夏のフリーマーケット
本格的に暑くなってきた。僕の高校では夏休み期間にフリーマーケットが行われる。出店するのは生徒だけではなく、申請をすれば地域に住んでいる人は誰でもできる。僕は今まで出店したことがない。それは今年も同じだ。今年は高校に入って3回目のフリーマーケット、つまり最後になる。これからも参加はできるが。記念に出店してみようかとも思ったが、出店の手続きが面倒なのでやめてしまった。
二日間にわたり行われるが、毎年人が多い。先生いわく、毎回出店する人の顔ぶれはある程度同じらしい。いつものメンバーに何組か新しい人が加わる。そう言っていた。僕は去年も見かけた魚屋の新田さん、花屋の吉野さんの前を通って、色とりどりの品々を眺めていった。物は違うが、顔ぶれはいつも通りだと思っていると、今までに一度も見たことのない人がいた。他と同様それなりに客がいた。僕もその人混みの中に混じってみると、出店していたのは同い年くらいの男の人だった。
彼は人にもみくちゃにされている僕に気づいたのかそっと声をかけてきた。
「いらっしゃい」
彼の目は決して笑っているようには見えなかったが、声は想像よりもずっと優しかった。彼との会話はそれだけだった。しかしまだここにいたい僕は人が少なくなるまで彼の売り物を眺めていた。
ついに彼の周りに人がいなくなった時、声を発したのは僕の方ではなく、目の前の優しい声の彼だった。
「気に入ったのはありましたか?」
他人行儀の敬語に少し悲しい気持ちになったが、そもそも他人だ。落ち込む理由などない。
「はい、全部素敵ですね」
彼が売っていたのは、古くなった本やそのまま言ってしまうとガラクタばかりで、日常的に使えるような物はほとんどなかった。しかし彼の売り物には全て魅力があった。売ってしまうのが少し勿体ないような気もしてしまう。
「どうして出品したんです?」
「もう要らないので」
彼から返ってきたのは、抽象的な理由だった。さっきからずっと少し冷たさを感じる彼の言葉は彼の声色で柔和された。もうしばらく眺めている間に彼のことについて知ることができた。
時任流生
大学1年生
読書が趣味
僕が時任さんのひとつ下であることがわかり、僕は敬語のまま、時任さんはタメ口で話すようになった。
「本が好きなのにこんなに売っちゃうんですか?」
時任さんの売り物はほとんどが本で、足元が見えないくらい積まれている。
「何十回も読んだから」
そうは言いつつも、売っている間も本を一冊取っては読んでいる。僕には手離したくないように見えて仕方がない。
「他、見ないの?」
時任さんはずっとここにいる僕をようやく不思議に思ったようで聞いてきた。
「時任さんの売り物は楽しいです」
「ただのがらくただよ」
そうは言うものの時任さんの顔に少し笑みがこぼれた。
フリーマーケットは夕方まで続いた。僕は終わるまで時任さんのそばにずっといた。大量にあった物は少しずつなくなってきた。時任さんも不思議に思ったのか整理をしつつ、独り言のように呟いた。
「まさかこんなに売れるとはな」
僕はその一言に少し笑ってしまった。
「売れると思って持ってきたんじゃないんですか」
「まさか。こんなガラクタ買う人なんていないと思った」
時任さんは終始不思議な人だった。
(売るためにここに来たのではないのかな)
僕は本に関する知識がほとんどないため知らなかったが、時任さんが売っている本はかなり昔のものから新しいものまであるらしい。古い本は日焼けもすごく、絶対に売れないと思ったと言っている。
「今日は邪魔してすみませんでした」
「いいよ。暇つぶしになったし」
時任さんは無表情で答えた。
その日、僕は帰ってからも時任さんのことを考えていた。
「ねえ、あんたいつまで風呂入ってんの!のぼせるわよ」
