第17話 滅びの開花
この作品は「東方Project」の二次創作です。
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
自然界には、毒が満ちている。
早朝の竹林は、しかし毒気など微塵も感じられないほどに清かである。
涼やかな夜明けの日光が、無数の竹に濾過される事で寒々しさを増し、メディスン・メランコリーの小さな全身を冷たく照らす。
永遠亭から、どれだけ離れたのだろうか。
自分が今、どこに向かっているのかも、メディスンは把握していなかった。
何も、わからない。
教えてもらえるわけはないが、語りかけてみる。
「…………スーさん……」
「はいはい、何かね」
竹の茂みが、鳴った。
白い、小柄な姿が、ひょっこりと出現する。
低空を飛行するメディスンの行く手を、地上から遮ろうとしている。
「私はスーさんとやらじゃないけどね、教えてやれる事はある。あんたの馬鹿さ加減とか、ね」
「……尾けて来た、ってわけ?」
「と言うより、回り込んだのさ」
にやりと、因幡てゐは微笑んだ。
「迷いの竹林で、私から逃げられるとは思わない事だねえ……さ、永遠亭に帰るよ。朝の散歩って事にしといてあげるから」
「……私が、帰る場所は…………」
「スーさんとやらが、あんたを受け入れてくれると思うのかい?」
てゐが、姿を消した。
白い、小さな兎の少女など、どこにもいない。
いるのは、白色の巨獣である。
熊の如く巨大に肥え太った、白兎。
まさしく地上にいながら、飛行する者の行く手を阻んでいる。
『たくさん殺さなきゃいけないんだろう? だけど……お前さんには、それが出来ない。出来ていない』
声が、まるで弾幕の如く、メディスンを威圧する。
『諦めなよ毒妖怪。あんたにはね、スーさんとやらのお役に立つ事は出来ないのさ』
「…………黙れ……」
『あんたは、もう永遠亭にしか居場所が無いんだ。その毒を薬として役立てる生き方をしな。うちの先生に、全てを委ねるんだよ』
「黙れ……だまれっ、だまれぇええええええッ!」
殺意、以外の何もかもが、メディスンの中からは消し飛んだ。
白い巨獣の威圧感に抵抗するには、殺意を燃やすしかなかった。
この巨体を死に至らしめるには、どれほどの毒が必要となるか。
いや。計算する事に、意味はない。
自身の生命、全てを毒に変換し放出する。
迷いの竹林、そのものを枯死させる毒を。
そうメディスンが覚悟を固めかけた、その時。
全方向から、弾幕がぶつかって来た。
周囲。竹林のあちこちから、光弾の嵐が噴出している。
何名もの弾幕使いが、竹の茂みに潜んでいる。
その全員による、弾幕の一斉射が、メディスンの小さな全身を容赦なく直撃していた。
「覚えておくといい。永遠亭の兎はね、狩られる側じゃなく狩る側さ」
てゐは、小柄な少女の姿に戻っている。
同じような風体の、兎の少女たちが、周囲の茂みに見え隠れしている。
イナバと呼ばれる、永遠亭勤務の妖精たち。
迷いの竹林、限定の存在である。
「まあ、あれだ。うちで一番、狩りの上手い兎ちゃんは今ちょっと、家出の真っ最中なんだがね」
てゐの言葉をメディスンは、竹林の地面に墜落し倒れ伏したまま、聞かされていた。
「ぐぅ……っ……お、おまえぇええ……」
「痛い? 怪我しちゃった? じゃ、うちの先生に治してもらおうかねえ」
近付いてメディスンを引きずり起こそうとした、てゐの動きが、そこで止まった。硬直した。
声が聞こえたから、であろう。
「………春……」
熱に浮かされたように、呟きながら。
その少女は、ふよふよと低空を漂っている。
ふんわりとした白い衣服を身にまとう、妖精の少女。
いや、黒い衣服か。
「春ってね……死の季節、なんですよー……」
「何だい、妖精どもがトチ狂ってるのは知ってるけど」
てゐが、呆れ果てながらも警戒している。
「……あんたも、なのかね。春告精」
「生き物が、沢山生まれて……沢山、死ぬ……みんな腐って、土に還って、新しい生命の栄養になる……」
春を告げる妖精リリーホワイトが、秋に出現していた。
歌うように、妄言を垂れ流している。
「そうして生まれた生命もね、どんどん死んで……腐っていく……だから私、春が好き……」
妄言に合わせて、リリーホワイトの衣服も帽子も色が変わり続ける。
白から黒へ、黒から白へ。
白黒の明滅を繰り返しながら、この妖精は竹林に迷い込んで来たようである。
