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遍歴騎士アレス  作者: 矢田
第一章 『義の騎士』アレス
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07.魔獣

 剣を下段に構え、剣先を地面に向ける『愚者の構え』。これは本来両刃両手剣(トゥーハンディットソード)において用いられる構えである。アレスも長剣の扱いには心得があるが、最も得意とするのは現在手に握っている両刃片手剣(ブロードソード)


 握りを長く作られており一応両手でも扱えるが、片手で振るうのが基本となる。当然威力は両手剣の類には劣るわけで、魔獣(ガルム)を一太刀で仕留めることは不可能だ。


 しかし、アレスは爆ぜるような踏み込みで魔獣との距離を詰める。


 ――前へッ!


 経験上、熊を相手にするのは騎兵を相手にする感覚に近いものがある。要は、「速度に乗らせたら負け」なのだ。


 熊はその鈍重な身体に見合わず恐ろしい速度で走る。流石に馬には劣るものの人間にとっては驚異的な速さだ。ましてや異常な巨体を誇るこの大熊が馬に劣らぬ速度を出したとしても何ら不思議なことではない。


 十倍以上の重量差で、馬に等しい速度を以て突っ込まれようものなら全身の骨が砕かれること請け合いだ。魔獣であってもそれは変わらない。むしろ、より凶悪になっていることだろう。


 故に、機先を制する。


 アレスが修めた王国騎士剣術の理論に於いて「先」は最も重要な技術だと言っても過言ではない。相手の行動を読み、戦闘を支配することこそが王国騎士剣術に於ける「先」であるからだ。


 機先を制することが即ち「先」に繋がるわけではないが、アレスには熊との戦闘経験が幾度かあり、魔獣であり、図体が規格外に大きくとも体の構造が変わらない以上、動きはある程度限定される。


 急速に距離を詰めて来るアレスを見て、魔獣は一瞬迷うように動きを止め、その後二本の足で立ち上がった。熊の弱点は、鼻だ。万が一獲物(アレス)に抵抗されて打ち据えられることを嫌ったのだろう。


 予想通りだと内心ほくそ笑むアレスの目の前に現れる――


 ――茶色の壁。


 立ち上がった魔獣の大きさは、想像よりも遥かに大きいようにアレスは感じた。圧倒的な威圧感を前に、アレスは強く歯を噛み締め、最後の一歩を大きく踏み込んだ。


 立ち上がる挙動に、高くなった視界。そしてアレスの加速。


 三つの要素が重なって、魔獣はアレスの姿を見失った。


 アレスが居るのは、熊の足元。弱点である鼻に剣を届かせるには飛び上がって剣を突き上げる必要があるが、危険(リスク)も大きい。故に、アレスは愚者の構えから手首を閃かせるように斬り上げ、魔獣の股下を斬り裂いた。


 鮮やかな赤が、舞う。


 重い手応え。筋肉の鎧に覆われていない股下ですらこの抵抗では、腕や足に斬撃で致命的な傷を与えるのは難しいことをアレスは悟る。


 ――グルアァァァ!?


 生殖器のある部位だ。痛くない訳がない。また、脚を動かす度に痛みが走るだろう。野生の爆発力を侮るわけにはいかないが、機動力はある程度削いだ筈。


 魔獣がバランスを崩し、前のめりになりながら腕を振り回す。暴風のような右腕を右に身を投げ、地面を転がることで躱す。獰猛な風切音に肝を冷やしながらも、アレスは止まらない。


 跳ねるように身体を起こすと、四足の姿勢に戻った魔獣に向かって再び踏み込む。四足の状態で、機動力を削がれた今ならば接近しても危険は少ない。


「クッ……」


 ――当然、少ないだけで、ないわけではない。


 横合いから仕掛けたアレスは、しかし直前で後退を余儀無くされる。地面を蹴って跳び退るアレス。次の瞬間、アレスがいた場所には黒い巨体が突っ込んで来た。


 横っ跳びするような形で魔獣が体当たりを仕掛けて来たのだ。真横に移動するという構造上無理な動きを、体勢を崩しながら、やってのける。


 野生動物の生への執着は油断ならない。時に予想を超えた爆発力を発揮するのだから。ただでさえそうなのに、魔獣だ。輪をかけて危険だろう。


 今も、咄嗟に退かなければアレスは手痛い一撃を受けていた。


 とはいえ、好機。


 アレスは跳び退いて開いた距離を殺し、鼻先を削ぐように剣を薙いだ。舞う鮮血。


 魔獣の悲鳴が森の中に響き渡る。魔獣となっても生物としての弱点が消えるわけではない。痛みにのたうち回るその姿からは最早森の王者たる威圧感は失われている。


 とはいえ、股下を裂き、鼻先を抉り取った程度で熊は、魔獣は死んでくれない。のたうち回っているのも痛みからであり、放っておいても死にはしないだろう。嗅覚を潰されてしまったため、野垂れ死ぬことはあるかもしれないが。


