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時かける少女 BETA  作者: 大橋むつお
35/60

35・コスモス坂・8

時かける少女BETA・35

《コスモス坂・8》



「マスター(修士)になるんじゃなかったの!?」


 芳子には、スーツ姿の兄が胡散臭く見えた。

「そんなla tour d'ivoire でぬくぬくしてる時代じゃないんだよ。ほうら、おまえら食うか?」

「なあに、アメリカのお菓子?」

 久美子が長閑に聞いた。

「ばかね、英語でキャットフードって書いてあるじゃないの」

「え、猫のエサなの!?」


 勲がボールに開けたキャットフードに、タマも、ミーも寄ってきた。ただ、どういうわけかモンローだけは近づこうとしない。

「la tour d'ivoire なんてフランス語は分からないけど、今のお兄ちゃん日和ってるようにしか見えないよ」

「象牙の塔って意味だよla tour d'ivoire は。ただの細胞として安保反対を叫んでいるだけじゃ、世の中変わらない。もっと自分を生かすやり方があることに気づいたんだ」

「それが、その酔っぱらいのスーツ姿なの?」

「オレは、今は新聞記者だ。ペンの力で岸内閣を倒し、10年かけて日米安保体制は崩してやる……モンローもこっち来いよ!」


 モンローは一声「ニャー」と言ったきりそっぽを向いてしまった。


 安保条約は、その年の5月には、国会で強行採決されて成立批准されてしまっていた。勲は、安保改定阻止には失敗したと冷静に分かっていた。次の改訂は1970年。良く言えば、そこに焦点を当てての長期戦に入ったと言えなくもないが、芳子には、ことの良しあしはともかく、身勝手な戦線離脱にしか見えなかった。現に安保闘争は、安保反対から岸内閣打倒へと矛先が変わり、その運動は国会周辺に連日30万人のデモ隊が出るほどに高揚していた。


 そして犠牲者が出た。


 T大学の女子学生が、デモの最中に転倒、デモ隊と警官隊が錯そうする中踏みつけられて圧死してしまった。他にも連日のように怪我人が出ている。勲は、それを安全な場所から取材し、デモ隊の後輩たちから情報を得て、駆け出しの記者にしては、そこそこのスクープ記事を書いていた。



『カツオとワカメの兄妹日誌』


 ワカメからカツオへ


 もう安保闘争は勝負がついたわ。岸総理は辞職覚悟でやり遂げた。だから「岸内閣打倒」を叫んでも、それが実現してもカツオくんたちの勝利にはならない。もう死者まで出ている、怪我をしないうちに手を引いて。  ワカメ


 カツオからワカメへ


 負けかもしれないけど、オレたちは歴史を作っているんだ。ここまで戦ったという実績と覚悟をのちの時代の日本人に記憶してもらうために。オレたち日本の若者は、心から絶対平和の日本を目指すんだ。   カツオ



 そうして、恐れていたことが起こった。


 カツオである白根が警官隊との衝突で重傷を負ってしまったのだ。芳子は初めて学校を無断欠席し白根が入院している病院へ急いだ。


「真一、しっかりして!」


 芳子はベッドの傍で初めて下の名前でカツオを呼んだ……。



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