔を浮かべ、初めて見るホームズの姿を上から下まで見まわした。

「こちらは、笹原香織さんが生まれ育ったおうちで間違いないでしょうか」

 ホームズが香織の旧姓で丁寧に尋ねると、おばあさんは少し顔を曇らせた。

「確かにおらっちだけど、もう随分前に死んだに」

 悲しそうな声で答えた。

「ごめんなさい。悲しいことを思い出させてしまいましたね。少しお話をうかがいたいんですけど、今晩泊めていただけますか」

 いきなり見知らぬ者が訪ねてきて「泊めてください」とは常識外れなお願いだが、人の良さそうなおばあさんは、

「ああ、いいとも。もう今日はバスも来んし、しみるけえ、ときにゆっくりするだ」

 と、快く家の中へ迎え入れてくれた。


 家の中は昔ながらの土間があり少し薄暗かったが、家の外と同様に綺麗に掃除が行き届いていた。隙間風が吹くような造りなのに、思ったより家の中は暖かかった。

「おじいさん、今日はべっぴんさんのお客さんがおいでたんで、『おごっそ』にしましょうかね」

 おばあさんが声をかけた方を見ると、広い居間の囲炉裏の奥におじいさんが座っていた。

「おお」

 朴訥な印象のおじいさんはひと声唸り、ホームズの方をちらりと見て、また囲炉裏に手をかざした。

「こんにちは。突然お邪魔します」

 ホームズは丁寧に頭を下げた。

「さあ、あんたもお上がりなって囲炉裏にあたるろ」

 おばあさんの案内で靴を脱いでいると、奥の部屋に仏壇が見えた。

「あの……仏様にお参りさせていただいてもよろしいですか」

「もちろんいいだに。そんなありがたいことあらすか」

 喜んで仏間へ通してくれた。


 仏壇には、まだ三十代と思える男女の写真が飾られていて、その写真を見た瞬間にホームズの頭の中ですべてが繋がった。

 お参りをして囲炉裏のところへやって来たホームズに、滅多にしゃべらないと思われるおじいさんが口を開いた。

「香織のお友達ですかの?」

「いえ、私は結城巣逗といいまして、香織さんとは顔見知り程度なのですけど……実は、ミサトさんを良く知っています」

「「美里を知っているのかい?」」

 おじいさんとおばあさんが声をそろえて驚いた。

「はい。ミサトさんとは、東京のアパートで隣の部屋に住んでいて仲良くさせていただいています」

「そうですかい、美里の仲良しさんかえ。美里は三か月前にもここに帰ってきていたけんど、元気にしているなら何よりじゃ……。もしかしてあんたが美里の言うとった『ホームズさん』という人かい?」

 おしゃべりが好きそうなおばあさんが目を細めてホームズに聞いた。

「そうです。ミサトさんからは『ホームズさん』と呼ばれています。知っていてもらえて光栄です」

「そうかい、そうかい。美里の話には『ホームズさんがね……』と何回も出てくるけん、どんな大物かと思っていたら、美里と同じくらいちっこいのお」

 おばあさんは、嬉しそうに言うとひとりで高笑いした。

「ミサトさんは、時々帰って来ているんですね」

 ホームズが尋ねると、おじいさんが先に答えた。

「ああ、ここ何年かは夏休みになると二週間くらいは、ここに帰って来て手伝いをしてくれてる」

 おじいさんの表情は変わらないが、言葉から嬉しい気持ちが伝わってきた。

「ミサトさんにごきょうだいは?」

 ホームズの問いかけに、ふたりは少し顔を曇らせた。


「美里は知らんかもしれんが、姉がひとり居るんじゃ。香織が死んで美里を引き取るときはまだ二歳じゃった。親の顔もよう覚えとらんうちにワシらが引き取ったけど、姉は小学校に通うとったもんで、幸次さんの親せきに預けられたんじゃ。ここからじゃと中学にも小学校にもバスで一時間以上通わんといけんけんのお」

 おばあさんが言うと、後を次いでおじいさんが寂しそうに呟いた。

「その美里も小学生になる言うて、香織の妹に引き取られて遠くに行ってしもうた……」


 少ししんみりした話になってきたところで、おばあさんが夕食の支度を始めたので、ホームズも手伝うことにした。本来は土間の炊事場だったところに板を張って、座敷からそのまま家事ができるように工夫されている。背の低いホームズがちょうどいい高さの調理台だから、彩花がここで炊事をしたら腰に負担がかかるだろうなと思えた。そもそも彩花が台所に立つ姿を想像できないが……。