ずっと彼のことを考えていたらいつの間にか1時間以上経っていたらしい。俺が一番風呂のせいで次に入る予定の姉が怒り始めた。
「ごめん、今出る」
風呂からでると、鬼の形相をした姉が出迎えてくれた。
「あんた今日帰ってからぼーっとしすぎ。いつものことだけどさ」
姉は僕の思考を読み取ったかのような的確な指摘をしてきた。
「実はさ…」
僕は今日の出来事をすべて姉に話した。
「へえ、それでイケメンなの?その人」
「え、今までの話を聞いて第一声それ?」
僕は今日あったことを事細かに話したのにも関わらず、姉の最初の言葉には中身がなかった。時任さんは最初座っていてわからなかったがかなり背が高くて、一般的に見て外見はかなり良いだろう。僕自身も彼に惹きつけられてしまったと言える。
「まあ、かなりイケメンかも…」
「へえ、今度紹介してね」
姉は自分の部屋へと戻っていった。結局姉に時任さんの話はあまり響かなかったらしい。
話をし足りないまま僕自身も部屋に戻った。そして明日もフリーマーケットに行こうと準備のために荷物を整理した。
今日も僕はフリーマーケットを訪れた。昨日と同じ場所にはやはり時任さんがいた。昨日と同じでたくさんの本の数だ。足早に古本売りの元へ向かうとすぐに時任さんも気がついた。
「今日も来たの?」
時任さんは相変わらず無表情だ。
けれども僕が来たことを拒んではいないように感じる。
君も物好きだね。そう言って一冊の本をとり、読み始めた。
僕は邪魔しまいと静かに商品を眺めていたが、その様子が気になっていたのか声を発したのは意外にも時任さんだった。
「となり、座りなよ」
僕は戸惑って擬音のような言葉しか出てこなかった。
そっと時任さんのとなりに座ると、少し口角をあげた。
「暇なら相手してよ」
時任さんの持っていた本を覗き込むと、細かい字がずらりと並んでいた。
「何を読んでるんですか」
「『シャーロックホームズシリーズ』」
「面白いですか」
「いや」
面白くないと言う割には真剣に読んでいるから吹き出しそうになってしまう。
「面白くないのにどうして読んでるんですか」
「今は面白くないだけ。昔は面白かったよ」
僕は言葉の意味がわからなくて、黙り込んでしまった。それを見た時任さんはさらに言った。
「これはもう何十回も読んだから展開が分かりきってるんだよ」
本をとじ、題名を指でなぞるようにしながら言葉を続けた。
「なんなら台詞も言えるかもね」
時任さんは初めて歯を見せて笑った。
とうとう二日間のイベントが幕を閉じようとした。最後に残ったのは本ではなく、タイプライターの形をしたオルゴールだった。値段設定が高かったせいか、売れ残ってしまったのだ。それ以外は本当に全て売れたのだった。
「タイプライター残っちゃいましたね」
僕は時任さんの片付けを手伝いながら言った。
「高かったからね」
残念そうに話す一方で、どこか売れ残ったことに嬉しさを感じている気がした。最後のダンボールを潰し終わった時、目の前にオルゴールがあった。
「これあげる」
突然の事で声が出なかった。固まっていると、僕の手をとり、それを置いた。
「これあげる」
再び言った。
「でも僕…あの値段払えませんよ」
タイプライターのオルゴールは決して買えない値段ではない。学生でも買えるぐらいではある。しかし、僕のお小遣いでこれを買うのはなかなか難しいのであった。
「誰が売るって言ったんだよ。あげる、無料」
「えっそんな!悪いです」
僕は渡されたオルゴールを時任さんの手元へと戻した。
「持ち主があげるんだから受け取ってよ」
さらに僕の手を強く握り、そのオルゴールを渡してきた。ついに僕の方が折れて、それを両手で受け取った。なんの音楽が流れるのかは分からない。しかし、タイプライターの形をしたオルゴールはとても趣がある。
「ありがとうございます」
僕が一言礼を言うと、時任さんは小さな声で
