第14話 神徳
この作品は「東方Project」の二次創作です。
原作 上海アリス幻樂団
改変、独自設定その他諸々 小湊拓也
いわゆる『口パク』ではない、と宇佐見菫子は見た。
東風谷早苗は、しっかりと本当に歌っている。
歌も、普通に上手い。加工されているのでなければ、だ。
ぼんやりとスマートフォンを見つめながら、菫子は思った。
今時の技術で、画像や音声の加工は、どれほど出来るものなのか。
不美人を、美人に出来るのか。下手な歌を、上手く聞かせる事が出来るのか。
別人を作り上げる事が、出来るのだろうか。
「やるかもね……守矢神社なら、ね」
呟いてみる。
教室の片隅で独り、守矢神社のPVを視聴しながらだ。
菫子の同級生である東風谷早苗が、歌わされている。踊らされている。
着せられているのは、白と寒色の巫女装束で、性的魅力を追求したデザインではない。
だが。
広い袖や裾が揺らめく度に、清楚な色香が撒き散らされて、画面外にまで漂い出して来るかのようである。
これは信者が釣れる、と菫子は思った。
数日前に上がった動画だが、再生回数は億に迫る勢いだ。
宗教法人・守矢神社の広告塔として、東風谷早苗は申し分のない仕事をしている。
仕事をすればするほど、嫌われてもゆく。
今この国において東風谷早苗は、最も知られた人間であり、最も信仰される人間であり、最も憎悪を向けられる人間であった。
「なー、ほんとマジうっざいんだけど。守矢神社」
騒ぎが、起こり始めていた。
教室の、窓側の席。
一人の女子生徒が、クラスメイト数名に取り囲まれている。
攻撃されている、と言って良い。
「あんたさぁ、家族ぐるみで守矢神社に入ったんだって? 何、壺とか買わされてんの?」
「俺らにも売りつけよーってんじゃねえだろうな? おい。壺とか変なグッズとかよ」
「なあ知ってる? 隣のクラスの沢村。アイツん家さあ、守矢に金貢いで破産しちまったんだと。で、父ちゃんが首吊って」
「……人殺し。どう思ってんのか、ちょっと言ってみろよ」
五人いる。
女子二人。小川美優、島野桜。
男子三人。木田浩一、加藤裕司、中村朗。
席に座ったまま俯いている一人の少女を、五人がかりで責め立てている。
責められている少女に関しても菫子は、顔と名前を辛うじて一致させる事が出来た。
根津倫子。
このクラスでは、菫子以上に目立たない女子生徒である。
身体も態度も小さく、こうして席に座って身を縮めていると、机と椅子の間に吸い込まれ消えてしまいそうに見える。
そんな、存在感の希薄な女子生徒を、わざわざ見つけ出して攻撃する。
まるで、小動物を巣穴から引きずり出し、いたぶり殺すようにだ。
そういう事をしないと、心の安定を保てないという人間は、確かにいるのだ。
菫子はワイヤレスイヤホンを外し、騒動に耳を傾けた。
「おめえよ、どーせ売春やって金稼いで守矢に貢いでんだろ? 俺らも買ってやるよ」
「百円でいいよな、二百円? まあいいや五百円やるからよ」
「ばっちり撮ったげる。オイ逃げようとしてんじゃねーよ守矢のクセによぉおおお!」
小川の罵声が、響き渡る。
根津は、ただ泣き出しそうになっているだけだ。
泣いても、誰も助けてはくれない。
教室内の生徒たちは男子も女子も、見て見ぬふりをしている、と言うより何も起こっていないものとして振る舞っている。
菫子も、含めてだ。
当然であった。
面倒な思いをして、助ける。
そこまでの魅力が、根津倫子には無いのだから。
自分にも無かったのだろう、と菫子は思う。
少し前までは、自分が、今の根津倫子だった。
そうではなくなったのは、人死にが出たからだ。
数日前。
小川や木田たちが今、根津にしている事を、菫子にしようとした者たちがいた。
ほぼ全員が、死亡した。
