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ivy  作者: 雨上紡佳
7/8

夕方

 保健室を後にした私は、人が帰って減っていっている廊下を逆行して、教室に向かった。教室の扉は閉まっていたため、ゆっくり恐る恐る開いた。教室には、残っている人はいなかった。みんなは多分そそくさと帰ったのであろう、机がまっすぐ並んでいないし椅子もちゃんと仕舞われていなかった。自分の席に一旦ついて、黒板を見上げた。思っていること、感じたこと、全部一度整理したくて、イヤホンを取り出し自分の好きな曲を流した。三曲くらい聞いた後、落ち着いたなと感じて、イヤホンをしたまま俯いて帰る準備をしていた。シャッフルで音楽を聞いていて、一時期ハマったクラシックの曲が流れた。ベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」第二楽章。今の気持ちに近く、イントロから音に酔えた。音に酔いしれて、動きが止まりそうになったり動きが早くなったり。今ならどんな感情も受け入れられる気がするから、やはりクラシック音楽は奥が深いな、と感じていた。曲が終わる頃には、荷物もまとめ終わり、イヤホンをしたままスクールバッグを肩にかけて、誰もいない教室を背にした。

 さっき三曲ほど聞いていた時、実は考えていたこと、思っていたことがたくさんあった。もし保健室から教室に戻って、あの人がきたら。できるだけ無愛想な態度は取らないこと、とか。これに関して、結論は出なかった。うまく自分を表現できるか、に対して自信はなかった。けれど自分をウソで塗りたくるというだけの器量はない、ということはわかっていた。だから次会ったら、せめて謝ろう。つっぱねて追い返してしまったこと。あとは、ただ、私と過ごす時間に価値を感じてくれていたことも、ありがとうと言いたい。さっきまで先生と話したことが鮮明に思い出せて、なんか泣けてきた。ポロポロと数滴、大粒の涙をこぼし、バッグを持ってドアの方を向いた。「お、と……?どっか痛い?なんで、どうして泣いてるの?」柊とばったり会った。柊は心配そうに次々と言葉をこぼす。今度の私は、涙を袖口で拭き取り、柊のこぼした言葉を丁寧に掬って、言葉を選んで使った。「ごめんね、心配かけて。大丈夫、どこも痛くないよ。泣いたのは、私のこと……。」嘘じゃない、全部本当だ。私がうまく世渡りできないから。私の気持ちも全部蓋をしてきた結果。「あと……。」続きを話そうと思った時。柊は、誰もいない教室のなかで私を抱きしめた。とても優しく、そして力強く。彼の体は、暖かくて優しい柔軟剤のような香りがして、大きな背中に骨張った腕、男の子というより男の人という言葉が似合うような大きさだった。いつの間にこんなに変わったんだろう。柊は口を開いて「乙は、多分、強いんだろうね。」と言った。この人はやっぱり私のことはわからないんだろう、とたかを括っていた。続いて話し出す柊。「でも今、そんなことないんだ、ってわかったよ。乙は知らないところで、みんなが見ていないところで、苦しむこととかあって泣いちゃうような、女の子だったよ。」知らないうちに、また大粒の涙がこぼれた。この人はやっぱり違ったみたいだ。私のことを理解しようとしていた。わからないなりに、壊れモノを扱うように、優しく包み込む気があった。私は、膝から崩れ落ちてしまった。「お、っと……。」柊も私を支えるように一緒にしゃがんでくれた。そこまで面倒見てくれなくてもいいよ、私は大丈夫、といつもなら言っていた。私は柄にもなく柊に縋るように、ぼろぼろと泣き、抱き締めてくれた腕に甘えて相手の背中に腕を伸ばし、相手の制服のシャツを掴んだ。声を殺して泣きじゃくる私に、柊は付き合ってくれて、泣き止むまでずっと頭を撫でてくれた。その彼の優しさに、涙は止まることを知らなかった。

 泣いて30分くらい経っただろうか、空の夕焼けの朱が濃くなっていた。泣き止んで、少し経った時。泣いてしまったこと、胸を借りて泣いていた事実に少しずつ恥ずかしさが込み上げた。恥ずかしさで顔を上げられずにいると、柊が話し始めた。「帰ろっか、もう遅くなってるし、家送るよ。」声は淡々と、態度も毅然としながら言った。柊が立ち上がるのと同じタイミングで、私も立ち上がった。態度は一丁前だったくせに。私の目の前に見える柊は耳が夕日と同じように真っ赤に染まっていた。泣いてしまったことより、柊のちぐはぐな態度に少し可愛いなと思った。「うん、ありがと。」柊の優しさに触れて、素直に思ったことを答えた。目を腫らしたまま笑う顔を、人に見せたのは初めてだ。記憶のない時間は知らないが、少なくとも記憶があるうちは、この顔を親も見たことないはずだ。それでもなぜかおかしい気はしなかった。むしろこの感覚が自然であるかのようだった。「行こう。」柊に手を差し出された。不格好だったが、私には、「甘ったるい恋愛」の一コマみたいで、王子様が迎えにきたみたいでなんだか嬉しかった。素直に嬉しかった。その手に指先を添えると柊は強く握って、離さないと言いたげな様子だった。それが想像よりも心地よかったのだ。不器用でも伝えようとするその姿に正直感動した。

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