第13話 イキんなよ、バケモノが
そのリゾート施設は、浮揚都市オクシリスの、遥か遠く沖合の水平線にある。
これがアルジャバールの宮殿か――と、セレジアは素直な関心を胸に抱いた。
白亜の要塞だ。無数にそびえる尖塔を見上げれば、頂きには煌びやかな陽光が飾られている。施設の名を「ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル」。言葉の意味は“生きる喜び”。
まるで童話の王子や姫君が、おとぎ話の終わりを過ごす「城」のような場所だが、それでいて、それらの建築の在り方は単なる自惚れの懐古主義には収まらない。
フィーチャリズムとネオ・ゴシックが融合した施設の建築様式は、現代的な革新と旧い時代への畏敬を象徴する、二重のディテールを見事なまでに描き出している。
彼らの製品が、未だ見ぬ先進性と、兵器としてのヴィンテージ・スタイルを共存させているのと同様に、ここに相反するふたつの性質が見事に調和しているのだ。
――すなわちリゾートそのものが、アルジャバール社の思想の体現ともいえる。
「マティーニを。ステアではなく、シェイクで」
宝石店のウィンドウのように酒が並ぶカウンターの前で、セレジアはお気に入りのカクテルを注文した。紅茶が無いことは残念だが、場に相応しい選択をすべきだ。
バーテンダーはウォッカとベルモットのボトルを取り、シェイカーに注いだ。シェイクする力強い腕の動きの先で、からころと氷の音が鳴る。氷を除けて、液体だけがV字のグラスに注がれると、波紋や泡を立てないよう、オリーブの実が沈められた。
「お待たせしました」
「どうも、ありがとう」
木目調のカウンターテーブル、出来立てのマティーニを手に取る。
グラスの縁に、セレジアの薄桃色の唇が触れようとした、その時。
「いまの言い回し、旧暦の映画にありましたね」
声の方を振り向くと、柔和な笑顔を浮かべた紳士が立っていた。洗練されたダークグレーのスーツに身を包んだ姿が、リゾートの静かな雰囲気にピタリと合っている。
「――これは、キュービス局長。よくご存じですわね」
「昔のスパイ映画は、アイデアの宝庫ですから」
それと――と、ウィリアム・キュービスは片目を閉じてウィンクをした。
「どうか、これからかはウィリアムと呼んでください。ミス・セレジア」
◇
二人はメインホールを見下ろす位置の、静穏なロフト席に着いた。
互いに乾杯のジェスチャーを交わしてから、一口だけ、酒精を含む。
微かに塩気の効いた、冷ややかで鋭い味わいが舌上に広がっていく。
「……さて。“ブルー・レーン”の件は、お疲れさまでした」
疲れを含んだような息と共に、ウィリアムは言った。
「いえ。……ウィリアム、その様子だと、プラントに生存者は」
「残念ながら。例の赤いGSが、化学兵器を使用した痕跡がありました」
「……そうでしたのね。どうか彼らに、安らかな眠りを」
セレジアはグラスをそっと掲げて、哀悼の意を死者たちに捧げる。
同様にウィリアムも、青い瞳を閉じて、小さく黙祷していた。
彼は、クランに実戦形式での抜き打ち検査を依頼こそしたが――。
それでも、施設作業員の全滅は、完全に思惑を逸脱したものだろう。
引き締まった唇には、悔しさが滲んでいるようにも見える。
「社の警備部門が下手人を追跡していますが、成果は芳しくありません」
「そうでしたのね。私どもに協力できることがあればよいのですが……」
「……そう言っていただけるのでしたら」
ウィリアムが顔をあげ、瞳を覗き込んでくる。
彼の澄んだ瞳の中心には、セレジアだけが映っていた。
瞳が僅かに狭められて、柔らかい笑みに変わる。
「しばらくの間、カティアをお返し頂けますか?」
「……」
セレジアは音を立てないように息を吐き、動揺を鎮める。
あの作戦で現れた〈アラクネ〉のパイロットとの交信記録。
それらはまだ、カティアの中に記録されたままである。
“彼女”が、自らの学習成果を手放すことを強く拒んだ為だ。
技術班が抹消を試みたが、防護は頑丈。手出しができない。
