【文フリ東京40サンプル】壁一枚の遠い距離
昼間と夕方の合間の時間、ぽかぽかとひだまりの出来るその場所。西日が射し込むこの場所は、もう少し時期が進めば、この時間になればきっと薄暗くなってしまうのだろうけれど。
それなりに広い校舎の中でも滅多なことでは人が寄り付かない特別教室の集まる棟の、階段を上り切る六歩前。
壁に貼り付けられた手のひら大のメモ用紙には、「寒暖差アレルギーがしんどいです」と書かれていた。
あまりにも共感しまくった俺は、この頃愛用しているメモブロックの一番上に、「めちゃくちゃわかる。一日で気温十度変わるとか本当に勘弁してほしい」と書いて、様々な濃淡で青のラインが描かれたマスキングテープでそれを同じ場所に貼り付けた。
ちょっと前までは寒くなってきたね、という話をしていたし、秋の花粉にやられてしんどいという話もした。そんな時事のような話だけじゃなくて、最近話題の歌手の中で誰が好きかという話もしたし、気になる漫画の話をすることもあった。とにかく『彼女』とするメモの交換の内容にはとりとめがない。
だけどその会話が尽きることはなかった。なんだかんだ言ってお互いが「そういえば」というようなタイミングで次の話題を提供して、そしてお互いがそれに食いつくようにしてメモを書くのだ。きっと『彼女』も俺も、なんとなくこの秘密の会話が楽しくなっていたのだと思う。
こうしたやり取りをするようになったきっかけは約三ヵ月前、『彼女』の落とし物を拾ったこと。元々この場所は俺の憩いの場だったのだけれど、そこに誰かが来ていることに驚いた文化祭の日だった。
8.
「千隼! いつもの頼むわ!」
クラスメイトのひとりが掛けて来た調子の良い声に頷いて、打ち上げを開始する音頭を取るために、その場に立ち上がる。外で打ち上げをされて、酒だのなんだのに手を出されるよりよっぽど良いという理屈で、体育祭と文化祭の日だけは下校時間が延長されるのが習わしである我が都立菖蒲高校、通称アヤ高では、既に様々な教室からドンチャン騒ぎを開始している声が響いていた。
「未成年の俺たちはシャンパンってわけにはいかないけど、手にしたカップに入ったオレンジジュースは、きっとどんな高級なシャンパンよりも綺麗だし美味しいよね」
二年三組の教室のど真ん中、いつもは整然と並んでいる机を四方に避けて椅子だけを集めたそこに立った俺は、『求められている』言葉を選んで、喋り出す。
「よっ、アヤ高ナンバーワンホスト!」
「ありがとう。今夜は君を帰したくないんだけど、最後まで付き合ってくれるかな」
合いの手のような声に、ウインクをしながら返す。相手が男でも構わず手を抜かず、『ホストキャラ』を崩さないで口説くように言うのがポイントだ。言いきれば、テンション高く「フーゥ!」なんて煽る声が揃ってあがった。
「さぁ、楽しい時間はこれからが本番だよ。カンパーイ!」
高校生特有のノリと勢い、加えて今はお祭り好きな我が校が、ひときわ盛り上がる文化祭が終了した直後だ。ハイテンションになるなという方が無理な話で、ペコン、というプラスチックカップがあわさる独特の音を響かせながら乾杯をして、口々に「おつかれさま」と交わせば、ようやく一仕事終えた気になった。
「ちーはやー」
「ん?」
「今日も大人気だったな! 見事に赤字回避!」
「神様、仏様、千隼様ってねー」
「あはは、ありがとう」
「ほんっとすげぇよなぁ。その顔面は言うまでもないけど、よくあんだけ褒め言葉がぽんぽん出て来るよな。男女関係なく」
「思ったことを言ってるだけだからね」
「お前本当、卒業したらホストになった方がいい」
「天職だな!」
ケラケラと笑う声が教室中に響いて、俺も一緒になって笑った。
この高校で、俺こと立花千隼は『自分の顔面の造形の良さを自覚しているプレイボーイ』ということで通っている。自分では運がよかった、としか言えないけれど、世間的に見て俺の顔面はいわゆるイケメンに分類されるのだ。中学時代は全力でジャンプする部活に精を出していたおかげか、それなりに身長が伸びたこともプラスなのだと思う。
あたりさわりのない会話が得意で、男女共に褒める言葉だけはぽんぽん上手に言える俺は、将来はホストになるべき、とクラスメイトたちからはさんざん言われている。それを否定も肯定もせずに曖昧に笑って流すと、「ほら、このほほ笑みで流せるんだからイケメンってずりぃよ」なんてツッコミを入れられるところまでが、このクラスになって半年経った今では様式美となりつつある。