純然たる事故死である。校舎の一部が突然、崩落したのだ。
それ以来、菫子におかしな絡み方をしてくる者は、いなくなった。
話しかけてくる者も、いない。
菫子にとっては、願ったり叶ったり、理想と言うべき状況であった。
元より、学校に友達など求めてはいない。
今この世に、自分と友達になれる人間などいない、と菫子は思っている。
根津倫子は、小川ら五人によって、友達に認定されてしまったのだ。
気の毒だが、どうしようもない。
助けてやる、理由がない。
正義の味方になるつもりが、菫子にはなかった。
「……ユナ・ナンシー・オーエンとは違うから、私」
ただ。
そのような事とは全く関係なしに、ここで今から事故が起こる。
窓ガラスが突然、砕けて飛散し、木田、加藤、中村、小川、島野の首筋に突き刺さるのだ。
不運としか、言いようがない。
「まあ……守矢の神様がお怒り、という事で」
菫子が眼鏡越しに窓を睨もうとした、その時。
「やめて下さい」
クラスメイトが一人、教室に入って来た。
俯いていた根津が、顔を上げ、か細い声を弾ませる。
「…………かぜほうり……さま……」
風祝。
現在、この地球上で、そう呼ばれている人間は一人しかいない。
「どうか、やめて下さい」
もう一度、東風谷早苗は言った。
まず険悪な声を発したのは、小川である。
「ふーん……やっぱ、庇っちゃうんだ? 守矢同士。きもっ」
「見たよ見たよぉ、こないだ出たばっかのPV」
木田が、へらへらと絡んでゆく。
「何、アイドルデビュー? 音楽配信とか、しちゃうわけ? 大儲けじゃん守矢神社」
「なーなー、もっと際どいの着なよ守矢のアイドルちゃん。つうか脱げよ、どうせアレだろ? いろんなとこの社長とか政治家とかにヤらせてんだろうがぁ!?」
加藤が、無遠慮に手を伸ばしてゆく。
その手をさり気なくかわし、東風谷早苗は微笑んだ。
画像加工の必要などない、神々しさすら感じさせる笑顔。
「品のない言葉は……貴方自身を、惨めにしてしまいますよ? やめましょう、加藤君」
「…………あ?」
「不安なのでしょう? 常に誰かを攻撃していないと、恐くて怖くて、心が圧し潰されてしまいそうですよね。わかります、あんな事があったばかりですもの」
睨む加藤の両目を、早苗はまっすぐに見つめた。
「不安に苛まれている、全ての人たちのために守矢神社はあります。信仰は、儚き人間の為に」
菫子は、確信に至った。
音声の加工など、されていない。
この東風谷早苗という少女、不特定多数の人間に聴かせる声の出し方を、どうやら訓練で身につけている。
かなりの訓練を、積んでいる。積まされている。
守矢神社の広告塔として、育てられてきた少女なのだ。
「不安も、不満も、怒りと憎しみ、愚痴も恨み言も、全て何もかも……守矢様は、受け入れて下さいます」
早苗の言葉が、教室内、全ての生徒の心に行き渡る。
それが、菫子にはわかった。
「お気軽に、守矢神社の鳥居をくぐってみて下さい。別にね、入信をお勧めしたりはしません。壺を売りつけたりも、しませんから。ね?」
早苗は、微笑んだ。
加藤も、木田と中村も、何も言えなくなっていた。
島野が、舌打ちをしている。
「……東風谷よぉ、あんまり調子乗んな? お前さ、二年の苑田センパイに目ぇ付けられてんだからな」
「会わせて下さい」
早苗の言葉に、挑発の意図はないのであろう。
「どなたであろうと私、会います。儚き人々の、心を学ぶために……それが守矢様の、思し召しですから」
「守矢、守矢……守矢もりやモリヤ守矢守矢! うんざりなんだよ、もう!」
小川が叫び、教室を飛び出して行った。
島野も、木田も、加藤と中村も、それに続いた。
早苗が、いくらか悲しげに、それを見送っている。
