37・コスモス坂・10
時かける少女BETA・37
《コスモス坂・10》
それから、坂のコスモスたちは8回目の花をつけた。
「お兄ちゃん、なによ、この記事!?」
久々に帰ってきた勲に、芳子はスクラップ記事を二冊ほど投げた。スクラップには勲の日日新聞の記事の切り抜きが貼り付けてある。
「なんだ、うちの新聞のスクラップやってんのか……北C関係の記事が多いな」
「どうしてろくに取材もしないで、北を楽園みたいに書くの。このシリーズなんかお兄ちゃんの記事でしょ?」
「ああ、南の軍事政権に比べれば、躍進中の国だからな。どこか問題あんのかよ?」
「この日日新聞の記事で、北は楽園だって思って行っちゃった人いっぱいいるんだよ」
「じっさい北は南より良い国だ……見てみろよ、おまえもスクラップしてるじゃないか、井出徳雄のコラム。首都Pより……労働者は定時になると仕事を終わり、隊列を組み、朗々と合唱しながら整然と家路に向かう。ここには本物の労働者と、その喜びにあふれてる。街は清潔で、ハエや蚊一匹目にしない。ひるがえって、我が国は……」
「それ異常だよ。仕事帰りにまで隊列組んで、朗々と合唱する? 人間自然なら、仕事終わりはもっと開放されて、三々五々自由に帰るのが人情ってものよ。ハエや蚊も一匹も目にしない? そんなの外国人用に徹底的に掃除と殺虫やってる証拠じゃん。井出徳雄って、日日新聞の論説委員やってるでしょ。特別に管理されて演出されたもの見せられてるの分からないかなあ」
「芳子こそ、偏向だよ。社会主義や共産主義を正しく理解していない」
その夜は、コスモス坂の家で遅くまで、スクラップブックや資料を間に挟んで兄妹同士の言い合いになった。
昭和38年。
オリンピックを前にして、芳子は駆け出しの作家になっていた。
若いながら、資料と分析に基づいた背景設定などには定評があり、新しい社会派小説の旗手として人気があった。
勲は社会部の記者として中堅になり、日本の保守政権の金権体質を暴いたり、社会主義国の国情なども進んで勉強。特集を組んだり、クオリティーペーパーとしての日日新聞の中堅記者として、社内の幹部たちからも有望視されていた。
「あなた、もう仕事には慣れた?」
4日ぶりに帰ってきた真一に久美子は団地の鉄の扉を空けながら尋ねた。
「ああ、初めての選挙だからね。いま組織固めと情宣できりきり舞いさ。投票まで一か月、苦労かけるけど頼むよ」
真一は、美大を出た後、絵の道はあきらめたが、なんとか高校の美術教師になった。
久美子と結婚したあくる年には、組合活動から、専従となり、この春からは、党活動を専一にするために、学校も辞め、初めての選挙活動に党員の運動員として忙しい毎日を送っていた。久美子は、そんな真一と交代するように県立高校の常勤講師になり、正教員になるために、二次試験を終えたところであった。
「今夜は、久々にお義兄さんが帰ってるんだろう。きっとヨッチャンと激論だろうね……あ、胡椒くれるかな」
真一は器用にフライ返ししながら、学生時代にバイトで覚えた中華料理の晩御飯を作った。
芳子は、兄と言い合いしながら、無意識にその時が近づいてきているのを高揚として感じていた……。




