第8話 リネアの刺繍
戦場は混乱の渦だった。
セルヴァンは先陣を切り、猛る異民族の戦士たちと刃を交える。
鋼と鋼が激しくぶつかり、血と叫びが飛び交う中、鋭い槍が彼の脇腹を狙った。
避けきれない。
そう思った刹那――
目を疑う出来事が起こる。
布越しに温かな感覚を覚えるとともに、槍が弾かれたのだ。
セルヴァンと対峙していた敵も、驚きで目を見張る。
セルヴァンがまとう鎧下の縫い目から、かすかな輝きが漏れる。
「……これは……」
思い当たるのはひとつしかない。
あのとき、リネアが丁寧に縫い付けてくれた、見慣れぬ刺繍模様。
まるで祈るように、彼女の指先が糸を紡いでいた姿が脳裏に蘇る。
――リネアの祈りが、俺を守ってくれている。
胸の奥に熱が広がり、セルヴァンの剣に再び力が宿る。
彼は雄叫びをあげ、部下たちを鼓舞しながら敵軍を押し返していった。
◇
戦が終わり、城門に凱旋の号令が響いた。
セルヴァンは傷つきながらも堂々と馬を進め、その背は疲弊しつつも誇りに満ちていた。
騎士団の帰還に、群衆たちは歓声を上げる。
もちろんその中に、リネアの姿もあった。
セルヴァンの無事な姿を目にして、胸を撫でおろす。だが次の瞬間、セルヴァンの視線が真っ直ぐに自分を射抜いた。
人だかりの中から自分の姿を捉えられたリネアの鼓動が高鳴った。
だがセルヴァンはすぐに視線を逸らし、背筋を伸ばして歩を進めた。
午後から開催される凱旋の式典へと向かっているのだろう。
名誉を讃える行事といえ、戻ったばかりなのに、ひと息つくことも許されない。
騎士団とは誇り高く、なんて過酷なのだろう……。
(毅然としているけど、疲労がお顔に現れている……)
セルヴァンに敬意を感じるとともに、視線を逸らされてしまったことに一抹の寂しさを覚えたリネアだった。
◇
夕方、仕立屋マルセルの工房にて。
セルヴァンが名誉を晴らしてくれたおかげで、客たちが戻ってきてくれた。
むしろ、以前より注文が増えたくらいだ。
めずらしく鼻歌を唄いながら、リネアは依頼された衣を仕立てていた。
セルヴァンから貰った裁縫バサミは使いやすく、滑るように布を割いていく。
カラン。
来訪を告げるチャイムが鳴る。
ハッとして扉の方を向くと、そこにはセルヴァンが佇んでいた。
「セルヴァン様……!」
嬉しさで、リネアは無意識に顔がほころんだ。
すくっと立ち上がってセルヴァンの方へと歩を進める。
「リネア……」
その声は、いつもの落ち着いた響きではなかった。安堵を託すような声色だった。
「リネアの刺繍が、俺を救った」
不意に告げられた言葉に、リネアは目を瞬かせる。
「わ、私の……刺繍?」
「槍が俺の脇を貫こうとしたとき……刺繍が光り、刃を逸らしたんだ。偶然なんかじゃない。あの時、おまえの指先が込めていた祈りが俺を守ってくれた」
リネアは小さく首を振る。
「わ、私はただ……セルヴァン様に無事でいてほしいと……そう思いながら、縫っていただけで……」
「俺にとって、お前は本当の魔法使いだ」
セルヴァンの穏やかな笑顔に、リネアの胸は熱でいっぱいになった。
自分の祈りが、誰かの力になれる。大切な人を守れる。――その実感に、心が震えた。
しばらく二人はお互いを見つめ合う。
リネアは、セルヴァンが昼間に凱旋したときと同じ服装であることに気が付いた。
(凱旋の式典を終えて、そのまま私のところへ来てくださったのね……)
……!