あの情報を抱えさせたまま、ウィリアムには差し渡せない。
――……。
「そうしたいのは山々なのですが、機体の損傷が激しく、修理スケジュールが立て込んでますの。何せ、彼女のモジュールは、コクピットの中枢にありますから……」
「それもそうですね。……そうだ、うちの技術チームをお貸ししましょうか?」
「ありがたい申し出ですが、遠慮いたします。大変申し上げにくいのですが、当クランの方針として、外部作業員の整備ユニットへの立ち入りは許可しておりませんの」
その答えに、ウィリアムは顎の輪郭を触りながら、目尻を緩ませる。
「他人に機械を触らせたくない気持ち、わかりますよ。技術屋として」
「ありがとう、ウィリアム。そこを理解していただけると幸いですわ」
「そもそも、カティアは半ば差し上げるつもりでお貸ししたものですから、お気になさらずに」
「――かわりに敵の情報は、事細かくフィードバックいたしますわ」
「それはありがたい。ささ、ミス・セレジア。飲みましょう」
そう言うと、彼はもう一度グラスを掲げた。セレジアもそれに応える。
やがて、ジャズが聞こえ始めた。メインホールに入場してきたバンドの演奏だ。
その音色に耳を傾けながら、二人は、言葉と、酒とを、互いに酌み交わす。
◇
夜更け、インスマス号の機体格納庫にて。
「いい加減にしろ、カティア。ここから出せ」
『嫌~じゃな。洗いざらい喋ってもらうまで放さんぞ』
「時間の無駄だ、ハッチを開けろ。ふざけるな」
〈ブルー・ブッチャー〉のコクピット内。フィンがコンソールを指で乱暴に打つ。
幾度となく無数のコマンド、システムのバックドアを試すが、ハッチは開かない。
機体にトラブルがあると呼び出され、着座するなり、この状況のまま二時間。
――フィンは、カティアの手によってコクピットに閉じ込められていた。
主を監禁してまで彼女が要求するのは真実である。カティアは再び、彼に問う。
『さあ答えよ、主殿。あの赤いのは何者か。強化兵士とはなんなのか?』
「お前に教えることはできない。その必要もないことだ」
『答えてもらわねば。某の存在意義に、あいでんちちーに関わるのじゃ』
「どういう意味だ。それとこれと、いったい何の関係がある」
『ふっ、情報が欠落したまま、主殿をパーフェクトに支援することは困難じゃ。主殿と姫様は、某に、それとバーシュの兄妹にも、何か重要なことを隠しとるじゃろ?』
「答える義務はない。いますぐにハッチを開けろ、AI」
『開けぬぞ。夜は長いし、幸いにも遭難用のサバイバル・キットがある』
言うとカティアは、コクピット壁面の収納ボックスの一つを解放した。
そこには遭難時に使うための、毛布、水、食料のコンテナが収められている。
つまるところ、これがある限りフィンを解放する必要性がないというのだ。
(……こんなことは時間の無駄だ)
フィンは一度、背もたれに体を預け、しばし思考を巡らせることにした。
これほど強情な、行動支援論理AIを説得することは不可能に近いだろう。
そもそもの話をフィンは考えた。
この時代――人語を操り、悪意を持ったAIを論破することは不可能に近い。
一昔前の大規模言語学習AIならまだしも、コイツらは構造そのものが異なっている。
ニュアンスや“意”を汲んだうえで、それを押さえつけるだけの無限の論理を持つ。
いまの監禁状態が朝まで続き、明日の演習や整備に支障をきたすことがあれば――。
すべてが無意味で、誰の益にもならない、非効率的な時間の過ごし方だ。
であるならば、いま、ここで話すほうが何よりも良い選択となるはずだろう。
(脱出後、セレジアに許可を取って、カティアのモジュールを物理破壊する)
最終的にフィンの下した結論が、それだ。
「わかった。お前の質問に答える。聞きたいことを言え」
『お? ついに観念したか、主殿。では最初の質問じゃ――』
すう、と必要もない吐息が、電子音と共に聞こえた。
『主殿が、あの赤いヤツに言い放った「強化兵士」とはいったい何かの?』
