ひいおばあちゃんは女の子
あたしの名前はゆえ。小学校五年生の10歳だ。
うちの家族はみんな仕事をしている。お父さんは会社員、お母さんはかわいい服を売るお店に務めてる。
おじいちゃんはもうこの世にいなくて、おばあちゃんはソフトクリームの形をしたかわいい小さな小屋でソフトクリームを売っている。
だからあたしが帰るといっつも誰もいない。猫のピキと、ひいおばあちゃんを除いては。
「ただいまー」
あたしが元気よく帰ると、ソファーで膝に猫を乗せていたひーちゃんがすぐに立ち上がる。
「お帰り、ゆえちゃん。今日は早かったんだねえ」
真っ白になった髪を紫色に染めて、ピンクのトレーナーをグレーのズボンにインして、銀縁眼鏡の奥の目をにっこり笑わせる。このひとがあたしのひいおばあちゃんだ。長ったらしいので、あたしは『ひーちゃん』と呼んでる。
「うん。今日は早く帰れる日だったんだよ。お母さんには言ってある」
そう言いながら、あたしは食卓の上の布巾を取った。お母さんが用意していてくれたお皿の上のサンドイッチがラップを被って現れる。
「ひーちゃんと一緒に食べなさいって、お母さんが。食べよう」
「あら。もうお昼なのねえ」
ひーちゃんは壁の時計を見ると、抱いてた猫をソファーに置いた。
「一緒に食べよう、ゆえちゃん」
あたしはインスタントコーヒーを2ついれ、あたしのには砂糖を2つとミルク、ひーちゃんにはミルクだけ入れてあげた。
「もうすぐ誕生日なんだよ、あたし」
向かい合ってサンドイッチを食べながら、楽しいお話。
「何日か知ってる? 何歳になるか知ってる?」
「さあねえ」
ひーちゃんはちょっと困ったように笑う。
「孫のことまでしか覚えてないからねえ」
「覚えろよ」
あたしはツッコんだ。
「7月19日だよ。もう梅雨も明ける頃なんだから覚えてよね。11歳になるんだよ。いいでしょ」
「自分の歳さえ覚えてないのに、ひ孫のことなんか覚えられないよ」
ひーちゃんはタマゴサンドのたまごをボトボトお皿に落としながら、言った。
「食べにくいわ、これ」
あたしはひーちゃんのお世話をしながら、自分もサンドイッチを食べながら、言った。
「お父さんとお母さんとおばあちゃん、3人からプレゼントもらえるんだよ。いいでしょ」
「いいなあー」
ひーちゃんは羨ましそうに、口をぽかんと開けた。
「あたしもプレゼントほしいなあー」
「ひーちゃんはあたしにくれるほうだろ」
「ふふ」
ひーちゃんはちょっと大人っぽく笑い、
「5月のあたしの誕生日にはゆえちゃん、『なんでも1回お願い叶えてくれる券』くれたもんね。あたしも何かあげようかなあー」
「いいよ。ひーちゃん、もう85歳なんだから。無理すんな」
「あらぁ」
ひーちゃんは驚いて、言った。
「85にもなるの?」
「ところであの『お願い券』、まだ使ってないでしょ。何かしてほしいことない? 肩叩きしよっか?」
「してほしいこと?」
「うん。何でもいいよ? 言ってみな」
「あたしねえ……」
ひーちゃんは言った。
「ゆえちゃんに誕生日プレゼントを贈らせてほしい」
「なんだ、それー」
あたしは思わず笑ってタマゴサンドを吹くとこだった。
「なんでひーちゃんへの誕生日プレゼントがあたしに誕生日プレゼントすることなんだよ」
「何か欲しいものある?」
ひーちゃんは構わずあたしに聞いた。
「何かしてほしいこととか」
「逆だよ、逆。あたしにしてほしいことを言えって」
「何か見てみたいものとか」
「見てみたいもの?」
あたしはその言葉に反応した。
「一度でいいからUFO、見てみたいんだよね。UFOって言葉、わかるかな」
するとひーちゃんの顔つきが変わった。
これからうんちくを披露する物知りな子みたいな表情になって、あたしの顔を覗き込んでくる。そして、言った。
「UFO、あたし、見たことあるよ」
「うそっ!?」
あたしは意外な返事に飛びついた。
「まじで? すごっ! やばっ! それガチなやつ?」
ひーちゃんは自分の秘密を得意げにひけらかすような笑いを浮かべながら、こっくりとうなずいた。
「見たい! アダムスキー型だった? あたし、憧れなんだけど!?」
あたしはその、テレビ番組でこれから凄い映像出しますみたいな、もったいつけたひーちゃんの表情に、わくわくするほど期待した。
「どっ……どこで見たの? どこ?」
「じゃ、あの『お願い券』、今、使わせて?」
ひーちゃんはそう言って、
「今日、これから、ゆえちゃんと遊んでほしいなあっ」
にっこり、笑った。
あたしは遊び用のTシャツと半ズボンに着替えて、ひーちゃんも遊び用のTシャツと半ズボンに着替えて、一緒に家を出た。
すぐ裏手の川べりだって言うから、歩いて行った。
「川のほとりに小屋があってね」
ひーちゃんはその時のことを話してくれた。
「あたしが子供の頃のことだから、その小屋はもうないだろうけどねえ」
「その小屋の中から見たの?」
ひーちゃんのゆっくりとした喋りにあたしは焦れて聞く。
