第2話 遠慮は必要なくってよ?
――メルヴィル。惑星表層の98%が海洋に覆われたこの星は、かつては「銀河の果ての青い荒野」とも呼ばれ、長らく不毛の地として誰からも見棄てられていた。
人類の居住に適した大陸なども存在せず、海原が際限なく広がるだけの青い惑星。
だが、海底深資源「アビサル・クォーツ」の発見が全てを変える。
その昏い青色をした鉱物結晶は、次世代型の動力システム「小型核融合炉」の安定稼働化に大きく寄与することが判明し、人類は一転してこの星に目を付けた。
瞬く間に、地球からは数えきれないほどの採掘調査団が派遣され、彼らは都市規模の海上プラットフォームを次々に建設していった。次第に、星を覆う穏やかな海は鉱業と資本主義、そして果てしない欲望の渦巻く激しい奔流の中に飲み込まれていく。
これが、後の世で呼ばれる「青のゴールドラッシュ」の始まりであった。
◇
沈みゆく太陽が、広大無辺の海原を赤く染め上げていた。まるで上等なローズヒップを湛えたカップのように、メルヴィルの海は赤い波紋をどこまでも広げている。
夕焼けを映した水面が揺れる景色の中で、ひとつの艦影が海の上を揺蕩っていた。
その採掘艦の名を、インスマス号。艦橋の一角に設けられたサロンでは、“セレジア・コリンズ”が紅茶のカップを静かに啜っていた。彼女の所作には、ある種の儀式めいた優雅さが見える。金縁を細い指でなぞって、ふわり漂う香りに瞼を閉じた。
「……っ、なかなか冷めませんわね」
――熱い。おかわりから舌先をさっと引いて、カップの波紋に独りごちる。
先にインスマス号が垂直発射した「音速魚雷」が、海底に埋もれたアビサル・クォーツ鉱脈を撃ち抜いて、ちょうど十分が経過していた。魚雷発射時の弾道計算が正確であったのなら、間もなくお目当てのクォーツ片が浮かび上がってくる頃合いだ。
浮上によって海は荒波立ち、インスマス号の艦橋は揺れ動くことになるだろう。
その瞬間が、このカップに注がれた、一杯の紅茶の寿命となる。
(……そろそろ飲み切らないといけませんのに)
そんなことを考えていた矢先。艦橋の警告灯が赤く明滅し、鋭いアラーム音が静けさを破る。敵襲警報だった。雇われのクルーたちが忙しなく動き始める。
「バートラム艦長、セレジア様。所属不明GSが接近、警告は無視されています!」
通信士が振り向き、声を張り上げて伝える。バートラムの視線に頷き、セレジアはカップをそっと置いた。温かな余韻が残る指先で、ヘッドセットをかけなおす。
テーブルの端に置いていたスマート・パッドから、指揮アプリを起動。
戦術スクリーンに映し出されたのは、海面を滑走する三体の機動兵器群だった。
――グラウル・サーヴァント。通称、GS。
この惑星で絶えず行われる資源闘争の主力。別名の「人型自在巡航艇」が示す通り、それは人間のシルエットを持ちながらも、本質的には海戦用のボートに近い。
一つの頭部で見渡し、二本腕で武器を手に取り、二本脚で海原を駆ける。
ヒトの模倣のためでない。海戦への適応によって、それらはヒトの似姿となった。
迫り来る三機のGSは、脚部が吐き出す水流ジェットにより加速し、激しい水飛沫の尾を描きながら、競争のようにこちらへと向かってきた。まるで統率が取れていない。泥臭くて不揃いな装備に、サイケなカラーリング。ツギハギされた装甲。
どこをどう見ても、セレジアたちのクォーツを強奪しに来た“開拓者くずれ”だ。
「……やれやれ、横取りだなんて。GS乗りとしてのプライドはないのかしら」
開拓者業とはすなわち、実力主義の成果報酬職。どれだけのコストで、どれだけの数の、どれだけの大きさのアビサル・クォーツを手に入れられるのか。
そんな生業であるから、ときとして不運が開拓者の破滅を招く。クォーツ探鉱のアテを外して、無意味なコストが嵩んで――そんなリスクとは常に隣り合わせ。
退くことも前に進むこともままならないこの星で、万が一にも破滅し、持たざる者となったとき、人はどう生きていくのか。そんなことは単純な手段で解決する。
暴力だ。力を使って持つ者から奪えばいい。それが常に“彼ら”の思考回路だった。
このメルヴィルという星の構造に、ある種、インフラ化された暴力の存在がある。
「敵先頭、第三防衛ラインを突破し接近中。本艦までの距離、約9000!」
「ファランクス、掃射を続けろ! 艦に近寄らせるなッ!」
艦長帽のつばを摘まんで、バートラムがクルーたちに号令を告げる。
(……本当に、ツイてない方々ですわね)
セレジアは、うんざりとしたが、同時に彼らが憐れにも思えた。
よりにもよって“彼”を――フィンを連れているときに、仕掛けてくるだなんて。