フィンは一瞬の躊躇いなく、はっきりと言葉を放った。
「ゼニット・コンツェルンがインプラントを埋め込んだパイロットだ」
『パイロットにインプラントとな? そいつは興味深い』
「ヘイロー・インプラント。脳神経を書き換え、処理能力を向上させる」
『つまり、彼奴はゼニット社の改造人間だったと? なるほど』
声を弾ませながら、カティアは「ふむふむ」と相づちをいれる。
彼女の、AIとしての本能的な知識欲が刺激されているようだった。
『次じゃ。見当はつくが聞こう。なぜ主殿がアーキタイプと呼ばれておる?』
「俺は初期に作られた強化兵士だ。俺も、ヘイローを持っている」
『ということじゃなろうな。なれば、その淡泊さは、それが原因かの?』
「セレジアによればだが、インプラントが俺の人間性を抑圧しているらしい」
『納得じゃな。そうかそうか、あの戦いは、古いモデルで新しいモデルを……』
「ああ。ゼニット・コンツェルンは強化兵士の戦力評価を行っている」
『ほいほい、全て合点がいったぞい。次ので最後の質問じゃ、主殿……』
一拍の間。フィンはどこか退屈そうに、自分の認識票を触っていた。
何度も指先で擦られたアルミプレートは、ただ三文字の名前が掠れている。
『姫様と主殿の真の目的とは? 目指すところは、ただの傭兵ではあるまい?』
「目的はヘイロー・プロジェクトの抹消だ。セレジアは、元はゼニット社総帥の娘のひとりだ。身内が禁忌の技術に触れていることを、彼女は許せない」
『な、る、ほ、ど、のぉ。歯向かうから、刺客も送られて当然というわけじゃ』
「だから俺は戦う必要がある。強化兵士を倒せるのは、強化兵士だけだ」
『……ふむ、ふむ。よし! これでサポート効率は八割増しアップじゃ!』
わはは、とカティアが笑い、ついにコクピット・ハッチが開かれる。
フィンは〈ブルー・ブッチャー〉のボディから這い出し、小さく息をついた。
ふと見やった壁面の電光表示時計は、深夜三時を示そうとしている。
◇
イヤホンを耳にあてながら、ジョニーは“二人”の会話を聞いていた。
あの機体のコクピットに仕掛けていた、小型盗聴器で傍受した会話だ。
正確にいうのであれば、一人と一機。
あるいは、あの男を「一人」と数えてもよいものだろうか。
割り当てられた私室の薄い暗闇に、怒気をはらんだ呟きがこぼれる。
「……冗談じゃねえぞ、テメェら」
かつて、あの日の護衛任務で、巨大な突砕艦を瞬く間に撃沈した一件。
以来フィンと、彼を使役するセレジアに対する疑念は、日に日に増していた。
おおよそ人間のものではない技量と、常軌を逸した判断力、機械的な態度。
どれ一つ取っても不気味であり、それがジョニーを行動に駆り立てたのだ。
そして、遂に真実を手にした今では、怒りがふつふつと腹の底に込み上げる。
(雁首揃えて、五大企業の筆頭サマに楯突こうってのか……)
――ジョニーの教義は“傭兵”である。彼は、決して“テロリスト”にはならない。
傭兵は「拾われることを待つ銃」であるべきで、そこに意志は在ってならない。銃が意志を持てば、道具としての中立性は失われ、たちまち誰かの敵となってしまう。
だからこそ、金や契約以外の理屈で戦うべきではない。それがジョニーの安全論だ。ジョニー・バーシュが、最愛の妹・ナイアを守るために確立した鋼鉄の法則。
それをセレジアは踏みにじり、彼ら兄妹に、私的で、主義的な戦いを強いていた。
「俺たちは駒じゃねえんだぞ……ッ!」
握り拳で、隔壁を叩き打つ。金属質の音が轟と鳴った。
(……ナイアに……いや)
妹は、間違いなくこのことに首を突っ込むだろう。そういう性質だ。
カオスとスリルの探求者である彼女に、この刺激は、きっと強すぎる。
そして、ゼニットという敵もまた、あまりに大きすぎる獲物だった。
あの青いのが居たとしても。戦ったとて、勝てるはずがない戦いになる。
兄として、そのような誘い火に、妹を向かわせるわけにはいかない。
「――セレジア……だったら、お前を…………」
◇