入れ替わり立ち代わり、俺の隣には人が来る。チャラついたプレイボーイなんて男女どちらからも嫌われそうなものだけど、この高校の生徒たちの良いところは、その本人が道理に外れたこと――例えば犯罪に手を染めるとか、誰かの恋人を寝とるとか――さえしなければ、面白がって友達になることをためらわないところだと思う。
それは例外なく俺にも適用されて、この『ホスト予備軍みたいなキャラクター』がムードメイカーとして面白がられた。だから俺には休日に遊びに行く男友達もいるし、授業で組めば滞りなく話せる女友達もいる。
「千隼ぁ!」
「んー?」
「よ、び、だ、し!」
「……参ったな」
テレビで見たことのあるホストの真似事、シャンパンコールをアレンジして披露していた俺を呼ぶのは、クラスメイトの声だ。にやにやとした表情と声からして、間違いなく女の子からのお誘いなのだろう。
こんな風に大盛り上がりしている中に突撃してくる子は、大体においてそれなりに自分に自信のある子が多い。困ったような表情を作って、背中にはやし立てる声を浴びながら教室の出入り口まで行けば、そこに立っていたのは予想通り同学年の野郎共の中で人気のある子だった。
ちょっといいかな、なんて恥じらう姿は可愛いと思う。俺だって健全な男子高校生なのだ、女の子が頬を赤くして目線を逸らす姿にちょっとくらい心は揺れる。
先導する彼女にくっついて行けば、立ち止まったのは二年生の教室が並ぶ教室棟の二階にある、出入り自由の小さな屋上だった。ひゅう、と頬を撫ぜる風はまだ暖かくて、長袖のワイシャツをまくり上げた。
「えーっと、俺になにか用事かな?」
「わかってるでしょ?」
質問に質問で返すような子との会話は好まないんだけどな、と思いつつ彼女を見下ろせば、勝気な瞳が見つめ返してきた。その目を見て、なるほど、と思う。
視線を逸らして周囲を探れば、どうやら見物人が複数いるらしい。ちらちらと髪の毛がドアの向こう側に揺れているのが見えて、ここで下手を打てば面倒なことになるな、と理解した。
だって、君、俺から付き合ってほしいって言わせようとしているでしょう?
「俺、好きな子いるんだ」
「えっ」
「だから君とは付き合えない。ごめんね」
一番無難な理由をくっつけて断れば、大きな瞳がこぼれるかと思うくらいに彼女は驚いた表情をした。そうだろうね、君くらい人気のある子だったら、雰囲気さえ作ってしまえば男から告白の言葉を引き出すことくらい、簡単だろうから。
でも、残念なことに君が今相手にしているのは『ホスト予備軍』と呼ばれている俺なんだよね。彼女に優しくしていたのは『そういうこと』なんだけど、わかってもらえていなかったようだ。――説明する気は、ないけど。
「……信じらんない」
「あはは、もったいないよね。俺もそう思う」
「だったら!」
「君には、俺よりもっと良い人がいると思うよ。叶いそうもない片思いをしてる俺なんかより、ずっとね」
精一杯苦しそうな表情をして言えば、彼女は納得してくれたらしい。この切り替えの上手さは良い女になりそうだな、なんて思う。
「叶うといいね、って言っとく」
「うん、ありがとう」
その片思いの相手は架空の人物だから叶うわけなんかないんだけど、女のプライドかなにかで覆った言葉で言った彼女に、礼を返してその場を離れた。
このまま教室に帰っても良かったけれど、こうして全力で気合いと表情筋を使った後は少しだけ疲れる。だからときどき『ホスト予備軍』を休みたくなる時に行く、校内でもあまり人が寄り付かない特別教室棟の最上階へと足を向けた。
ソールがゴムで出来ている上履きが鳴らす音は、革靴のカツンと響く小気味良い音には程遠い。ホスト予備軍が聞いて呆れる、なんてどこかで思ったけど、俺は高校生だし、そもそも将来ホストになる気なんてサラサラないのだから、別に良いんだよな、とも思った。
「……落とし物」
休憩所、とひそかに呼ぶそこに、見慣れないものがあることに地味に動揺した俺は、思わず声に出して呟いていた。ピンク一色で塗られた、シンプルなボールペンだった。
このまま放置しておけば、きっとほこりを被るか用務員さんによって捨てられるかどちらかの運命をたどることになるだろうけど、なんだか使い込まれている様子のそれが、そのどちらかの道を進むのは忍びない気がした。ポケットに突っ込んで、職員室へと回れ右をする。
あちこちから聞こえてくる笑い声をBGMに、校内を散歩するのは意外と悪くなかった。
7.