「フィン。聞こえていますかしら。準備はよろしくって?」
『――ああ。何も、問題ない』
同艦、船体後方に設けられた機体格納庫にて、一人の男が抑揚なく答える。
感情の欠片すらも、読み取ることのできない低い声音だった。
モニター越しに見る彼の瞳は、あの時と同じ、サメの眼をしている。
『敵襲、か』
男――フィンと呼ばれたのは、かつてセレジアがリング・タワーの資料室で見た被検体。かつては「コード:ブルー」の符号で呼ばれていたはずの青年である。
頭の天辺には、サメの背ビレのような、独特のはねっ毛が揺れていた。
きっと格納庫の空調が効いているからだろう。何度、梳いてやってもなおらない、このはねっ毛こそが、セレジアが“フィン”と名付けた由来だった。
はねっ毛は、まるで何かの疼きを感じているように、落ち着きなく揺れていた。
「GSが三機……艦載機銃だけじゃ、威嚇にもなりませんわ」
ああ、と頷くフィンの背後には、格納庫の中程に鎮座する巨大な人影が在る。膝を折った窮屈な駐機姿勢は、まるで叙任式で首打ちを待つ甲冑姿の騎士のよう。
カスタム・タイプGS〈ブルー・ブッチャー〉。
全身を濃淡の青で彩られた重厚なフォルム。ジェネレータを内蔵した、逞しい両大腿部からは、それぞれ三本ずつの補水索がチューブ状に伸びていた。もし間近に立てば、六尾の幻獣が、まるで尾をひいているかのような――そんな威圧感すらも、感じ取れることだろう。
そして、やや平べったい頭部のレールに吊られたカメラには、まだ光は灯っていない。
「――相手は悪党、遠慮は必要なくってよ?」
セレジアの声を待たずして、彼はとっくに機体の胎へと乗り込んでいた。
格納庫のライトが次々と点灯して、全高6メートルの巨体がゆっくりと起き上がった。拘束を解かれるように、機体を固定するガントリーロックが順に外れていく。
機体各部の関節が振動し、次いで、耳障りなほど低い“唸り声”が艦全体にまで大きく響き渡った。GSの主脚を構成するハイドロ・ポンプ・ユニットが稼働し始めた証だった。
『システム、オールグリーン。指示を待つ』
「薬莢が混ざると面倒ですわ、クォーツの回収に遅れが出ますの。それと、艦を傷付けさせないでくださいまし。もう少しだけローンが残っていますの」
『了解した、ナイフだけを使う。艦は撃たせないし、近づかせもしない』
冷淡な声が応じると同時、〈ブッチャー〉のシステムが完全始動した。艦――インスマス号の後部ハッチ収容が開かれ、カタパルトに蒼い機体の主脚が乗せられていく。カタパルトの爪が、その躯体を掴んでレール上の猛滑走を始めた。
ぎちぎち……と凄まじい摩擦音と共に、火花が跳ね散らかって明滅する。
『――出る』
短い宣言の後、蒼躯の機体は凄まじい加速度を伴って射出された。
轟音と共に着水した機体が、一瞬の揺らぎを経て、スムースに海面を滑走。
噴き上がった水飛沫が霧となって、夕陽を背に虹を映す。
セレジアは、耳元のヘッドセットから伸びるマイクを引き寄せた。
「接触まで、八十秒前。すれ違いざまに一機片付けて」
彼女が命じると同時、機体の加速が一段と増して敵GS部隊に突進する。尾を引いて伸びる無数の捕水索は、何度も海面を叩いて跳ね回った。これら六本のチューブは、海面から海水を吸い上げ、激しい機動を行うGSが内包する「核融合炉システム」を、常に冷却し続ける。
そして、それを吐き出す際のハイドロ・ジェットこそが、GSという海戦特化兵器のメーン・スラスターと呼べるものでもあるのだ。爆熱を両脚に抱え、なおも〈ブッチャー〉は海原を駆け抜けた。引き裂けるような水飛沫の隙間から、蒼い機影の眼差しが、残光をのこしてゆく。
エメラルド・グリーンの機眼の軌跡は、敵の姿を決して離すことはなく、捉え続ける。
セレジアはモニターを注視していた。
数値がリアルタイム計測され、機体と敵の距離が一気に縮まっていく。突入に最適な進路とタイミングが、彼女の頭の中で精密に計算されつつあった。
フィンの技量を疑ってはいないが、それでも細かい指示を欠かすことはない。
「一番右の下品なピンク……マゼンタかしら。まずはソイツから」
〈ブッチャー〉は肩をわずかに傾けて目標へと滑り込む。
海面に白い波が立ち、さらに流れ去っていく景色の速さが、一段と上がっていく。
セレジアの指示のままに、最初にマゼンタカラーの敵GSと対峙。機体が射程に入るや否や、右腕に装備にしたモーターナイフを、前触れなくアクティベート。
『沈め』
無骨なナイフの刀身が一閃。敵のGSに突き立てられた。
不快音が鳴り、散った火花が海面に触れて蒸発する。
超高速振動の刃が、瞬時に相手の胸部装甲を切り裂いたのだ。
角ばった胴部装甲が炎と悲鳴をあげ、煙を吐き出す。
