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第5話 悪意の流布

 完成した鎧下を抱え、リネアは緊張しながら領主代理ラウルの屋敷を訪れた。


 先日、ラウルがリネアの店を訪れた際、彼はリネアに求愛したが、リネアはやんわりと断った。

 そのときの、彼の引き攣った顔が思い起こされる。

 何事もなく、終わればいいが……。


 領主代理ラウルの屋敷は、表門は大げさなほどに飾り立てられており、鉄細工の柵には意味もなく金の塗料が塗り込められている。リネアは早くも胸の奥に重たい感覚を覚えた。


 玄関ホールへ足を踏み入れると、眩しいほどの装飾が視界に広がった。壁には色彩のどぎつい絵画がこれでもかと掛けられ、棚には金銀細工の小物が所狭しと並べられている。どれも高価そうではあるが、調和という言葉からは遠く、悪趣味さが際立っていた。


 使用人によってリネアは、ラウルが待つ広間へと案内される。


 広間の椅子に鎮座していたラウルは、冷ややかな目つきでリネアを見遣る。口元が不敵に歪んでいた。


「ラウル様、ご注文の品でございます。……お納めくださいませ」


 リネアは丁寧に鎧下を差し出した。差し出した手が僅かに震える。


 ラウルは無言でそれを受け取る。その際にわざとらしく、リネアの手の甲に自身の手の平を重ねる。

 べっとりとした感触が、リネアの甲に伝った。


「おい、トマス。これを試着してみろ」

 ラウルは傍に控えていた使用人に向かって言い放った。


 従者はリネアが仕立てた鎧下をラウルから受け取り、部屋を出ていった。


 ラウルとリネアの二人きりになってしまった広間に、重たい沈黙が流れる。

 何かされないだろうかとリネアの口内がざらついた。


 しばらくすると鎧下を身につけた使用人が戻って来た。


 二人きりから解放されたリネアは少しだけほっとする。


 だが次の瞬間、鋭い声が広間に響いた。


「なんだこれは!」


 驚いたリネアは、従者が身に着けた鎧下へと視線を向ける。

 肩口の縫い目がわずかに引き攣っていた。ほんの少しの歪みだが、武具として身に着けるものとしては見過ごせない。


「そ、そんな……! 」


 仕立てた鎧下は、店を出る前に何度も不備がないかを確認した。

 相手は冷徹な領主代理。少しの綻びであっても、クレームをつけてくるかもしれない。だから、いつも以上に入念なチェックを行ったのに……。


「仕立屋マルセルの名に恥じぬ仕事と聞いていたが……この程度か?」


 リネアは顔を真っ青にして、深々と謝罪した。

「申し訳ございません。必ずお直しいたしますので……」



 しかしラウルは鼻で笑った。

「直す? この程度のことも一度で出来ぬのか。人気があるのはお前の腕前ではなく、セルヴァン団長の贔屓ゆえだと、やはり噂は本当だったか」


 予期せずセルヴァンの名が挙がったことで、リネアの肩が僅かに揺れる。


 ラウルはそれを見過ごさなかった。


「……やはり、セルヴァン団長と親密な関係のようだな」


 ラウルの腹の内に黒々とした感情が渦巻く。


 強く勇敢で、彫刻のように整った容姿の騎士団長セルヴァンは、老若男女問わずリュザールの人気者だ。さらに、王宮に提言できるほどの影響力すら持っていると聞く。

 血筋で言えば自分の方が格上であるのに、なぜセルヴァンのような男がチヤホヤされるのだと、ラウルは普段から不満を抱えていた。


(クソッ。あんな男、只の衛兵の一人ではないか。高貴さ、知性、品位、全てにおいて私の方が上だというのに……)

 