「みんなが生まれて、死んでいく……春が、大好き……うふ、うふふふふふふ春、春ですよぉー……」
「秋、なんだがね。今は一応」
言いつつ、てゐがメディスンを背後に庇う。
「何十年かに一度、竹の花が咲く……なんてのよりね。あんたが夏秋冬に出て来る方が、ずっと不吉だよリリーホワイト」
「夏も……秋も、冬も……ね。命が、いっぱい……いっぱい……死んでいくの……春に、私が咲くために……」
私、とは誰の事か。
リリーホワイト自身ではない。
メディスンは何故か、それが確信出来た。
「命は……みんな、私のもの……私の、栄養……」
春告精の可憐な唇から紡ぎ出される、その言葉は、誰のものか。
それはリリーホワイトの声でありながら、リリーホワイトの言葉ではなかった。
「……私……そろそろ、咲いても……いいわよね?」
「駄目だね」
てゐが、きっぱりと告げた。
「何を咲かせようとしているのかは、わからないけど……竹の花なんかより、ずっと良くないものだってのはわかる。お前さんの好きには、させないよ」
「好きに、させてよ……」
リリーホワイトの服と帽子が、真っ黒に染まった。
「私、ずっと我慢していたのよ? 咲きたいのに……咲けない……ずっと、ずぅっと、そうだったのよ。いい加減……私の好きに、させてくれてもいいじゃない……咲いたって、いいじゃない」
「何を言ってる……」
てゐには理解が出来ないだろう。
メディスンには、わかる。
今、全てが理解出来た。
「…………スーさん……」
呟きが漏れる。
「そう、新しい子を見つけたのね……私が、役に立たないから……」
「スーさんだって? この妖精が?」
そんな事を言いつつ、てゐも理解に至ったようである。
「いや……毒人形に、春告精。あんたらの、背後にいる奴が」
「役立たずの、私を……始末しに、来たのね……」
メディスンは微笑み、てゐの前に出た。
役に、立たない。
それが、今の自分だ。
何も出来ない。出来る事がない。
それは、とてつもなく不幸な事ではないのか。
メディスン・メランコリーという生まれたての妖怪の、それが最初の思考であった。
自分は今、この世に存在しないも同然なのではないか。
メディスンは最初、そう思った。
かつて自分は間違いなく、この世に存在していた、とも。
愛されていた。
自分は、必要とされていたのだ。
要る。それはつまり、居るという事だ。
だが。やがて自分は、要らないものとなった。
居ないものとなった。
そして、捨てられた。
愛されなくなった。必要と、されなくなった。
それは仕方がない、とメディスンは思う。
自分は、きっと何の役にも立たなかったのだろう。
「そんな私を、スーさんは拾ってくれた。役立たずの私を、頼ってくれた……のに私、何にも出来なかった……」
メディスンは、小さな両腕を広げた。
空中の、リリーホワイトに向かってだ。
「だからスーさんは、私を……殺す、のね? ありがとう。捨てられるより、ずっといい」
「何言ってんの、早くお逃げ!」
そう言いながら執拗に、てゐはメディスンの前に出ようとする。
守ろうと、してくれている。それはわかる。
だが、とメディスンは思う。
てゐは、知らないのだろう。
要らない、すなわち居ない。
そんな状態で存在し続けるのが、一体どういう事であるのかを。
「捨てられる……って、ね。そういう事なのよ? 兎さん。何の役にも立てないまま放置される……それなら、死んで消えちゃった方がまし……」
「お前さんの気持ちは問題じゃないんだよ毒人形。どうだっていい。ただねえ、自分が永遠亭の患者だって事だけは忘れないでもらおうか」
兎が、牙を剥いた。
メディスンは、そう感じた。
「……あんたに、勝手に死なれたらね。こちとら、八意先生に〆られちまうんだよっ!」
てゐの小さな身体に、何かが漲ったように見えた。
白い巨獣が、また出現するのか。
「みんな……みんな、死ぬ……私に、命をくれる……」
リリーホワイトが、歌うように笑う。
「どろどろした命……ぎらぎら、輝く命……みんなの命で、私は咲くのよ。咲き乱れるの。それが春……春、春、春ですよぉー。うふっ、ふふふふふ、うっふふふふふふ」
黒い衣服が、ひらひらと揺らめく。
春告精が、暗黒を身にまとっているかのようだ。
闇が、リリーホワイトの小さな身体から、迷いの竹林全域に振り撒かれつつある。
そう見えた。
「あはっ、あははははははは、きゃっははははははははは」