土手から少し長い階段を下りた。ひーちゃんが踏み外さないよう、手を繋いであげた。
「小屋に忍び込んで遊んでたらねえ」
ひーちゃんはゆっくりゆっくり階段を下りながら、
「窓の外にいきなり、金色の光が……ボウッ!って」
そう言いながら手を激しく動かす。頼もしいぐらい、階段を踏み外す気配がなかった。
そりゃあ頼もしいよ。だってあたしのおばあちゃんを育てたひとだもん。
階段を下りて、広い河原を歩く。草の背が高くなってて歩きにくかったけど、一応道みたいなものはあった。そこだけ草が生えてない、狭い隙間を縫って、ひーちゃんはあたしの手を引っ張って先を歩いた。
「ねえ、それ何年前の話?」
今さらながらあたしは聞いてみた。
「さあねえー……。ついこの間のことにも思えるけど」
ひーちゃんは楽しそうに答えた。
「あたしがゆえちゃんと同い年ぐらいの頃だったからねえ」
つまり単純計算すれば75年近く前だ。その頃とは大分このあたりも変わってることだろう。
「あ……っ? あったわ! あの小屋だよ、あれだよ!」
ひーちゃんがそう言ってはしゃぎながら指さす先に、背の高い草に埋まるように、ボロボロの木の小屋があった。
「まだあったんだねえ。嬉しいねえ」
ひーちゃんが少し小走りになった。
「冒険、冒険。わくわくするぅー」
そう言いながらひーちゃんが先に小屋に入る。
小屋の中は誰かが散らかしたゴミでいっぱいだった。お菓子の空袋や集められた面白い形の木の棒や石コロ。子供が何世代にも渡って秘密基地にして来たことをそれらは物語っていた。
「ここから見たの?」
あたしはボロボロの窓枠に手をかけて、振り向いた。
「そう! そうだよ。そっから見たのよ」
ひーちゃんは興奮した口調で、
「あたしはピンク色のスカートはいて、1人でここまで冒険しに来てね。そしたら川の向こう岸に金色の光がねえ、ボウッ!って、灯ったと思ったら、物凄い速さで空に上がって行ったんだよ」
「すげーー!」
「今から離陸するとこだったらしいから、どんな形だか見えなかったし、宇宙人も見なかったんだけど、凄かったんだようー」
「見たいなー。今、現れてくれないかなー」
「ちょっと注意して見てようよ」
ひーちゃんがあたしと並んで来て、言った。
「また、今度は、あそこに降りて来るかもよ」
あたし達は固唾を飲んで向こう岸を2人並んで見守った。
背の高さは同じだった。
初夏の日は長かった。
ひーちゃんがUFOを見たのは秋だったらしい。
赤かったのだそうだ。世界が、真っ赤に染まっていたのだそうだ。
「お母さん、そろそろ帰って来る頃かな」
あたしはひーちゃんに言った。
「帰って来てあたし達がいなかったら、心配するかな。怒られるかな」
「親を心配させて怒られるのが子供の仕事だよ」
ひーちゃんは悪戯小僧みたいに言った。
「子供はそうでなくっちゃ。元気に遊ばなくっちゃ」
「でもUFO、来ないね……。ぼちぼち諦めて帰らない?」
「もうちょっと。もうちょっと見てようよ。あたし、UFOもう一度見たいんだから!」
2人して黙ると、ひーちゃんの鼻息がよく聞こえた。
ひゅるひゅると、ひゅるひゅるると、それはUFOを呼ぶ音のようにも、UFOが降りて来る音のようにも聞こえる。
あたしは隣のひーちゃんの顔をじっと見た。
うっすらとだけどお化粧をしている。小さい妹がお化粧しているように見えて、ちょっとおかしかった。
「ひーちゃんのほっぺた、柔かそう」
あたしはゆっくり手を伸ばしながら、聞いた。
「触ってもいい?」
「カサカサだよ」
うふふと嬉しそうに笑い、ひーちゃんがほっぺたをあたしのほうに差し出す。
「触ってみな」
触る前はめっちゃ柔かそうな、まるでギザギザの絞り口から出した生クリームの海みたいに見えていた。触ってみると、焼いたお餅の表面にちょっと似ている。あるいは友達が飼ってるフレンチブルドッグの顎の下を撫でた時を思い出した。
「ゆえちゃんはぷにぷにだね」
そう言いながらひーちゃんが指であたしのほっぺたをつんつんと押し返してくる。
「あんたのお母さんもこんなんだったよ」
てのひらでサラサラと撫でて来る。
「初孫だったから可愛かったなあ」
「あたしは?」
思わず聞いた。
「あたしは可愛くない?」
「あんたを可愛がるのはおばあちゃんの仕事さ」
言った。
「あたしはあんたのお友達だよ。一緒に遊びたいだけさ」
「そっか」
あたしは笑ってうなずいた。
「じゃ、もう少しUFO待って、現れなかったら、帰ろう」
「帰らないよ」
ひーちゃんは駄々をこねるようにそう言って、また窓の外を見つめた。
「こっからずっと見てる」
何を見てるのか、あたしに見えないものを見てるように、ひーちゃんは目を細めて笑いながら、何かを目で追っていた。
まだ夏前なのに、川を包む景色が茜色がかって見えた。
向こうの川岸に現れる金色の光を、あたしも見たことがあるような気がしていた。
ピンク色のスカートをはいた女の子があたしの隣にいて、同じ景色を見ていた。