「リネア、領主家に恥をかかせる気か」


 怒りを滲ませるラウルに、リネアは血相を変えて首を横に振る。


「滅相もございません! 本日中に繕い、納品させて頂きます。代金も請求いたしません。なのでどうか……」


 ラウルは使用人に向かって「鎧下を」と言うと、使用人はその場で鎧下を脱ぎ、ラウルへと手渡した。


 脱衣した使用人を前にし、顔をそむけたリネアに向けて、ラウルは鎧下を放り投げる。


「もうよい」

 ラウルは冷たく言い放った。


「本当に申し訳ございません……」

 放り投げられた鎧下を抱えて、リネアは再び頭を下げる。


 俯いたリネアの視界に、ラウルのけばけばしいほどに装飾された靴が目に入った。

 気づいたときには自身の肩に手を置かれ、耳元にラウルの生々しい息が掛かる。


「リネア。女が一人でこのような仕事を続けるのは酷だ。夜も一人でさみしかろう。そして私は慈悲深い。惨めなお前を憐れみ、もう一度チャンスを与える。……私の屋敷で暮らせ」


 全身から粟立つような感覚を覚えたリネアは、目に涙を滲ませながら「ほ、本当に申し訳ございませんでした」と言い放ち、早足で広間をあとにした。


 背中に突き刺さる視線と、押し殺した笑い声。


 それらをすべて背負いながら、彼女はただ俯いて屋敷を出るしかなかった。


 ◇


 リネアがラウルの屋敷を訪れてから二日が経った。

 あの日は、店へ帰って来てからも寒気が収まらず、夜は悪夢にうなされた。


 心の中にざらついた気持ちを残しつつも、リネアはいつも通り依頼された衣を仕立てるべく、工房の椅子に座って針をチクチクと動かしていく。


 カラン。


 チャイムと共に客が工房へと入ってきた。

 見知ったパン屋のおじさんである。

 

 ラウルでなかったことに、リネアは胸を撫でおろした。


「いらっしゃいませ。ご注文の品の受取ですよね」


 リネアはすくっと椅子から立ち上がり、注文の品を持って、笑顔に客へと歩み寄った。


 だが、客に注文の品を渡したとき、わずかに視線を逸らされる。


「……あの、仕立てはお気に召しませんでしたか?」

 リネアはおそるおそる問いかけた。


「いや、物は悪くない。ただ――」

 客は言いよどみ、店の外へ視線を向けた。


「街では、アンタがセルヴァン様に取り入ってるって噂だよ。……若い娘一人で、あんまり派手にやるもんじゃない」

 言葉を残し、客は早足で去っていった。


 リネアの胸が締めつけられる。


 ……ラウル領主代理だ。


 誠心誠意、針を動かしてきたつもりだった。

 なのに――どんなに縫っても、どんなに美しい衣を仕立てても、権力者の捏造された垂れ込みひとつで積み上げてきた信用は瓦解される。

 無力感を突き付けられたリネアは震える手で、ぎゅっと拳を握りしめた。




 昼下がり。

 工房に、甲高いベルの音が響いた。

 顔を上げると、常連の商家の奥方が、険しい表情で立っていた。


 一抹の不安を覚えながらも、リネアは笑顔を作る。


「奥方様、ようこそ。お仕立てのドレスは、もうすぐ仕上がります」

 リネアはトルソーに掛けた美しく縫い上がったドレスを取り出した。


 だが奥方は、それに目もくれず鼻を鳴らす。

「――もう結構よ。他の店に頼むことにしたから」


「えっ……」

 手からドレスが滑り落ちそうになる。

 この奥方は、父母の代からの顧客だ。ドレスひとつの注文で、工房の一ヶ月分の収入がまかなえるほどの大口。


「な、何か至らぬ点が……」


「至らぬ? そうね。噂くらいは耳に入っているでしょう?」

 奥方は唇の端を吊り上げた。

「若い娘が騎士団長に色目を使っているとか、口移しで契約を取っているとか。そんな噂が立つ店の服なんて、着られたものじゃないわ」


 ぐさりと胸に突き刺さる言葉。

 否定しようとしても、喉が凍りついて声が出ない。


「誠意を持って作ってきたつもりです……どうか、完成までだけでも……」

 必死に言葉を絞り出す。


 だが奥方は冷たく首を振った。

「名の知れた者にとっては、衣服は評判そのもの。仕立てがどんなに美しくても、噂に染まった布では意味がないの」


 それだけ言い捨て、奥方は踵を返して出ていった。


 静寂の工房に、半ば仕上がったドレスだけが残された。


 白布の胸元に、リネアの涙がひとつ、ぽたりと落ちた。

 



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