第9話 理解できねえな……
帰還した〈ブルー・ブッチャー〉の右手には、ナイフの柄だけが握られていた。
先の戦闘で、捻じるように装甲を抉じ開けた刃は、いまや根本しか残っていない。
コクピットから飛び降り、格納庫の鉄床を踏んだフィンがそれを見上げる。
「……負荷をかけすぎたか」
「これはこれは、潮時でございましたな」
室内の影から現れた執事――バートラムが恭しく一礼した。
彼はゆったりとした所作で、格納庫の隅のコンテナを指さす。
「ちょうど贈り物がございます。ご照覧ください」
言うと、リモコンのスイッチが操作され、コンテナが開放された。
左右開きのハッチが開き、スライドして細長い形の構造物が姿を現す。
それは独特の青白い色味を帯びた、一振りのGS用ナイフだった。
「伽御廉重工謹製、モーター・ナイフ『藍銅』でございます」
バートラムは目を少し細めて、ナイフの説明を始めた。
「刃渡りは約2.3メートル。ブレード材には超質ラミナラ鋼合金を使用。伽御廉の誇る低温鍛造技術により、これまでお使いになられていたSAVIO製『フェゼント・ナイフ』の三倍以上の硬度を確保し、その実、20%の重量減となっております」
「特注品か。あまり軽すぎてもコントロールしづらいが」
「ご安心ください。グリップ部に流体タングステン・バランサーを内蔵しております。重心が動的に移動し、より精密で正確な刺突・斬撃をサポートいたします」
フィンは硬質な印象の刀身を、端から端まで視線でなぞった。
青白い刃面には、薄っすらと幾何学的模様が刻まれている。
「伽御廉がプラント用切削工具開発で培った技術が応用されております」
バートラムはカタログの「写し」を、フィンに手渡した。
資料冊子がパラパラとめくられ、瞳が高速で文字を追う。
「モーター部分は同社の最新モデルである『鳴神』を採用。最大振動数は毎分四万二千回転。標準モデルと比較して、約25%の出力向上を実現しております」
「柄は六層構造か、機体の握力特性に合わせてあるようだが、耐久面が不安だ」
「とんでもない。アルターカーボン・ファイバーと制振合金を交互に重ねた積層構造により、従来品の四倍の疲労強度を持ちます。さらに、伽御廉独自の衝撃吸収ゲルを中層構造に配置することで、長時間の激戦でも操作性が劣化いたしません」
フィンは資料の技術仕様欄を指先で示した。
「バッテリー・パッケージが極端に小さいな。稼働時間は?」
「手のひらから離れて三十秒。交換機能はオミットし、機体からの充電が主です。グリップ内の空洞構造を抑える目的によるもので、強度向上に一役買っております」
「三十秒。投擲での使用には問題ないな」
「はい。むしろ電力供給コネクタが専用規格であるため、その後にナイフが敵に拾われ、鹵獲されて再利用される――などといった心配が一切無用でございます」
「腕のホルスターとの適合性は、今まで通りか?」
「今まで以上です。重量減と流体バランサーを考慮して抜刀プログラムを更新しております。緊急時のクイックドローでは、理論上一秒足らずで展開可能でございます」
バートラムは微笑みを浮かべ、楽し気に訊く。
「――さて、他にご質問はございますか?」
「いや、ない。スペックは全て把握した」
フィンは目を伏せて、資料冊子を閉じた。
踵を返して、コクピットへと再び乗り直す。
「すぐに装備したい。誘導を頼めるか、バートラム」
「もちろんでございます。速やかに取り掛かりましょう」
◇
その晩。オクシリス下層街区の、薄暗い路地裏。
「リキッド・ムーン」のネオンの下で、酔客たちの喧騒が街の静寂に響いていた。
そのバーは、港湾労働者や開拓者たちが憂さを晴らす、典型的な場末の酒場だ。
紫煙が立ち込める寂れた店のはずだが、今夜だけは異様な熱気が漂っている――。
「おい、あのウエイトレス見たか?」
「ああ、新人のバニーちゃんだろ? マジでヤバいって」
「あんな美人がこんな店で働くなんてなぁ……」