「いいえ」
と言った。とても大人らしい声だった。
そしてついにフリーマーケットは終わってしまった。僕はこの期間限定のフリーマーケットが終わった後も時任さんに会いたいと思った。
「また会えますか?」
「どうだろう…俺こっちに住んでるわけじゃないから」
最終日になって初めて時任さんが地元の人ではないことを知った。
(だから見たこと無かったんだ)
物を売りたいと言ったら親戚がこのフリーマーケットを紹介してくれたらしい。
「じゃあ来年も参加しますか?」
おそるおそる来年も会えるかどうか聞いてみた。
時任さんは持ち前の柔らかい声で
「参加できたらね」
僕達は口頭でまた会う約束をした。確定ではないが。次に時任さんに会えるのは1年後。寂しいが、また会えると思ったらそれだけで幸せだった。
その日の夜、僕は再び姉に時任さんのことを話した。
「はあ?あんたね会いたいなら連絡先を交換すれば良かったじゃん」
「あ、そっか」
すっかり携帯という便利な物の存在を忘れていた。時任さんも連絡先を交換することを思いつかなかったのか、お互い少し抜けている。
「あーあ私も会いたかったな」
姉は独り言のように言い放ち、席を外した。
僕も部屋へと戻り、時任さんからもらったオルゴールを眺めた。形が魅力的なせいで、すっかり本来の機能を忘れていたため、今になってようやく音楽を流してみた。するとカチカチという音の後にゆっくりと「カノン」が部屋に響いた。僕はこの曲を背景にこの2日間を思い返した。考えてみれば不思議な話だ。ただ2日しか会っていない歳も違ければ、地域も違う彼。
1年後。
春から大学生になった。東京の大学に進学し、今は一人暮らしをしている。今日は出身校で夏のフリーマーケットが行われるため、実家に帰ってきた。去年交わした約束、時任さんに会うために僕は足早に高校へと向かった。
賑わいは去年と変わらなかった。やはり去年と同じ人がたくさんいる。僕は去年、時任さんがお店を出していた所へと真っ先に向かった。
しかし、そこには小学生の男の子とその母親と思われる2人しかいなかった。僕は時任さんのお店を探して、周り続けたが、どこにもいなかった。
(忙しかったのかな)
諦めて帰ろうとした時、声をかけられた。
「そこの兄ちゃん!ウチで見ていきな」
声のかけ方がどこかの商店街の八百屋みたいだ。
しかし並べられている商品をみたらどこもかしこもガラクタだらけだ。懐かしい。
「いやあちっとも売れなくてねえ」
元気なガラクタ売りのお兄さんが僕の目の前に出したのは豚の貯金箱だった。僕は笑うことも出来ずに小さく頷くと言葉を続けた。
「売るもんなんてないんだよ」
予想外の言葉に僕はつい質問してしまった。
「売るものがないのにどうして参加したんですか?」
この会話は去年も繰り広げられた。ただ相手が違う。去年は無表情、だけど声が優しい男性。今年は元気ハツラツ、声が大きい男性。どうも正反対である。
お兄さんは持っている貯金箱を床に置いて話し始めた。
「いやあ友達に頼まれたんだよ」
続ける。
「俺の友達が去年このフリーマーケットで出会った人がいるらしいんだけどその友達が来れないから俺が代わりに行けって。人使い荒いだろ?」
僕はもしやと思った。聞いている限りだと時任さんに近い。僕は人違いかもしれないと思いながらおそるおそるその人に尋ねた。
「その友達ってもしかして…時任琉生さんですか?」
お兄さんは元気よく、答えた。
「じゃあ君か!琉生の言ってた人は!」
時任さんは僕の一方的な約束を守ってくれたのだった。
「それで時任さんは元気ですか?!」
僕は食い気味にお友達の人に質問した。
「あー、君は知らないのか。琉生は去年の10月に亡くなったんだ。君に会った2ヶ月後だね」
「え…」
驚くあまりこの後に続く言葉が出てこなかった。