 ここで止めを刺さない手はない。しかし、のたうち回る魔獣の動きは激しい。剣を突き刺そうものなら間違いなく折れるだろう。


 ――立ち上がらせれば、逃げるだろうな。


 そして、背を向けて逃げに徹されれば仕留めるのは至難の技だ。のたうち回っているこの隙に命を刈り取る必要がある。


 アレスは投げナイフを取り出すと、慎重に狙いを定める。当然、こんな刃で熊を仕留めるのは基本的に不可能だと言っていい。分厚い毛皮と筋肉に弾かれるだけだ。


 しかし、殆どの生き物が鍛えられず、穿たれれば致命傷になり得る箇所が身体には存在する。


「――シッ」


 鋭く呼気を吐き出し、銀閃が走り抜ける。のたうつ熊の動きを読んで放たれたナイフは真っ直ぐに飛んで、狙い違わず突き刺さった。


 絶叫。


 空気の震えが衝撃のようだと錯覚する程の悲鳴が上がる。絶対に鍛えられない眼球をナイフは突き破っていた。三分の一ほど刃が化物熊の眼球に食い込んでいる。


 息も絶え絶えに低く唸る化物熊。これでもまだ命に至る傷ではない。アレスはゆっくりと近付くと、ナイフの柄尻を脚甲の裏で掴んだことを確認して――


 ――思い切り、押し込んだ。


 今までで最大の咆哮が上がり、そして消えた。


 潰れた眼窩に柄尻が見えなくなるほど食い込んだナイフ。アレスが足を退けると、どくどくと血が滝のように流れ出す。細かく震えながら命の灯火が失われていくのを足裏から感じつつ、アレスは小さく呟いた。


「……ザマァ見やがれ」


 アレスは冷や汗を拭いながら吐き捨てる。無傷で、余裕を持って魔獣を下したように見えるアレスだったが、その実骸を曝していたのがアレスであってもおかしくないほどの接戦だった。


 腕を避けられたのは運の要素もあった。先に振られていたのが左腕だったなら、体重の移動で僅かに回避が遅れ、手傷を負っていただろう。


 十やって三は負ける。


 七割といえば聞こえはいいが、その実決して高い確率ではない。十戦続けて七割を勝ち続けられるのは百回に三回程。自信を持って勝負出来る値ではない。


 ――運が向いてたな。


 損害はほぼ無いと言っていい。投げナイフ一本は無理矢理押し込んだこともあって刀身が駄目になっている可能性は高いが、剣にも無理をさせずに済んだし、アレス自身も万全だ。


 元々、食料事情が酷いことになっているらしい隣の村のために獣を狩っていくことは考えていた。贅沢を言えば村の直前で狩りたかったが。


 熊の肉は癖があるが精が付く。内臓は様々な薬になるし、毛皮も高値で売れる。捨てる部分がない程、熊は有用な動物だ。幸い、魔獣の肉は食べても問題ないとアレス自身が証明している。


 とはいえ、平均を遥かに超えた大きさの化物熊。アレス一人で持っていける量は高が知れている。


 とりあえず川か泉を見つけてから考えようとアレスは剣に付いた血を熊の毛で拭い、歩き出す。血の臭いに惹かれて狼あたりが死体を喰らうかもしれないが、同時に魔獣の臭いで寄ってこないのではないかとも考えられる。


 ――どちらにせよ、水場を探さないとな。


 そう思い直すと、アレスは足を早めるのだった。



 ■ □ ■ □



「遍歴の騎士だとぉ?」


 アレスが魔獣と遭遇したのと同時刻。ダースト領の領館で報告を受けた男が苛立った様子で声を上げた。報告に来た兵士は膝を付き、頭を垂れている。


 真昼だというのに窓やカーテンが締め切られた部屋には淫猥な空気で満たされている。今も報告を受けた側の男――ダースト領の代官は少女を一人組み敷いて腰を振っている。


 絶望を超え、諦観した生気の無い少女の瞳は痛々しく、真っ当な人間であれば怒りと憐憫の情を抑えきれない光景だが、この場にそれを気に留める者はいない。


「はっ。ライノ様と打ち合える剣の技。名の通った方ではないかと」


「下らん。そんなことでこのワシの貴重な時間を削ったのか貴様。何よりワシの女であるサキを取り逃がしただとぉ?」


 代官の声のトーンが一つ落ちる。代官に仕えてそれなりに経つ兵士は勘気を起こす一歩手前だと悟る。


「し、失礼しましたっ! 直ぐに追手を向かわせます」


「貴様が行けっ! サキを伴わずに戻って来たら命はないものと思えよ」


「は、はいぃ」

 

 情けない声を上げて部屋を飛び出して行く兵士。代官は鼻を鳴らすと再び腰を振り始める。少女のくぐもった、生気を感じさせない呻き声が部屋の中に響き始める。


「ふん、役立たず共が。しかし、遍歴の騎士か」


 何処かでそんな話を聞いたような気もするな、と代官は思うも、覚えていないということは大したことでもあるまいと思い直し、行為に励む。


 ――もしこの時、噂を思い出していたなら。


 代官は慌てふためき、どうにか村の体裁を整えようと努力しただろう。或いは、持てるだけの財を持って逃げ出していたかもしれない。


 しかし、性行為で溶けた思考の中では思い出せる筈もなく、ただの遍歴騎士と決め付けたため、アレスに対する対策は何も講じられなかった。


 これは、アレスに運が向いている訳ではない。因果応報。この男が成したことに対する裁きの時が近付き、物事がそれに合わせて回り出したのだ。


 男が必死に行動すれば裁きを遠ざけることも、裁きから逃れることも叶ったかもしれない。しかし、自分の足で行動するということを忘れ、肥え太った男が因果応報の理から逃れる術はない。


 一歩、また一歩。


 男の終わらせる騎士の足音は、まだ遠く、しかし確実に距離を詰めて来るのだった。



改編済みです。

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