男たちのざわめきと視線の中心にいるのは、ナイア・バーシュだった。
鮮やかなラベンダー色の髪を揺らし、黒いレオタードの衣装は、彼女の豊満な胸元を危険なまでに強調している。白いカフスとカラー、そして頭に乗せたウサギ耳。
黒艶で長い脚を包むのは、網目の細かいフィッシュネット・ストッキング。
その上に履いたピン・ハイヒールが、歩くたびにコツコツと床に高い音を鳴らす。
「いらっしゃいませ♪ 追加のお飲み物はいかがですか?」
ナイアが微笑みかけると、客席のあちこちから注文の声が飛ぶ。
彼女は器用にトレイを操りながら、テーブルの間を縫うように動き回った。
ワイヤーで固定されたカップの中身は辛うじてその場を保っているが、それでも、見ている者に想像をやめさせない。あれほどまでに揺れ動いていれば、次の瞬間には内なる何かがこぼれ落ちるのではないかと、野郎どもが息を呑んで見つめている。
「お姉さん! こっちにも来てくれよな!」
「新入りか? どこから来たんだ、お嬢ちゃん」
「今度、一緒に飲まないか? 奢るよ」
客たちの視線と言葉に、ナイアは慣れた様子で微笑みを返す。
軽やかなステップで次のテーブルへ向かう途中、彼女は店の隅のカウンター席に目を向けた。そこには見慣れた金髪の青年が、グラスを片手に座っている。
「――はぁ、またかよ……」
ジョニー・バーシュは、危なっかしい妹の姿を見て溜め息を吐いた。
手にしたウイスキーのグラスを一口にあおり、苦い表情を浮かべる。
寄港後まもなく「面白そうなバイトを見つけた」と言って出て行った妹。
まさかバニーガールの格好で給仕をしているとは思わなかった。
(やっぱり、アイツの趣味は理解できねえな……)
と、ジョニーは再びグラスに口をつけながら、今日の戦闘を思い返す。
青いの――確か、フィンといったか。あのパイロットの戦い方は異常だ。
〈ティルヴィング〉との戦いで、彼は全く恐れを感じている様子がなかった。
死ぬことが怖くないのか? つくづく不気味な男だ、とジョニーは思う。
表情が読めないどころか、まるで感情そのものが感じられないのだ。
躊躇なく敵の懐に飛び込み、ナイフ一本で巨敵を仕留めた技量もそうだ。
よく訓練された兵士――そういったものを超えて、もはや機械そのものだ。
冷静に考えれば、雇い主であるセレジア・コリンズもまた、胡散臭い。
(いずれにせよ、普通じゃねえ。あいつら……何モンだ……?)
「兄貴、飲んでるかーい?」
不意に背後から聞こえた声に、ジョニーは振り返る。
そこには息を弾ませたナイアが立っていた。
バニースーツの胸元、白い肌が汗で薄っすらと光っている。
「相変わらず、ふざけた格好しやがって」
ジョニーはジャケットを脱ぎ、投げつけるように彼女に被せた。
それを軽く羽織ると、ナイアは彼の隣の椅子を引いて、腰掛ける。
「ねえ兄貴、開拓者の次に天職かも! これ見てよ!」
ナイアはそう言うと、得意げに胸を張った。
すると、跳ねるように豊満なバストの谷間から、大量の紙幣がのぞく。
チップとして客からもらった金が、豊かな胸の間に挟まれていた。
「こんなにもらっちゃった!」
「仕舞えっての、バカ!」
無邪気に笑う彼女に、ジョニーはデコピンをお見舞いする。
「痛っ、何すんのさ」
「お前が悪い」
「あっそ。あーあ、フィンにも見せたかったなー」
「なんでアイツが出てくるんだよ」
「えー、いいじゃん」
そこで「あ、そうだ」と、ナイアが手槌を打つ。
「後で見せたいから写真撮ってよ」
そう言って、自分のデバイスをジョニーに投げ渡す。
彼はさらに渋い顔をして、それをカウンターに置いた。
「冗談じゃねえ。絶対に嫌だ」
「なんでさケチ! 酔っ払い!」
「あーあ、めんどくせぇ……」
――それからも、大きなトラブルなく、ナイアは順調にチップを稼ぎ続けた。
一人だけ、彼女の尻を触った開拓者がいたが、それもジョニーが制裁した。
彼は立てなくなるまで顔を殴られて、店裏のゴミ箱に放り込まれることになった。




