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第2話 騎士団長セルヴァン

 昼下がりの市場は、買い物客で賑わいを見せていた。

 リネアは布地を買い足すため、仕入れに訪れていた。


「こんにちは」

 リネアは布売りのおばさんに声を掛ける。


「リネアちゃん、いらっしゃい」

 丸顔のおばさんは目尻を下げて微笑んだ。

 仕立屋のリネアと布売りは接点が多く、おばさんとは見知った仲だ。


「おばさん、布に触れてもいいかしら?」

「もちろんよ」


 リネアはそっと丸く巻かれた計り売りのコットン布に触れる。

 同じ素材表記であっても、生地によって感触の違うのが布の不思議なところだ。


 布はまるで生き物のようだと、リネアは思う。


 同じ染料で染めても、同じ素材で出来た生地だとしても、まったく同じものはひとつとしてない。

 まるで呼吸をしているかのように、てのひらに布たちの息吹を感じる。


「おばさん、この布を3メートルください」


 リネアは布と引き換えに代金を手渡す。


「リネアちゃんは今年でいくつになったの?」

「十九です」

「あら、お年頃ね。恋人はいるのかしら?」

「いいえ。仕事ばかりで、とてもじゃないけど恋人なんて……」

「あら。リネアちゃんなら、本気を出せばすぐに恋人の一人や二人できるわよ。あなた、街で美しいって評判なのよ」

「いえ、そんなことは……」

 

 リネアは首を横に振る。

 おばさんはきっとお世辞でそう言ってくれているのだろう。

 針仕事で指先は傷だらけ。時間が許す限り服を縫っているリネアは、美容に無頓着で、後ろで半分だけまとめたショコラブラウンの髪は枝毛が混じっている。

 顔立ちに華やかさはなく、「美しい」などという言葉は自分には無縁だ。


「ねえ、好きな人はいないの?」


 リネアの脳裏に浮かんだのは、昨日店を訪れた顧客――精悍な顔立ちをした騎士団長セルヴァンの姿だった。

 

 鼓動がドクンと逸る。


「えっと……」

 嘘をつけないたちであるリネアは、ほんのりと頬を赤らめて言い淀んでしまった。


 おばさんは目を輝かせながら「まあ! いるの?」と身を乗り出す。

 

 ――その突如。


「きゃあっー! 」


 甲高い悲鳴が響いた。


「財布を盗まれたわ!」


 群衆の中を、ひとりの男が駆け抜けていく。手には盗んだ金袋。

 道行く人々が避ける中、リネアはとっさに立ちすくんだ。


 その瞬間、重厚な声が市場に響く。


「止まれ!」


 疾風のように駆け込んできた影――セルヴァンだった。

 蒼い裏地のマントを翻し、男の進路を塞ぐ。


 逃げる盗賊が短剣を抜いた。人々が悲鳴をあげて後ずさる。

 だがセルヴァンは眉ひとつ動かさず、その腕をひねり上げ、一瞬で武器を取り落とさせた。


 男は地面に叩き伏せられ、動けなくなる。

 その一部始終はあまりにも鮮やかで、誰も声を上げることさえ忘れていた。


 セルヴァンは盗賊を騎士団員に引き渡す。


 騒ぎが収まると、周囲の人々は口々にセルヴァンの勇姿を称えて散っていった。

 その場にひとり立ち尽くしたリネアの、鼓動は早いままだ。


「セルヴァン騎士団長……」

 ようやく言葉を絞り出すと、セルヴァンはふっと視線を向けてきた。


「リネア!」

 セルヴァンはリネアの前に歩み寄る。


「本当に……怪我がなくてよかったです」

「おまえこそ、大丈夫か? 顔色が悪い」

 その声色には、戦場で部下を気遣うときのような落ち着きがあった。

 ……だが胸の内は、とうに落ち着きとは程遠い。

 人混みの中、彼女の姿を見つけただけで心臓が跳ね、声をかけるだけで喉が渇く。

 誰よりも無事を確かめたくて、思わず彼女の名を呼んでしまったのだ。


「平気です」とリネアは慌てて笑みを作り、手元の布袋を持ち直した。


 瞬間、セルヴァンの大きな手がそれを取った。


「えっ……」

「俺が持つ」

「い、いえ、大丈夫です。これくらい」

「鎧より軽い。工房まで持っていこう」

 何の迷いもなく片手で抱え上げ、セルヴァンはすたすたと歩いて行く。


 抵抗する機会を失ったリネアは慌ててその後を追った。


「ほかに買うものはないのか?」

「はい。布も調達しましたし、食料は家にあるので」



 通りを抜ける途中、セルヴァンは果物屋の前で足を止める。色鮮やかなリンゴが山のように積まれていた。

「これを二つ」

 セルヴァンは短く告げ、代金を払う。

「歩きながら食べるか」

 リンゴを一つ差し出されたリネアは、慌てて両手を差し出した。

「わ、私にまで……」

「俺ひとりで二つは食えん」

 ぶっきらぼうな言葉だが、どこか温かさを感じる。


 差し出されたリンゴを胸の前で抱きしめるように持ちながら、リネアは小さく息を呑む。

 

(……なんてことない、ただの気遣いなのに……嬉しい)

 

 胸の奥が熱を帯び、無意識に足取りまで軽くなる。


 セルヴァンは片掌で掴んだリンゴを一口齧る。

 瑞々しいリンゴを齧る音が新鮮で、リネアは隣を歩くセルヴァンを横目に見た。


 普段は冷静で折り目正しい彼の、リンゴに齧りつく姿が野生的で、つい見惚れてしまった。


「……どうした、食べないのか?」

 視線に気づいたセルヴァンは怪訝そうに尋ねる。


「あ、えっと……。リンゴを齧って食べたことがないので……」

「そ、そうか……」


 リネアは視線を自身の手の中にあるリンゴへと視線をおとす。


(せっかくセルヴァン様から頂いたリンゴ、私もここで食べた方がいいかしら……)


 小さな口を開いて、リネアはリンゴに齧りついた。

 セルヴァンほどではないが、シャキッとした瑞々しい音が鳴る。


 小柄なリネアが一生懸命リンゴに齧りつくさまは、まるでリスのようだ。

 

「セルヴァン様。美味しいですね」

 リネアがリンゴを頬張りながらセルヴァンを見上げると、彫刻のように美しい顔に少しだけ、この果物のような赤みが差しているような気がした。

 

「あ、ああ。そうだな」

 セルヴァンはさらにリンゴを齧る。


 それに倣ってリネアもリンゴを小さく齧った。


 隣を歩く騎士団長は、いつもの冷徹な鎧に包まれているはずなのに。

 その片隅から、ほんの少しだけ覗いた素顔が、リネアの心を掻き乱してやまなかった。

 

 





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