第3話 セルヴァンの思い
翌日、セルヴァンはふらりと仕立屋マルセルを訪れた。
口実は「鎧下の進み具合を見に来た」と自分でもわかるほど不自然なものだったが、どうしても気になって仕方がなかった。
工房の扉を開けると、細かな布地や糸に囲まれてリネアが机に向かっていた。
白い指先で針を操る姿は、静かな祈りのように美しい。
しかし、その指に貼られた小さな絆創膏が、彼の目にすぐ飛び込んできた。
「……リネア」
思わず声をかけると、彼女は驚いたように振り返った。
「セルヴァン様。お仕事の途中で……?」
「いや、少し様子を見に来ただけだ」
そう言いながら歩み寄り、彼女の手元を覗くと指には絆創膏が貼られている。絆創膏の下から、かすかに血の滲んだ跡があった。
セルヴァンの眉がわずかに寄った。
「やはり、無理をしているな」
セルヴァンは咄嗟にリネアの手を取った。
「痛っ」
無意識にセルヴァンの手に力がこもってしまい、彼女の手首を強く掴んでしまった。
「すまない……」
少し気まずくなったセルヴァンは視線を下へと落とす。
リネアが縫っていたのは、自分の鎧下だった。
相変わらず縫い目がほとんどなく、美しい仕上がりだ。
鎧下の胸元には、銀糸で施された盾の刺繍が入っていた。
「この刺繡は?」
リネアの頬が桃色に染まる。
「あっ。これは、私が勝手に施したものです。請求代金には含みませんので……」
はにかんだようにリネアは視線を泳がせた。
「ただでさえ忙しく、指がボロボロだろう。俺の鎧下に装飾など不要だ。そのせいで指の傷が増えるなど馬鹿げている」
リネアをまとう空気が僅かに震える。
そして、下唇を噛みしめて俯いた。
雰囲気の変化を感じ取ったセルヴァンは訝し気に「どうかしたか?」と尋ねる。
リネアは顔を上げて、きっ、とセルヴァンを睨みつけた。
その瞳は険しさを宿しながらも、僅かに潤んでいる。
リネアの感情的な表情を初めて見たセルヴァンはたいじろいだ。
リネアは反論しようと口を開きかけるも、言葉にならないのか、ただセルヴァンを涙目で睨みつけるだけだ。
「……他に御用がないなら帰ってください。二日後には必ずお渡しできるようにしておきますので」
冷たく言い放つリネアに、セルヴァンは胸が締め付けられる思いだった。
「ああ、忙しいところすまなかった」
それだけ言い残して、セルヴァンは踵を返し、仕立屋マルセルを出て行った。
リネアは涙ぐみながらその後ろ姿を見届けたあと、完成間近の鎧下を見詰める。
胸元に施した盾の刺繍は、セルヴァンが戦場に赴いたとしても、どうか彼を守ってほしいと祈りを込めて昨晩施したものだ。
リネアは、そっと銀糸の盾を指でなぞりながら「セルヴァン様のバカ……」と呟いた。
◇
店を出た後、セルヴァンは街を歩きながら先ほどの行動を反省した。
(つい加減をせずに、リネアの手首を掴んでしまった……。痛かっただろうし、さぞ怖かっただろう……)
リネアの手首は華奢で、自分と同じ人間とは思えないほどだった。加減を間違えると、ぽきっと折ってしまいそうだ。
だが、リネアはそれで怒る娘だろうか……。
手首をつかんでしまったあと、リネアは特に気にしてはいなそうだった。
彼女が怒った様子を見せたのは確か、自分が「俺の鎧下に装飾など不要だ。そのせいで指の傷が増えるなど馬鹿げている」と言ったあとだった。
セルヴァンが先ほどの光景を思い巡らせると、瞬時に自分を上目で睨みつけたリネアの姿が思い起こされた。
頬を桃色に染めながら、涙に濡れた少し赤い瞳で、睨みつける彼女の表情を。
……!
瞬間、セルヴァンの身体がぶわっと火照る。
(だ、ダメだ……! 不謹慎だが、先ほどの怒った顔は反則級に可愛すぎる!)
セルヴァンは自身の動揺を抑えるべく、頭を壁に打ち付けた。
ゴンッ。
セルヴァンは頭を壁に当てたまま、荒ぶった心臓を落ち着けようと深呼吸を行った。
だが高鳴った鼓動は収まることを知らない。
(……俺は戦場で幾千の死線を潜った。王の前でも一歩も引かなかった。それなのに……)
(リネアの涙目ひとつで、この有様か。……全く、俺はどうしようもなく彼女に弱い)
今までリネアの怒った顔を見たことがなかったセルヴァンは、不覚にも萌え死にそうだった。
セルヴァンがリネアと出会ったのは、三年前。
彼女が市場で男たちに絡まれているところを救ったのだった。
セルヴァンとしては、騎士団としての責務をまっとうしただけだった。
だが――。
「助けていただいてありがとうございます、セルヴァン騎士団長」
自分を見上げ、まるで春の陽だまりのようにふんわりと微笑む彼女を見た瞬間、セルヴァンは息が止まるような感覚を覚えた。
職務中であるにも関わらず、一人の男として彼女に興味を持ってしまったのだ。
話を聞くと、リュザールではそこそこ名の知れた仕立屋マルセルの娘だという。
たしか仕立屋マルセルはオーナーが他界し、廃業したのではと思っていたが、目の前の可憐な少女は一人で店を存続させると言うではないか。
この若さで両親を二人とも亡くし、たった一人で生きて行こうとするリネアを気の毒に思ったセルヴァンは、自身の鎧下を仕立ててもらうことを決めた。
正直、下心がなかったと言えば噓になる。
だが純粋に、困難にめげずに自身の腕ひとつで生きて行こうとする彼女に敬意の念を抱いたからでもあった。
実際、この三年間彼女を見てきたが、仕事に対する真摯な姿勢は一切揺るがず、妥協をしない――まさに”職人”そのものだ。
セルヴァンにとって、リネアは只の仕立屋の娘ではない。――自身が尊敬する大切な女性……。
そんな彼女を怒らせたとなっては、こんなところで萌え死んでいる場合ではない。
セルヴァンが顔を上げようとした矢先――。
「セルヴァン騎士団長!」
背後からの声にセルヴァンが振り返ると、そこには部下が立っていた。
口を真一文字に結び、普段の貫禄ある表情へと立て直す。
「どうした?」
「王宮からの指令で緊急の集会です」
「わかった」
セルヴァンは蒼い裏地のマントを翻らせ、おもむろに王宮へと歩いていく。
部下も後ろからセルヴァンのあとをついて行った。
(しかし、セルヴァン団長は先ほど一人で何をしていたのだ……? 自身の頭を壁に打ち付けていたように見えたが……)
怪訝に思う部下だったが、彼がその理由を知ることはなかった。




