プロローグ
美しい泉だ。水は見たこともないくらい透き通り、艶やかな草木は緑の宝石のようだった。
『ようこそ旅の者よ。いえ、勇者様」
水面から人影が浮き上がり、目を見張るくらいに絶世の美女がいた。
「あなたが泉の女神ですか」
『ええ、人は私をそう呼ばれています』
「ここを訪れ貴方から力を授かるように言われました。人類の天敵である魔王を討ち滅ぼすの必要なことだと」
女神は優しく微笑んだ。
『ええ、私は貴方のことをお待ちしておりました。魔王を討ち、この世界から争いを無くし平和をもたらすために』
「私はまず何をすれば良いのですか」
勇者と呼ばれた男は胸に手を当て真っ直ぐに女神を見つめた。その目には迷いもなく力強い心が秘められているのを女神は感じ取っていた。
『まず、貴方の覚悟を私に示させて貰います。これより精神世界で貴方に幾つかの試練を与え、乗り越えて下さい』
勇者は光に包まれ、精神世界へと導かれた。
最も体験しているのは本人のみで側から見れば目を瞑り女神の前で坐禅を組んでいる。女神はことが終わるまでその様子を見守っている。
『歴代の勇者が魔王と戦い、勝っても負けても魔王軍との争いは続いている。何故終わらないのか私にも不明、この泉から世界を見ていても人類が平和だったことも一度としてない。魔王を討ち滅ぼした勇者を何人も見てきたのにその魔王が長い時をかけて復活してしまう。一体何故・・・』
泉の入り口から足音が聞こえた。
女神の感覚が察知した。何か黒い反応が近づいていることを。
『誰ですか』
少なくとも勇者に手を出させるわけにはいかない。ことによっては自分がこの身を滅ぼしてでも守らねばならない。
(魔王がこの場を突き止めた?もしや、きっかけとはいえ勇者の中に眠る資質を目覚めさせることができるこの私、あるいはこの泉を破壊することで戦争に優勢に立てると考えたのか)
「見事なものですね。実に美しい」
まだ入り口に立ったばかりだからか、木陰に立っていて顔は分からない。しかし気配からして強敵であることが分かる。
(男の声、仮に勇者様の試練が終わったとして勝てるでしょうか。私が今まで見てきた中でもあの男の気配は魔王軍の中でも幹部クラス、それも四天王に匹敵していませんか?)
女神は歯噛みせざるを得なかった。圧倒的に不利な状況、勇者が無防備な状態で試練を与えながら守り抜きこの魔王の幹部と思わしき男と戦う。しかも自分の本体がこの泉であると向こうが知っているならば弱体化させることだって難しくない。
『ここは貴方がきて良いところではありません。早々に立ち去りなさい』
(そもそもですが、この付近一帯は魔族に害でしかない聖属性を付与していて近づくことすら今までなかったのになぜこの男はここまで侵入できた?)
隠れて見えないが、男は顎に手を当てて首を捻っている。
「理由をお聞きしてもよろしいですか?ああ、先にお詫びを申し上げておきます。アポを取らず急な来訪をしてしまい申し訳ありません。どうやって連絡を取れば良いのか調べても分からなかったもので」
えらく丁寧に謝罪をされた。魔族は気性が荒く好戦的とされているが、こんな礼儀正しい魔族は女神でも見たことがない。勿論魔族にも色々いるのだから少なくともこの男のような魔族がいてもいいのかもしれないが。
「それでその理由をお聞かせいただいても?」
『貴方は魔族ですよね。この男を倒しに来たのではありませんか?それともこの私を滅ぼしに』
「ふむ、そんなことして何になるのですか?」
『え?』
男は全く姿勢も表情を変えず(見えないが)に淡々と喋り続けた。
「おっしゃる通り、私は魔族です。ですがここに来たのはただ単に人族の住むところや神聖な場所を見に来ただけです。仕事と個人的な趣味を兼ねていますが、貴方を害そうなどと思ってはいません。そもそも貴方自身がこの世界でも貴重な存在なのは存じているのです。滅ぼしてしまったら次いつ貴方のような方と巡り会えるかわかったものではありません。ですから貴方をどうこうというよりもまずお話をさせていただければこちらとしてはありがたいのですがいかがでしょう」
(これは罠?こちらを懐柔させて近づく機会を伺っているのでしょうか)
「・・・とはいえ、今立て込み中だということを私も察するべきでしたね。今日の所は失礼させて頂きます。またお時間があればお話に伺いたいと思います」
言うだけ言うと魔族の男は踵を返して去って行った。
『・・・・・』
女神からしても今さっきの出来事に肝が冷えたが、あの男は一体何が目的だったのだろうか。
(まさか本当に話を聞きに来ただけなんてことは)
「女神様、どうかしましたか?」
女神が気を取られている内に勇者が精神世界から帰ってきていた。
『え、ああ、大丈夫ですよ』
ついさっきこの場に魔王の幹部クラスの男が背後にいたこと、それもいつ首を刈り取られてもおかしくなかった状況など伝えても良いのだろうかと笑顔を繕いながら真剣に考えた女神だった。