胸の真ん中を穿たれた敵機は沈黙し、瞬く間に海へ崩れ落ちた。
「お見事。残りの二体はIFFを利用して攪乱しましょう」
急速旋回した〈ブッチャー〉が、陣形を立て直した二機の敵GSの間に飛び込む。数瞬の間、彼らの持つサブマシンガンの銃口が完全にこちらを狙うが――。
しかし、彼らは撃ってこない。否、互いに撃つことができなくなった。
一般的な照準システムにはIFF(敵味方識別装置)が搭載されている。味方機への誤射を防ぐための機構であり、射線上に味方機のマーカーを確認した場合、トリガーを強制的にロック……同士討ちでの事故を抑制するための安全装置だった。
フィンはこれを逆手にとり、彼らを翻弄した。
着かず離れずの距離で、二機のGSの周囲を廻る。敵の射線が、常に敵のもう一機と重なるように動く。撃ちたいが撃てない。焦らされた一機がサブマシンガンを捨てた。水切り石のように跳ね去るそれを背に、敵GSは背中から大鉈を引き抜く。
近接戦の始まりの合図だ。一心不乱の突撃を仕掛けてくる。〈ブッチャー〉はむしろ敵機に詰め寄った。轟音。ナイフと鉈。二つの得物がぶち当たって、だだっ広い海原に轟音を打ち鳴らし合った。
「推定二分後にクォーツが浮上。それまでに片付けてくださいまし」
セレジアの凛とした声を聞きながら、フィンは答えることもなく、操縦グリップを右へ、左へと滑らかに動かす。獣とワルツを踊るかのように、機体は優雅に彼の操縦に応えた。
『く、くそォ! なんだコイツ、化け物か!!?』
通信チャンネルへのハッキングを済ませていたセレジアは、傍受した敵の言葉に顔をしかめて、溜め息をついた。やはり、所詮は蛮族だ、何もわかっていない。
フィンは怪物などではない。どこまでも忠実で、戦いに身を燃やす戦士である。
――だからこそだ。だからこそ、お前たちに負けることなどはありえない。
『がああぁぁーー!』
ノイズの乗った悲鳴が音を割って、またひとつ、敵の反応が消え去った。
「ラストは……あら、逃げるつもりですわね」
最後の一機は、戦意を失くしてしまったのか、敵前逃亡を試みていた。
武器を放り捨てて踵を返し、情けない鉄の背中が、水平線に遠ざかっていく。
セレジアは呆れを露わに溜め息をつき、撤退の指示を発した。……だが。
『いや、まだだ』
フィンは、撃破した敵GSの残骸の傍らから、揺蕩う大鉈を拾い上げた。
右の手に把持し、ぐるりとそれを手元に回すと、高く掲げたフォームを取る。
「当てるつもり?」
『今後の脅威だ。逃がしはしない』
機体に積まれた投擲補助プログラムの補正距離は、ゆうに越えてしまっている。ここからの照準は完全に感覚頼りとなるが、彼の声色に迷いは見えなかった。
敵を倒す手段と道具があって、それを実行するだけだと言わんばかりの振舞い。セレジアがそんな印象を受け取るのと同時、モニターしていた数値が跳ね上がった。
「……ヘイロー、ね」
変動をみせたのは、パイロットであるフィンの脳覚醒倍率だ。つまりは、彼の中に眠っている脳の未使用領域が、機械的に引きずり出されている。
これを実現させているのが、ソフィアの造った“ヘイロー・インプラント”。
彼の頭に埋め込まれた円環状の忌むべき装置である。
『距離1000、風速7、角度修正マイナス5。当てる』
早口で、フィンは感情の揺らぎを見せないままに、淡々と呟いた。
本来機械が行うべき計算を、彼の脳が即座に処理し終えている。
広く水平に大鉈を構えた〈ブッチャー〉は急旋回し、そして、ブーメランを放つ要領と同じに、大きく腕が振り抜かれた。錆びついた厚刃が、斜陽に照る。
刹那――セレジアは遠くに大きな爆発を見た。
炎の号哭と共に、オレンジ色の水平線から、激しい火柱が立ちあがる。
「ご苦労様。大丈夫かしら? フィン」
荒い息をピタリと止めて、彼は抑揚のない声で答える。
『問題はない。敵は殲滅した。これ以上の脅威は確認できない』
「そうじゃなくて、貴方自身の……はあ。戻ってきて頂戴」
『命令了解。これよりインスマスに帰投する』
〈ブッチャー〉は再び唸りをあげて、母艦の方へと転進した。
その機体の背後から、大きく水飛沫が上る。予定通り、クォーツ片の浮上だ。
白い泡の合間から、ダークブルーの、半透明の鉱石が輝きを見せる。
「……結構な茶葉でしたわ」
大波に揺らぐサロンのテーブル上では、空のカップがコトリと倒れた。
クォーツ浮上の衝撃の波が押し寄せ、船体が揺らいだのだ。
――が、紅茶の一滴たりとも、カップの底には残ってはいない。
「〈ブッチャー〉収容後、クォーツ回収班は直ちに作業を開始しろ」
バートラムの号令を聞き流し、セレジアは端末をスリープさせた。