お友達の橘さんの話によると、時任さんは病気で余命宣告を受けていた。僕と会った去年の8月の時点で余命1ヶ月と言われていたらしい。家族や周りの人からは入院することを勧められていたが、どうせ死ぬなら自由にさせてくれと時任さんは願った。このフリーマーケットに参加したのは、好きだった本が近くにあると死にたくなくなるから手放したかったのだという。自分のお気に入りのものは全て目の前から消し去りたかったのだ。
「琉生が死ぬ前に最後に会った友達は俺なんだ。フリーマーケットで知り合った人がどうしても忘れられないって言ってた。たった2日しかいなかったし、特別なことは何もしてないのにおかしいだろ?って」
橘さんははにかみながら、すでに時任さんがいなくなった悲しみを吹っ飛ばしたかのように話した。
「そうだ、君に手紙を預かってきた」
カバンを漁り、出てきたのは白い封筒に入ったそれだった。
「渡せってうるさかったんだよ。あいつ字はずっと綺麗だったからちゃんと読めると思う」
僕は待ちきれず、封を切って橘さんの前で手紙を読み始めた。言っていた通り、少し拙くはあるが、綺麗な字であるのに変わりはなかった。
「フリーマーケットの君へ
フリーマーケットに行けなくてごめん。行けるかなって思ったけど全然無理だった。あまり長く話すのは辞めようと思う。ただ1つ。君に」
その先に連なっている言葉こそ僕は最も時任さんらしいと感じた。
「本をたくさん読みなさい。世の中には面白い本がたくさんあるのに読まないなんて勿体ない。僕の分まで多くの本に出会って良い経験をしなさい。説教みたいになっちゃったけど、君が幸せな人生を歩むことを願ってるよ。ありがとう。
時任琉生」
最初で最後の時任さんからの手紙は嬉しい反面、別れの挨拶でもあるため悲しかった。もう会えない、手紙も貰えない、何も出来ない。
考えるだけでずっとずっと苦しい。
今日という日が来るまで、1年間会えるのを楽しみにしていたが、早い段階で既に時任さんはいなかったのだ。僕はそれも知らずにただただ生きていた。こんなにも苦しいことはあるだろうか。
「悲しいよなあ。俺も泣いたもん」
橘さんのこの言葉に今まで我慢していた涙がどっと溢れた。僕は声が漏れないように我慢しながら静かに泣いた。それにつられながら橘さんの目も少し赤くなった。
日が暮れ、僕達は別れることとなった。橘さんとは連絡先を交換した。去年は時任さんと交換出来なかったが、今年こそは忘れなかった。
いつでも連絡しなよと橘さんは言い、僕は学校を後にした。僕の目はまだ赤い。泣いたのがバレないようにできるだけ下を向いて歩いた。
去年の出会いは二度とない素晴らしい経験だったと思う。
夏のフリーマーケット。
去年も今年も合わせて手に入れたのはタイプライターのオルゴール。僕の机にずっと置いてある。今日はこのオルゴールの音楽を聴けない気がする。きっと涙が止まらない。今度は涙がこぼれないように上を向いた。夕焼けが綺麗だ。こんなにも赤いなんて。今日の僕は真っ直ぐ家に帰る訳には行かなかった。寄らなければ行けないところがある。僕はゆっくりと歩いていき、いつもより時間をかけてその目的地に到着した。古本屋。
いかにも時任さんが好きそうな場所だ。時任さんが去年も売っていた本を手に取り、店主の元へと持っていった。
「あっタイプライター」
店主の隣には俺の家にあるタイプライターとは違う、本物のタイプライターが置いてあった。
「良いだろう?もう今はタイプライターなんて見る機会がないからね」
僕はしばらくこのタイプライターを眺めていた。
時任さんは初めてタイプライターを見た時どんな気持ちだったのだろう。
今日の僕はいつも以上に時任さんのことを考えてしまった。
「またタイプライター見に来てね」
店主がそう言った。
「はい」
せっかくの言葉に僕はその一言しか言えなかった。