ふらふらとしたヒールの足取りが、インスマス号の廊下に響いた。
丸窓から差し込む陽射しに、セレジアは瞼を薄く落とす。
ついぞ、話し込んでしまった。朝帰りなど、いつ以来のことだろう。
ぽー、とぼやけた脳裏には、ウィリアムの笑顔が焼き付いている。
簡易精錬室の前を通って、居住区画。この通路の先が艦橋だ。
よろめきながら歩いていると、傍らに人影が立っているのが見えた。
ジョニーだ。禁煙の張り紙に背を預けて、彼は煙草を吸っている。
「ジョニー……? ここは禁煙でしてよ……」
喉元から出てきた言葉は、僅かに掠れて頼りがなかった。
セレジアを無視して、ジョニーはもう一口、煙を含む。
そして彼は煙草を捨てた。足元には無数の吸い殻がある。
「セレジア。お前、本名は何だ?」
「……どういう意味ですの?」
気配が違っていた。いつもの、どこか頼りない男のそれではない。
語気にはいつものような棘があるが、より一層、研ぎ澄まされている。
セレジアは無意識のうちに、彼から数歩の距離を後退っていた。
「ゼニットの総帥がカシウス・リングってことは、セレジア・リングか」
「…………ジョニー、貴方……」
「セレジアが、本名ならの話だがな。どうなんだ? あ?」
「私はセレジア・コリンズ。それ以下でも、それ以上でもありませんわ」
「はっ、そうかい。そうかよ……!」
黒いブーツを鳴らしながら、彼はセレジアに歩み寄った。
ふらつきながら距離を離すが、壁に肩が当たってよろめく。
転げそうになった彼女の肩を、ジョニーが支えた。
否。そうではない。彼はそのままセレジアを壁に押し付けた。
背中を強く叩きつけられて、ひゅっと肺から息が吹き出る。
「――ジョニー……!」
「テメェ、わざと伏せやがったよな」
「そんなことはありませんわ……」
「強化兵士、ゼニット、アーキタイプ。ひとつも聞いてねえ話だ」
「…………っ!」
ごつごつとした肘が、喉元に押し付けられた。
ジョニーの剣幕に気圧され、セレジアの言葉が潰える。
「ここで契約は打ち切り、違約金もなしだ」
「……やめっ……」
「これ以上、俺たちをテメェのお家騒動に――」
刹那。ジョニーの視界が一周して、瞬く間に背中が床に叩きつけられた。
左腕には、痛みがある。その先を辿れば、あの男――フィンが腕を掴んでいた。
彼はいつもの無表情、光を映さない眼差しで、冷淡に見下ろしている。
「……へっ。ナイト様の登場か。ちょうどいいぜ、クソッ!」
ジョニーは右手でホルスターの銃を引き抜き、彼に照準した。
銃口の先のフィンもまた、腰元に差したナイフの柄を掴む。
次の瞬間には、どちらかの男が死んでいるという間合いだった。
「動くな。次の動き次第では殺す」
「はん、テメェは弾丸より早く動けるのかよ?」
「この距離なら、ナイフの殺傷率の方が高い」
痛む喉元をおさえて、セレジアは壁にもたれていた。
彼ら二人を止めなければ。だが、体が思うように動かない。
「……はっ。ははははァ!」
やがて睨み合っていた片方が笑い出した。ジョニーだ。
「……やめだやめだ。青いの、おい」
笑いながら、彼は銃に安全装置をかけて、ホルスターに。
見届けながらも、フィンはナイフから手を放そうとしない。
「お互いGS乗りだろ。決着はさ、どうつけるべきだと思う?」
「……それは推奨しない。ただの人間に、俺を倒すことはできない」
「イキんなよ、バケモノが。怪物狩りは人間サマの領分だろうが」
二人の間に沈黙が降り、ようやくナイフが鞘に納められる。
「まさかビビっちまったんじゃねえよな、サイボーグ」
「……了解した。格納庫へ行くぞ、ジョニー・バーシュ」
それから視線を合わせることもなく、彼らは同時に歩き出した。
セレジアはよろよろと壁伝いに立って、精一杯の叫びをあげる。
「ま、待って……おやめなさい、フィン!」
霞んで消えそうな声音だったが、その命令は確かに届いたはずだった。
だが――フィンは振り向かず、ジョニーの後を、ただ無言で追って歩く。
やがて通路に静寂が戻ると、セレジアだけがその場に残されていた。