あの五人のような輩に対してさえ、この少女は敵意を持たない。
守矢神社の鳥居をくぐらせたい、というのは本心であろう。
「風祝様……」
根津倫子が、熱っぽく声を発した。
「ありがとう、ございます……私なんかの、ために……」
「……小川さんや木田君たちの事、どうか許してあげて下さいね」
早苗は言った。
「この世に、悪い人なんていないんです。ただ……不安や恐怖心が、人を変えてしまう。私たち守矢の使徒に一体、何が出来るのか。儚き人々の心に、どう寄り添ってゆけば良いのか。一緒に考え、共に歩んで行きましょう。根津さん」
「私が……私なんかが、風祝様と……一緒に、歩む……許されるんでしょうか……?」
「貴女も……それに私も、儚き人間です。何の違いも、ありませんよ」
茶番が始まった。
ただ、東風谷早苗は本気であろうと菫子は思う。
この少女は本気で、信仰を説き続けるのだろう。これからも、ずっと。
傍から見て、茶番劇にしかならないとしてもだ。
「おはようございます、宇佐見さん」
その東風谷早苗が、いつの間にか、菫子の隣の席に座っていた。
じっと、見つめてくる。
視線も挨拶も返さずに、菫子は言った。
「……あんたの席が、私の隣になったのって。守矢神社が、何か先生方に圧力かけたからじゃないかって思うんだけど」
「私のわがままです。貴女と同じ学校、同じクラスにしていただけるよう、私の方からお願いしたんです」
訊いてもいない事まで、早苗は話し始めていた。
「貴女は……守矢神社にとって、監視対象なんです。宇佐見菫子さん」
「光栄……」
「理由は、おわかりですよね」
早苗は言った。
「宇佐見さん、貴女は今……小川さんや木田君たちを、殺そうとしていたでしょう?」
菫子は思わず、早苗を睨んだ。
まっすぐに、見つめ返された。
邪気のかけらもない、真摯な眼差し。
自分の力で、この眼差しを粉砕する事は出来ない。
こうして、眼鏡越しに睨みつけたところで。
東風谷早苗の、頭蓋骨どころか眼球を破壊する事さえ、自分には出来ない。
それを菫子は、確信せざるを得なかった。
(私の、念動力なんて……東風谷早苗には、通用しない……まだ)
菫子は目を逸らせ、唇を噛んだ。
(この女に、勝てる……くらいじゃないと。幻想の世界には、行けない……)
「人殺しを、しないで下さい。宇佐見さん」
早苗の言葉に、菫子は無意味な反撃を試みた。
「守矢神社は……人殺しを、しないわけ?」
「しません。私が、させません」
早苗は、即答した。
「守矢様の御神徳は、人の命を守るためにあるんです」
木田浩一の上半身が、原形を失っていた。
島野桜の臓物が、広範囲に飛散している。
そんな殺戮の光景の真っただ中を、足取り軽く歩み進む一人の娘。
形良い左右の太股が、タイトスカートから現れ伸びて軽やかに躍動する。
「はぁい、こちらは守矢神社・警備戦闘班。私、所属の小兎姫と申しますわ」
片目を、つむって見せる。
校舎裏の空間で、小川美優も中村朗も泣きじゃくり、まともに喋る事も出来ずにいる。
どうにか言葉を発しているのは、加藤裕司ただ一人だ。
「ひぃっ、なぁっ! 何なんだよ、てめえはよぉ……」
「警備戦闘班。つまりは、守矢神社のお巡りさん! みたいなものですのよ」
微笑みながら小兎姫は、片手でボイスレコーダーを取り出して見せた。
「アナタたちにはねぇ、冒涜罪が適用されますわ」
音声を、再生する。
『なーなー、もっと際どいの着なよ守矢のアイドルちゃん。つうか脱げよ、どうせアレだろ? いろんなとこの社長とか政治家とかにヤらせてんだろうがぁ!?』
ボイスレコーダーを、小兎姫は一見たおやかな繊手でグシャリと握り潰した。
「……風祝様の、清らかなる御耳を汚した罪。万死に値しますわ」
レコーダーの破片を蹴散らして、光弾が飛ぶ。