日曜日を挟んだ翌々日、文化祭の片づけ日。学校中総出であっちこっちに奔走しながら、午前中でどうにかこうにか見られる状態まで復旧を済ませると、あっと言う間に昼休みになった。
いつもならクラスメイト数人と購買に走って、売り切れになる前に惣菜パンやら弁当やらを買い込むのだけれど、今日はなんとなく休憩所で食事を摂りたい気分で、ひらひらと手を振って断りを入れた。
のんびりと歩を進めれば、一年生の元気な声や、三年生の受験に向けて本腰を入れて走り出した気合いと陰鬱が混じったような声、それからきっと一番呑気な二年生の声が聞こえる。こういう喧騒は、割と嫌いじゃない。
暦に従えばもうじき秋とはいえ、まだこの時期は気温も高い。降り注ぐ太陽光がぽかぽかと暖かいと言えば聞こえは良いけれど、正直言って暑かった。
「……律儀だなぁ」
前日と同じように、俺は声に出していた。傍から見れば怪しいことこの上ないだろうけれど、俺にとっては大事なことなのだ。土曜日に職員室に届けたボールペン、それはやっぱり持ち主にとって大事なものだったらしい。それなりに学校中で名前が知られていると自覚のある俺――ホストみたいなノリの高校生なんて目につくだろう――だから、もしかしたら真っ正面から突撃してくるかな、なんて思っていたのだけれど、一方でこんなところにわざわざ足を向ける人が、そんなに目立つことをするわけがないとも思っていた。
上り切った先には、今では使われていない机や椅子が積み上げられている。その机や椅子の向こう側には昔は開放されていた小さな屋上への扉があるらしいけれど、ここは言ってみれば『忘れられた』階段だ。ふたつ下の二階には現役で使われている音楽室があるから、そこまでは人が来るのだけれど。三階以上には、滅多に人は来ない。俺くらいだ。
だけど今日のそこ――正確には三階と屋上までを繋ぐ階段の壁――には、確かに俺以外の誰かがいた痕跡が残されていた。流れるような文字で「ありがとう」と綴られたメモが、白地にピンクと黒のラインが描かれているシンプルなマスキングテープで貼られていたのだ。
ペリ、とメモを剥がした音は思いのほかよく響いて、少しだけ驚いた。ここは遠くに声が聞こえるだけで、とても静かなことが唯一にして絶対の良いところだけど、それが当たり前になりすぎてそのありがたさを忘れていたらしい。
まじまじと手にしたメモを見れば、これを残したのがどこの誰なのかとか、そういった情報は一切ないようだった。控えめな人らしいことはよくわかった。そして、どうやらピンク色が好きらしい、ということも。
なんとなく、あのボールペンで書いたのだろうと予想出来るその文字が、気に入った。丸っこい字よりも、こんな風にはらいが長い字の方が俺は好みだった。
せっかくだし、と思ってそれを胸ポケットに突っ込んである生徒手帳に挟んだ。それから一番後ろの方にあるメモ用に無地になっているページを一枚千切って、「どういたしまして」と書いて剥がしたメモから拝借したマスキングテープで同じ場所に、貼り付けた。
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う-46/サークル名『6時41分』
器用な高校生の、不器用な恋を書いた短編です。
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文学フリマにお越しの際は、立ち寄っていただけると嬉しいです。




