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第4話 嫌な客

 リネアを怒らせてしまった翌日、セルヴァンはどうしても彼女に謝りたくて工房前までやって来た。

 

 工房の窓から、リネアが別客の応対をしているのが目に入る。

 針を持つ指は真剣で、笑顔は穏やか。――だが、自分に向けられたときのあの笑顔を、二度と見られないのではないかという恐怖が胸を掠めた。


 セルヴァンの足が止まる。


(……いや、今行けば余計に嫌われる)


 胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。

 普段は命を懸けて戦場に赴き、剣を抜くこともためらわないというのに。

 扉一枚を叩く勇気が、どうしても出てこない。


(戦場では刃を恐れぬ俺が……。リネアの涙一つに、剣を持つ手よりも震えるとは……)


 ――改めて出直そう。


 未練を断ち切るように背を向けた。

 それでも後ろから漂ってくる布や糸の香りが、彼の鼻先を掠め、足取りを重くさせる。

 

 

 ◇


 とある日の昼下がり。

 軽く昼食を済ませたリネアは、工房の窓辺にある椅子へ座って商家の奥方から依頼されたドレスを仕立てるために、針を動かしていた。

 ドレスはミシンで大方形作っているので、あとは細部をまつり縫いして仕上げるのみ。

 窓辺から入る光を受けて、操る針をキラキラと光らせながら縫い物をする姿は、まるで本物の魔法使いのようだ。

 

 セルヴァンが店を訪れてから、三日が経った。

 二日後にはお渡しできるとセルヴァンに告げた鎧下は既に完成しているが、彼からの来訪は未だない。

 

(先日は感情的になって、セルヴァン様に冷たい態度を取ってしまった……。セルヴァン様は私の身を案じてくれただけだというのに)


 あの時の自分の態度が、セルヴァンの足を遠ざけているのではないか。

 リネアは少しだけ不安に駆られてしまう。

 

 ……いえ。

 リネアは浮かんだ悪い考えを払拭するように、首を横に振った。


(まだ三日じゃない。きっとセルヴァン様はお忙しいのよ)

 

 

 カランッ。

 

 チャイムの音と共に工房の扉が唐突に開き、濃厚な香水の匂いが流れ込んできた。

 

「ほう……噂に違わぬ娘だ」

 

 現れたのは一人の男。豪奢な上衣をまとい、唇の端に自信たっぷりの笑みを浮かべ、手には豪華な花束を携えている。

 

 リネアは椅子からすくっと立ち上がり、男へと近づいた。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」


 男はリネアの問いには答えず、舐めるようなねっとりとした視線で彼女の頭からつま先までを見回す。


 リネアは嫌な予感がしつつも、相手は顧客。貼り付けた笑顔を崩さず、男の言葉を待った。

 

「んふっ」

 男はニヤリと目を細めて笑ってから「私は、領主代理のラウルと申す者」と告げた。

 

「リネア嬢、貴女の仕立ては領都でも評判ですよ。――いや、評判なのは針の技だけではないようですが」

 

 そう言ってラウルは、手に持った花束をずいっとリネアに差し出した。

 豪華絢爛な薔薇、可憐なガーベラ、凛としたユリ、主役級の花ばかりが束ねられている。

 リネアには、花たちが窮屈そうに見えた。


「こ、これは……?」

「お近づきの印です。どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 リネアはそっと手を伸ばし花束を受け取り、曖昧に微笑む。


 相手が領主代理とあれば、無下にあしらうこともできない。

 一刻も早く依頼を受け、帰ってもらおうと、リネアは要件を尋ねる。


「……それで、本日はどのような衣を仕立てればよいのでしょうか?」


「鎧下を一着仕立てて欲しいのだ」


「かしこまりました。では、カーテンの奥で採寸を」


 リネアは採寸スペースの方へと歩いていく。

 背後からは変わらず、体中に絡みつくかのようなラウルからのねっとりした視線が送られる。


 カーテンを閉めてから、リネアはメジャーでラウルの採寸を測ろうとする。

 

「腕を広げてください」


 ラウルは上衣を脱ぎ、内側に纏っていた下着までも脱ぎ捨てた。

 完全に半裸の状態となったラウルに、リネアは驚いて目を見張る。


「申し訳ございません、下着は着たままで大丈夫ですので」

「この方が身体にピッタリな物が作れるだろう?」

「で、ですが……」

「なあに。そう、恥ずかしがらずともよい」

 

 ラウルはニヤついた顔でリネアを見遣る。

 男慣れしていなそうなリネアの反応を楽しんでいるようだ。


 何を言っても、下着を着ようとしないラウルに、リネアの方が折れた。

 

 ……早く終わらせたい。

 その思いが、このまま採寸を続けることを優先させた。

 

「で、では……」

 

 リネアはメジャーをラウルの腰回りに当てた。

 が、ラウルは力を入れて腹を凹ませていたのか、途中ででっぷりとした贅肉が現れてメジャーの上に乗る。

 

「も、申し訳ございません。息を吐きだして頂いた状態で再度測らせてください」


「んっ、ふぅーーーっ」

 

 ラウルは腰回りを測るリネアに向かって息を思い切り吐き出した。


 胸元から漂う濃厚な香水の匂いと、吐息の生臭い匂いが入り混じって、リネアは咽せかける。

 

 涙目になりながらも、リネアは腰回りを測り終えた。

 気付かれないように、ふぅっと息を小さく吐き出す。

 

 採寸スペースに入ってからまだ十分も経っていないが、リネアからすれば、一時間くらいの出来事に思える。


「で、では次は胸周りを」


 色白の肌にふさふさとした体毛が、胸から背中にかけて一周している。

 少しだけ手を震わせながら、胸周りをメジャーで測っていると、ラウルが身体をこちらに寄せてきた。

 べとべとした感触がリネアの手にまとわりつく。


 リネアは咄嗟に手を引っ込めた。

 

「なあ、リネア。娘ひとりで生きるのはさぞ心細いだろう。どうだ? 私の妻になる気はないか? んんん?」

 ラウルは鼻息を荒くして、リネアに顔を近付ける。

 

 リネアは背筋に寒気を覚えて、二歩後ずさりしてしまった。


「……ご冗談を。私は仕立ての仕事だけで手一杯です」

 必死に笑顔を取り繕うとするも、顔が引き攣ってしまう。


 その瞬間、ラウルの瞳がかすかに細まり、暗い色を帯びた。


 だがすぐに、にやりとした顔に戻る。

 

「ふむ……まあ、今はそう申しておこう。だが気が変わったときは、いつでも私を頼るといい。あと、鎧下は急ぐので必ず三日以内に仕上げて屋敷まで持ってきてくれ」


 笑顔の奥には、こちらを見下げるようなひんやりとしたものが宿っている。

 ラウルは無駄に刺繍飾りの多いマントを翻して、店を後にした。


 リネアはラウルから受け取った花束に目を見遣る。

 正直ラウルには一切の好感を持てなかったが、せっかく頂いたのだから飾らなければ失礼だと思い、工房の奥の棚にしまってあった花瓶に水を入れて花を挿していく。

 だがリネアの持っていた花瓶は大きくないこともあって、すべての花が収まらない。

 なにせ、貰った花はすべて主役級の花ばかりだからだ。


 なんとかして花を花瓶に収めようとしたリネアの指に痛みが走る。

 薔薇の刺が刺さってしまったのだ。

 ただでさえ針仕事で痛めている指から、血が滲む。

 

 リネアは指を軽く舐めて、所狭しと花瓶に生けられた花を見ながら眉を曇らせた。

 

 

 



 



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