加藤の下半身が、砕け散った。
ちぎれた両脚と、潰れた臓物をぶちまけて、上半身が溺れるように弱々しく這いずり、力尽きてゆく。
「…………守矢……さま……」
中村が、呆然と呟いた。
「……助けて……許して……な、何でもしますからぁ……」
「あら、そう?」
小兎姫は、校舎の外壁に光弾を撃ち込んだ。
外壁の一部が崩壊し、コンクリートの破片が大量にこぼれ落ちる。
「ならば、その女を殺しなさい」
大型のコンクリート片を一つ、中村は両手で拾い上げ、小川美優の脳天に叩き付けた。
「クソ女が! てめえのせいでなぁ、俺が迷惑してんだよゴミ! クズ! クソがっ!」
何度も、何度も、コンクリート片が小川の頭を、顔面を、直撃する。
小川は、やがて動かなくなった。
中村が、小兎姫に愛想笑いを向けてくる。
「へ……へへへ、これで俺も守矢様の信者に」
その口に、小兎姫は光弾を撃ち込んだ。
中村の首から上が、綺麗に消し飛んだ。
「はい、お掃除完了……」
五人分の屍に、小兎姫が背を向けようとした、その時。
「…………もり……やぁ……ぁあああ……」
屍の一つが、ゆらりと立ち上がっていた。
頭の潰れた、小川美優だった。
「うっ……ぜえ……うぜぇーんだよ、クソ宗教がぁ……」
立ち上がりながら小川は、メキメキと痙攣していた。
痙攣する肉体が、膨れ上がってゆく。
潰れた頭から、何かが生えて来る。
「貴女……」
小兎姫は、目の当たりにするのは初めてだった。
人間が、そうではないものに変異する現象。
数年前から、確認されているらしい。
小兎姫は、見回した。
確かに今、何かが聞こえたのだ。
それが聞こえた瞬間、小川は変異を始めた。
「クソ守矢がぁ……壺野郎どもがよォ……」
「……ねえ貴女。守矢神社なら、いくら叩いても良い? 守矢神社の関係者なら、いくら虐めても許される? そんなふうに考えてますのね」
「ッッッッたりめーだろクソ宗教野郎が! 守矢に人権なんざぁねええええええええんだよバァーカ! 死ね死ね死ね死ね死ね」
肥大化・異形化を遂げた、脳髄。
憎悪の思念で膨れ上がったそれが、牙を剥き、無数の触手を広げ、小兎姫を襲う。
「何とも、はや……」
おぞましい襲撃を、命中寸前まで引き付けた後。
小兎姫は、力を解放した。
「常に何かを攻撃していないと、心の安定を保てない。攻撃しても許される相手を、血眼になって探している……ただし弱い相手に限る、と」
巨大な、光の輪が、小兎姫の眼前、波紋状に生じて広がった。
「まったく。これだから、弾幕のひとつも撃てないゴミ雑魚は」
異形化した脳髄が、その発生源たる小川の巨体が、光の輪に粉砕されて砕け散り、消滅してゆく。
「私たち弾幕使いに、逆らわず刃向かわず、大人しく目立たず慎ましく、虫ケラのように生きていれば良いものを。目障りな事をされては、殺処分するしかなくなってしまいますのよ?」
小兎姫は再び、見回した。
やはり何かが、聞こえたのだ。
小川を変異させた何者かが、発した音。
「ああ……なるほど。ふふっ、うっふふふふふふ、なぁんだ。やっぱり、そうでしたのね。噂通り、守矢神社のマッチポンプ!」
小兎姫は、笑いが止まらなくなった。
「守矢の神様が、ゴミのような人間を適当に見繕ってバケモノに作り変える! それを守矢神社関係者が、人前で派手に退治して見せる。信仰獲得と相成るわけ、まあお好きなようになさいませ守矢様。私、神様なんてどうでも良いんですのよ」
この宇宙で最も清らかで美しいものに、小兎姫は、うっとりと語りかけていた。
「ああ、風祝様……私の、私だけの、早苗様……私、貴女様の御ために、いくらでも手を汚しますわ……早苗様ぁ……」
人間を変異させる何者かが、発した音。
それは、蛙の鳴き声だった。




