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第1話  仕立屋マルセルのリネア


 エルディナ王国の地方都市リュザール。

 灰色の石畳が遠くまで続き、早朝の市場ではパンを焼く香ばしい匂いと、果実を売る声が交じり合う。

 遠くの鐘楼が時を告げると、白い壁に赤茶の屋根を載せた家々の煙突から団らんの煙が上がる。


 街の中央には小川が流れており、川沿いには、仕立て屋や鍛冶屋が軒を連ね、リネアの小さな工房もそこにあった。木の扉には「仕立屋(テーラー)マルセル」と簡素な看板が掲げられ、清潔に磨かれた窓ガラス越しに、色とりどりの布が花のように並んでいる。


 カラン。

 澄んだチャイム音とともに、工房の扉が開かれた。


 振り返った瞬間、リネアの胸が高鳴る。

 そこに立っていたのは、陽光を背にした一人の男だった。

 鍛え上げられた体躯を纏い、堂々とした立ち姿からは一切の隙を感じさせない。


 だが、その鋭い印象とは裏腹に、リネアを見つけた彼の瞳は穏やかなものとなる。


「あら……セルヴァン団長。おはようございます」


「リネア。今日も鎧下を仕立ててほしいのだが」


 低く抑えられた声だが、彼女を呼ぶときだけは、どこか柔らかい。


「ええ、もちろん。以前作らせて頂いたのは三ヶ月前でしたね。採寸なさいます?」


「ああ」


 セルヴァンはそれだけ言うと、迷いなく店隅のカーテン奥へと歩を進める。

 その背中を見送るたび、リネアはどうしようもなく心を揺さぶられる。


 水で手を清め、メジャーと筆記用具を用意すると、彼女も静かに採寸スペースへと入って行った。

 

 

 ――地方都市リュザールを守護する「蒼銀騎士団」。

 その若き騎士団長であるセルヴァンが、初めてリネアの店を訪れたのは三年ほど前だ。


 リネアが、父母が残した「仕立屋マルセル」を自分が継ぐかどうかを決めあぐねていたときのこと。


 ◇


 あれは、父母を亡くして間もない頃だった。

 まだ十六だったリネアが、市場で仕入れをしていたとき。


 商人に値を吹っかけられ、戸惑っているところに、乱暴な男たちが割り込んできた。

「お嬢ちゃん、布なんて一人で買ってどうするんだ。俺たちが代わりに――」

 嘲る声に、胸の奥が縮み上がる。誰も助けてはくれない。そう思った、その瞬間。


「やめろ」


 低く響いた声が、リネアの肩越しに落ちた。

 振り返れば、鋼の鎧をまとった大柄な男が立っていた。

 鍛え上げられた体躯、蒼銀の紋章。市場の誰もが目を見張り、男たちはすぐに青ざめる。


「この娘は蒼銀騎士団が守る街の仕立て屋だ。二度と手を出すな」


 鋭い眼差しに一喝され、彼らは蜘蛛の子を散らすように消えた。

 市場に静けさが戻ったとき、リネアはようやく息を吐いた。


「……大丈夫か」

 振り向いたその瞳は、驚くほど優しかった。


 それが、リネアにとって、騎士団長セルヴァンとの最初の記憶だった。


 


 その日の午後、セルヴァンはリネアの工房を訪れた。

「外套を直してほしい」

 言葉は簡潔で、表情は険しいのに、どこかリネアを気遣う色があった。


 雨で濡れた外套の裂け目を、リネアは震える手で縫い直した。

 両親が亡くなったあと、針を持つことすら心細くて仕方なかったのに。


 仕上げた外套を羽織った彼は、少し肩を回して頷いた。

「悪くない。……いや、いいな」

 その声は、剣を褒める時のように真剣だった。


 そして、不意に口元を緩める。

「剣だけじゃ人は守れん。お前の針も、俺の剣と同じくらい強い」


 その言葉に、リネアの胸が熱くなる。

 リネアの針仕事を、本気で認めてくれた人は、セルヴァンが初めてだったのだ。



 リネアは針を動かすたびに思い出す。

 ――あのとき、あの人が差し伸べてくれた手と、言葉を。

 


 ◇


 カーテンの奥は狭い採寸用の小部屋。

 木の椅子と姿見、簡素な机が置かれているだけなのに、そこに立つセルヴァンの姿があると、不思議と空気が張り詰めて見えた。


「腕を広げてください」

 リネアが声をかけると、彼は素直に従い、堂々と腕を広げる。

 肩幅はリネアの両手では足りないほどで、メジャーを滑らせるたびに筋肉の厚みが布越しに伝わってきた。


「……動きにくくないですか?」

「いや、ちょうどいい」

 低い声が、リネアのすぐそばで落ちる。耳に届くたび、胸の奥がざわついた。


 背中に回り、裾を測る。手がセルヴァンの腰骨に触れそうになり、リネアは思わず息をのむ。

 こちらを振り返りかけたセルヴァンと、視線がぶつかった。

 その黒曜石のような瞳に見つめられると、リネアの鼓動が大きく響いてしまう。


「……すまない、手が震えているな」

「えっ、そ、そんなこと……!」

 リネアは慌ててメジャーを握り直す。けれど確かに、彼の体温に近づくたびに、指先が微かに震えていた。


 採寸を終えて後ろに下がると、セルヴァンは少しだけ目を細めた。

「丁寧にしてくれて、助かる」

 その一言と彼の優し気な視線に、胸がじんわりと熱を帯びた。

 

 リネアはその熱を誤魔化すように、「み、三日ほどお時間を頂けますか。新しい鎧下を作りますので」とセルヴァンに向かって言う。

 

「三日で出来るのか? 仕立屋マルセルは今や人気店。新規の顧客ならば一週間待ちだと聞いた」


 メジャーを持つリネアの手が止まる。


 両親が亡くなってしまったあと、十六歳の娘であるリネア一人で店を切り盛りすることは難しいため、店の存続が危ぶまれた仕立屋マルセルだったが、今ではリュザールで名の知れた人気店である。

 理由はふたつ。

 ひとつ目は、騎士団長であるセルヴァンが部下たちにマルセルを推薦したからだ。

 初めは騎士団員、そして彼らの家族、ひいては街中にマルセルの評判は広がっていった。

 ふたつ目の理由は、リネアの腕前である。

 リネアは若いが、腕は本物だ。

 才能と実力は、仕立て屋であった父を既に超えている。

 普段は大人し気な少女だが、ひとたび針を持つと、まるで女神が彼女に降りてきたかのように荘厳で神秘的な雰囲気を纏う。彼女が針を通し、縫った服は丈夫で、糸目がほとんど目立たなく、神の所業と言えるほどの完成度であった。

 

 

 そんなリネアは「魔法使い仕立屋(テーラー)」と呼ばれている。



「大丈夫です。セルヴァン様の鎧下は、最優先で取りかからせていただきますから」

 リネアはにっこりと微笑んだ。


 自分の依頼を特別扱いするリネアに嬉しさを感じるセルヴァンだが、同時に、彼女の真面目な気質を知っているために無理をしていないだろうかと心配になってしまう。

 女手一つで工房を切り盛りするのは、周囲が思う以上に大変なことだ。

 

「その気持ちは嬉しいが、あまり無理はしないでくれ」

 

 その言葉を言い残して、セルヴァンは工房を後にした。

 

 

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