 この日は、美里の知り合いが訪ねてきたということで、美里が大好きな特製のキノコスープを作ることになった。

「このスープはキクラゲの戻し汁が肝なんですね」

「そうなんじゃ、キクラゲの風味がいいじゃろ。戻したキクラゲは別で使えばええ」

「キノコスープって名前の割には、キノコが見当たらなくて面白いですね」

「この作り方は、香織に教えてもらったものでな。なんでも幸次さんが行きつけの飲み屋で聞いてきたのを家でも作らせていたらしい。そうしたら、やっぱり美里はふたりの娘だけあって、小さい頃からこのキノコスープが大好きじゃった」


 おばあさんはもう一品、これも美里が大好きだという『里芋の煮っ転がし』の作り方をホームズに教えながら作った。

「美里は今でこそ元気に走り回っているけど、ここにいる時分はずっとひとりで遊んでおったし、ワシら以外には誰とも口をきかん子だった……」

 食事のときに、おじいさんが教えてくれた。

「あら、私も子どもの頃は、いつもひとりで本ばかり読んでいましたよ」

 ホームズが言うと、

「あれまあ、今ではこんな田舎にまでひとりで旅をするようになって大したもんじゃ」

 おばあさんが笑いながら大げさに驚いていた。

 ホームズは、美里が自分に親近感を感じるのは、境遇も似ているからなんだと思った。


 翌日のホームズは、朝早くから働いた。今年は例年より暖かくて初霜もまだ降っていないらしいが、北アルプスでの初秋の夜明けは予想以上に冷え込んだ。ホームズが大きく息を吸い込むと、程よい冷気とともに朝日の匂いが体中に染み渡った。

 まずは夜明けとともに鶏小屋へ行き、卵を回収する仕事を引き受けた。鶏たちにとっては知らない人間が小屋に入ってくるので、卵を取られまいと応戦する。両手を嘴でつつかれ、血を滲ませて帰ってきたホームズに、おばあさんは楽しそうに笑いながら絆創膏を貼ってくれた。

 採れたての新鮮な卵を使った目玉焼きとお味噌汁に、これまで食べたことのないほど美味しいお新香で朝ごはんを食べた後には、おじいさんが畑の霜よけ養生ネットを張るのを手伝った。初めての作業に戸惑いつつも何とか邪魔者にならない程度の手伝いはできたとホームズは自己満足していたが、ところどころ寸足らずな所がある。それでもおじいさんは何も言わないし、おばあさんはニコニコと笑っていた。頭や顔のあちこちに土を付けたまま、ホームズも一緒に心の底から笑うことができた。


 立派な畑を目の当たりにすると、土を食べてみたくなるのはホームズの習性だ。

「ウマかろう?」

 畑の土をすくって口にしたホームズを見ても、おじいさんは驚くどころか自分も口に入れた。

「はい。こんな美味しい土は初めて食べました。美味しい野菜が育つわけですね」

 おばあさんは目を丸くしながらも、やはりニコニコ笑っていた。


 お昼前に山羊の乳搾りをしたときには、手際の悪いホームズに山羊が暴れ出した。さすがのホームズも山羊を相手に心理操作するというわけにもいかず、額にも絆創膏が増えてしまった。

 午後からは、おばあさんと裏山に行き、マタタビやムカゴといったこの時期ならではの珍しい山菜を収穫した。

 今は収穫の時期ではないが、キクラゲを原木栽培している組み木も見せてもらった。他のキノコ類の収穫が終わった夏に美味しく食べられる貴重なものだと教わったが、林の中で枕を並べて寝ているようなブナの丸太に感動したホームズだった。

 畑の片隅で勝手に自生している山ワサビを収穫するなど、夕方までクタクタになるほど体を動かした。さらに、採ってきたばかりの山ワサビをすり下ろし、これも美里の好物らしい『山ワサビの醤油漬け』の作り方をおばあさんに教えてもらった。山ワサビは水栽培のワサビとは別物のようで、すり下ろす作業だけでも辛さが目に滲みたが、出来上がったものをつまみに、おじいさんと楽しく酒を酌み交わした。



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