第7話 糾弾
騎士団詰所に戻ったセルヴァンは、リネアに関する噂の出所を洗い出すよう部下に命じた。
「くだらぬ流言で街を乱す者は、騎士団の威信を傷つけるに等しい。徹底的に調べろ」
鋭い声に、部下たちは背筋を伸ばし、即座に動き出した。
やがて調査の結果、噂の発端が、どうやら領主代理ラウルであることが判明する。
彼はリネアに求愛したが断られた仕返しに、根も葉もない話を広めていたのだ。
セルヴァンの怒りは静かに燃え上がる。
「私情で一人の娘を貶め、職人の信用を壊す……見過ごせるものか」
セルヴァンは部下たちに向き直り、厳しい声音で命じた。
「この街で広がる噂について、公に糾す。リュザールで影響力のある者――住民代表者や商人たちを呼び集めよ。……もちろん、ラウル領主代理もな」
部下たちは一瞬目を見交わす。公の舞台で噂話を糾すなど、滅多にないことだからだ。
(このままリネアを陰で貶めさせておくものか……だが、あからさまに私情で動いていると思われては彼女に余計な火の粉が降りかかる)
セルヴァンはわずかに目を伏せ、そしてきっぱりと告げた。
「これは街の秩序のためだ。……断じて、特定の者を庇うためではない」
言葉とは裏腹に、その胸に渦巻いているのはただ一人の名誉を守り抜く執念だった。
◇
翌日。
リュザールの住民代表者たちは、騎士団の詰所前に集められていた。
セルヴァンは壇上に立ち、鋭い眼差しで群衆を見渡す。
その凛とした姿に、場は自然と静まり返った。
「今日ここへ呼んだのは、ある噂を正すためだ」
重々しい声が広場に響く。
「仕立て屋の娘リネアが、俺を利用し、権力を笠に着ている――そんな根も葉もない言葉が広まっていると聞いた」
どよめきが走る中、セルヴァンはさらに告げた。
「その噂の出どころにいる男を、ここへ呼んでいる。領主代理ラウル、前へ」
ラウルの顔が青ざめ、足を引きずるように壇上へと進んでいく。
「な、何のことか存じませんな……」
おどけて見せるラウル。
「とぼけるな。お前が広めていることは、既に調べがついている」
鋭い声に群衆が息を呑む。
ラウルは先程までの態度とは一転。
口元をニヤリと歪め「やはり、騎士団長直々に贔屓しているという噂は本物のようですな……!」と高らかに声を上げた。
セルヴァンは苦虫を噛み潰したように眉をひそめ、群衆は訝しげにヒソヒソと囁きあった。
だがその時――。
「……私が証言いたします!」
群衆をかき分け、一人の若者が前に進み出た。
ラウルの使用人――トマスだった。
「ラウル様に命じられて、リネア様の鎧下に細工をしたのは、この私です。けれど……どうしても胸が痛みました。リネア様は決してそんな人ではない……! だから、すべてを話すと決めました!」
広場がざわめきに包まれる。
ラウルは顔を真っ赤にし、「こ、こいつは私を陥れるための虚言だ!」と叫ぶ。
しかし、群衆の中から次々と声があがった。
「そうだ、リネア嬢はそんな人じゃない!」
「俺の外套を直してくれたときも、一銭も余計に取らなかった!」
「彼女は誠実な職人だ! 手玉に取るなんてありえない!」
「そうだ! そうだ!」
子供たちも大きく声を張り上げる。
住民たちの声が広がり、ラウルの抗弁はかき消された。
セルヴァンは一歩踏み出し、冷たく言い放った。
「聞いたか、ラウル。市井の者たちが誰よりもリネアを知っている。お前の虚言は、今日ここで潰えた」
ラウルは蒼ざめ、膝を震わせて立ち尽くす。
「リネアを侮辱することは、この俺への敵対と見なす。二度と彼女を貶める言葉を吐くな」
その声は刃のように鋭く、広場全体を貫いた。
リネアの名誉は、群衆の総意とともに守られたのだった。
◇
式が終わったあと。
セルヴァンは背を丸めて退こうとするラウルの肩を掴み、詰所裏へと連れ込んだ。
「ひ、ひぃっ……!」
人目のない裏路地。
セルヴァンは壁際にラウルを追い詰め、冷徹な眼差しで見下ろす。
「表では言わなかったが……一つだけ釘を刺しておこう」
低い声が耳元に落ちる。
「リネアに近付いたら――命はないと思え」
ラウルの背に冷汗が滝のように流れる。
声を失った彼に一瞥をくれ、セルヴァンは踵を返して去っていった。
残されたラウルは、石畳に崩れ落ち、震え続けるしかなかった。
◇
「セルヴァン騎士団が、私の噂を糾してくれた……?」
工房で噂が晴れたことをパン屋のおじさんから聞いたリネアは、目を大きく見開いた。
「ああ。リネアちゃん、すまなかった……。アンタの言い分を聞くことなく噂を鵜呑みにしちまって……」
パン屋のおじさんは申し訳なさそうに頭を下げる。
リネアは笑顔で「気にしないでください。噂が晴れただけでも嬉しいです」と返事をする。
頭の中にあるのは、セルヴァンの精悍でありながらも優し気な微笑みだった。
(噂のことは、セルヴァン様にお話ししていなかったのに……)
リネアに関する噂を、セルヴァン自ら公衆の面前で糾弾するのはリスクのある行為だ。
下手をすれば、誇り高い騎士団長が仕立屋の娘を贔屓している印象を、住民たちへ与えることになってしまう。
リネアを擁護することは、セルヴァンにとって何の得もない。
……どうか、セルヴァン様の身に火の粉が降りかかりませんように。
リネアは心の中でそっと祈る。
パン屋のおじさんが出て行ったあと、リネアは作業台の片隅に置かれた裁縫バサミへ目を遣った。
銀色の刃は、窓から射し込む月明かりを受けて、静かな光を放っている。
リネアはそっと、裁縫バサミを手に取った。
(……セルヴァン様が、私のために選んでくださったもの)
リネアは裁縫バサミを握る絆創膏だらけの手指に視線をおとす。
『俺はそれを何より美しいと思う』
セルヴァンの言った言葉が脳裏によみがえる。
「ありがとう……セルヴァン様」
彼はきっと、知らないところで何度も自分を守って来てくれていたのだろう。
その確信が、リネアの胸を熱くさせた。
◇
夜、感謝を伝えようとリネアは勇気を振り絞って騎士団本部を訪れた。
だが、門番から返ってきたのは予想外の言葉だった。
「団長は不在だ。急報を受けて、騎士団を率いて城を発った」
「……え?」
「北方の辺境で、少数民族の一派が武器を手に蜂起したらしい。団長は直ちに出陣した」
リネアの胸の奥がきゅっと締め付けられる。
まだ「ありがとう」を伝えられていないのに。
彼が危険な戦へ赴いてしまったのだ。
月明かりの下、騎士団本部をあとにしながら、リネアは自分の胸にそっと手を当てた。
……どうか、無事で帰って来てください。
感謝と不安、そして言葉にできない想いが絡まり合っていくのだった。