喜びを湛えたリネアの笑顔が、一瞬にして崩れた。
「そ、その腕は……!?」
彼の鎧の継ぎ目から、微かに鮮血の跡が覗いている。
リネアの驚いた顔を見たセルヴァンは、いま気付いたとばかりに、自身の腕に目を遣る。
「ああ、かすり傷だ」
「すぐに手当てを……!」
飄々と答えるセルヴァンに反して、リネアの顔は青ざめていく。
「心配ない。これくらい」
「駄目です! 戦が終わったからといって、身体を粗末に扱っていい理由にはなりません!」
セルヴァンの言葉に被せるようにして、リネアは言い放つ。
思いのほか強い口調に、セルヴァンは目を瞬かせた。
仕立屋の娘が、騎士団長である自分相手に一歩も引かない。
――リネアの新たな一面を見たセルヴァンは淡く笑った。
「……わかった。任せよう」
観念したように鎧の留め具に手をかける。
ぎしりと金具が外れ、厚い胸甲が床へと置かれるたび、二人の間の距離は自然と縮まっていった。
下に重ねていた鎧下を脱ぐと、逞しい腕と肩が露わになり、腕に走る傷跡からは血が滲んでいた。
リネアは息を呑み、布を取り出してそっと血を拭った。
指先から彼女の熱を感じたセルヴァンは思わず目を閉じる。
「ごめんなさい……痛かったですよね。 奥から救急箱を取ってきます」
そう言って、リネアは工房の奥へと消えていった。
セルヴァンはリネアが当てた布をぎゅっと握る。
戦場ではどんな痛みにも耐えてきたはずだが、彼女の手が触れるだけで、胸の奥の堅牢な鎧がほどけていくようだった。
「お待たせしました」
救急箱を持って戻ってきたリネアは、セルヴァンに椅子へ座るよう促した。
自身はその場に膝をつき、消毒液を含んだ綿をセルヴァンの傷跡へと当てていく。
リネアは慣れた手つきで、セルヴァンの腕に脱脂綿を当て包帯で包んだ。
傷を見るリネアの表情は憂いを帯びている。
「……そんなに俺を案じるのか?」
低く囁く声には、戦場では一切見せなかった揺らぎが入り混じる。
「当たり前です! だって、あなたは私にとって……」
勢いよく言いかけたリネアだったが、途中で言い淀んでしまった。
頬が赤く染まる。
セルヴァンは微笑まじりの吐息を漏らし、彼女の手を取って包み込んだ。
リネアはびっくりして目を見開く。
「俺はずっと、戦場にあってもリネアのことを思っていた。無事に生還し、早くお前のもとに戻りたいと――」
セルヴァンは一度区切ってから、ぎこちなく視線を逸らす。
そして意を決したように、リネアを真正面から見つめた。
「リネア。……これからは俺のそばにいてくれないか」
内側から熱が込み上げ、リネアの瞳が潤み、震える。
ずっと密かに、セルヴァンのことを思い慕っていた。
だが自分のような平民の娘が、気高き騎士団長のそばに居られるなど、ゆめゆめ思わなかった。
一辺倒の片思いなのだと、胸の内にしまっていた。
なのに……。
わずかに震える唇をおもむろに開き、言葉を返した。
「私もセルヴァン様と一緒に居たいです……」
セルヴァンは目を軽く細め、微笑んだ。
すくっと立ち上がったかと思うと、床に膝をおとし、リネアと視線を合わせる。
そしてそのまま、彼女を包み込むように抱き寄せた。
「ありがとう。もう離さない」
低く、微かに震える声がリネアの耳元へと落ちる。
リネアが顔を上げると、そこには自身を愛しむ眼差しがあった。
リネアはえもいえぬ安心感につつまれた。
窓辺のランプが、二人の影を柔らかに重ね合わせる。
夜の静けさの中、誓いの口づけが交わされた。
……永遠に続く幸せを祈るように。
そう、リネアは「祈りを紡ぐ仕立屋」なのだから。
【完】
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番外編も追加していきたいです!
また、エブリスタではリネアとセルヴァンの関係が深まる(R版)を掲載しています。