愉しげに嬉しげに笑うリリーホワイトの背後に、一瞬、メディスンは確かに見た。
黒い、人影を。
禍々しくも優美な、幽玄そのもののシルエットを。
「…………全員、お逃げ。毒人形ちゃんを運んで、今すぐに」
イナバたちに、てゐは命令を下した。
「これは駄目だ、下手するとみんな死ぬ……妖精の不死身なんて通用しない、命そのものを持って行かれる!」
命令通りイナバたちが、数名がかりでメディスンを担ぎ上げる。
「無駄よ……スーさんがね、みんな、みんな、殺そうとしてるんだから……」
抗わず、ただメディスンは笑った。
「誰も助からない……私も、あんたたちも……」
「きゃはははははははは、うふっ、あっはははははははははは」
リリーホワイトも、笑っている。
笑いながら、暗黒を振り撒こうとしている。
迷いの竹林に。
あるいは、幻想郷全土に。
何かを、リリーホワイトは言った。
聞き取れない。
ただ、見えたものはある。
涙の、煌めき。
愉しげに、本当に愉しそうに笑いながら、リリーホワイトは涙を流していた。
そして。言葉も、辛うじて聞き取れた。
「……………………逃げて…………」
大量の光が、ぶちまけられた。
黒服をまとう春告精の小さな身体から、まるで爆発したかのように弾幕が放たれたのだ。
光弾の嵐が、押し寄せる。
てゐも、イナバたちも、メディスンも、まとめて粉砕する勢いである。
白い巨獣が、出現した。
熊よりも大きな兎と化したてゐが、その巨体で、全ての弾幕を受け止めようとしている。
「……らしくない事、するもんじゃないわ」
何者かが、言った。
押し寄せて来た弾幕が、何かに激突し、砕け散った。
てゐを守る形に出現した、盾あるいは壁のようなもの。
布団ほどもある、巨大な呪符であった。
何枚ものそれらが突然、空中に貼り出されたかの如く現れたのだ。
そこへ光弾の嵐がぶつかり、跳ね返されて砕け、キラキラと飛散・消滅する。
呪符の壁も、力尽きたように消えてしまう。
『……あんたも、早起きかい』
白い巨獣が、縮んでゆく。
小さな兎の少女に、戻ってしまう。
「朝の、散歩ついでに……助けてくれたと、いうわけかね。博麗の巫女様が、しがない兎を」
「散歩、ね。ちょっと良くないお散歩をしようとしてたのは、あんたよねメディスン・メランコリー」
博麗霊夢が、ゆらりと進み出る。
「早起きして……何、人里へでも行くつもりだった? 毒を撒きに」
「……それを、やろうとして……出来なかった……」
イナバたちの手を振り払い、メディスンは言った。
霊夢を、睨んだ。
自分の毒を、眼光にも込められたら良いのに。
心から、そう思った。
「私……スーさんの役に、立てなかった……あんたが、あんたさえ、いなければ……博麗霊夢…………ッッ!」
「……そんなに、殺したいのね。命を、集めたいのね」
霊夢は、重々しく溜め息をついた。
メディスンの、あまりの愚かしさに呆れ果てている……という様子でもない。
そんなものは問題にならぬほど、深刻な事態に直面した。
今の博麗霊夢は、そのような表情をしている。
「お前は勘がいい……って、魔理沙は言うのよね。私に、よく」
黒衣のリリーホワイトを、霊夢は見つめた。
「そんな事ない、って私は思うんだけど。今回は、今回だけは……勘、と言うか最悪の予想が、当たっちゃった感じ」
「どういう事だい……」
てゐが訊いた。
「おかしな感じに花が咲いたり、毒人形みたいな妖怪が生まれたり、春を告げる妖精がトチ狂ったり……こんなのの原因が、あんたには予想つくって言うのかい博麗の巫女」
「春告精がトチ狂ったの、今回が初めてじゃないのよね」
霊夢は、お祓い棒をリリーホワイトに向けた。
「メディスン・メランコリーで上手くいかなかった事を、リリーホワイトにやらせようって言うのね……あの時と、同じく」
「ちょっと……やめなさいよ、博麗の巫女」
メディスンは言った。
「私の頭越しに……スーさんと、会話しようなんて。許さないわよ……」
「スーさん……なんだね」
てゐが、息を呑みながら声を発する。
「スーさんっていうのが、誰なのか……あんたには見えているのかい、博麗の」
霊夢は、すぐには応えない。
無言のまま、お祓い棒をリリーホワイトに……いや。彼女の背後に、向けている。
そこには、何もない。何もいない。
……否。黒い、優美な人影が一瞬、またしても見えた。
一言、霊夢は呟いた。
「…………西行妖……」




