一日目 ②
まぁいいか、どうせ俺は家の中に居るんだし。
昼寝でもするか、とテレビのある居間に戻って座布団を折り曲げて頭に敷いた。
しかし、扇風機をつけていても暑くて寝付けないので、結局俺は三十分もしないうちに諦めて起き上がる。
仕方ないので再度テレビでもつけようか、とリモコンに手を伸ばした、その時だった。
「ん?」
耳に障る、低い音が聞こえる。
何の音だろうか、と耳を澄ますと、それは隣の仏間から聞こえているような気がした。
風の音のようで、そうではない。
この音は、とても不快な響き方をしているが、そう、どちらかといえば人の声だ。
低く呻くように人が声を出すと、こんな感じの風の音のような響き方になる。多分。
「誰か居んのー?」
俺は無駄に大声を出していた。
それは決して相手に聞こえさせるために出したのではなく、今聞こえている『声』を掻き消したいからだった、と思う。
俺の大声に返事は無かった。
家の中は静まりかえり、しばらくしてからまた聞こえてくる、不快な声。
「……幽霊? まさか」
自身を嘲笑する言葉も意識せずして大声になっていることに、その時の俺は気付かない。
よく考えてみろ。
今は、正午になる前。
お天道様は全力でその身を焦がしている真っ最中。
幽霊なんて出るわけが無い。
どうしてこんな真昼間から幽霊の声なんて聞こえてくるんだ。
あるわけない。
でも、
居間から廊下に出てみた俺の耳には、今度はさっきよりもしっかりと『声』が届いてくる。
場所はやはり、仏間からだった。
台所からなら聞き間違いだ、と自分自身に言い聞かせられたかも知れないのに、どうしてよりによって仏間側からなんだ。
確認するのが怖いじゃないか。
俺は廊下に出たまま、その『声』を聞きながらポケットの中のメモと携帯電話を取り出した。
きっと、今感じているこの恐怖を電話口で笑い飛ばして無かったことにしたいのだと思う。
メモを見ながら番号を打ち、電話を発信する。
何度も、何度も。
けれど、ツーツーと通話中を示す音が聞こえてくるばかりで一向に掛かる気配が無い。
諦めて携帯電話をポケットにしまった時、ふと気付く。
UとVの間のような発音の気持ち悪い呻き声が、さっきよりも近くなっていることに。
仏間は仏間でも、その部屋の中の、限りなく俺に近い位置から発せられているのが分かった瞬間、じわりと全身から汗が滲んでくる。
聴覚と触覚が、不快感を折り重ねるように訴えてくる。
ないないない、昼間から幽霊なんてありえないって。
気のせいに決まっているだろう。
なのにどうして俺は、玄関まで歩いて来ている?
どうして靴を履くんだ?
掛けた覚えの無い内鍵が掛かっている玄関を震える手で開け、全力で走り出していた。
中学生でありながら留守番すら出来なかった俺は、向かいのNTT基地局の奥にある、いつも遊んでくれていた姉ちゃんの家に息を切らしながら逃げ込む。
そこには姉ちゃんのばあちゃんが居て、俺を見て言った。
「お盆だねぇ」
俺が毎年、盆にしか帰って来ないからそんなことを言うのか。
俺にはその意味がよく理解出来なかったけれど、「一人で暇だったから」などと大嘘ぶっこいて突然駆け込んできた俺に、近所のばあちゃんは麦茶と羊羹を出して、姉ちゃんの近況を語ってくれる。
あの何だかよく分からない『声』の恐怖も、この一時は忘れさせてくれるように。
一時間くらいして、両親と弟、祖父母が帰ってきてから俺は実家に戻った。
いや、帰ってみたら俺がいないことに驚いた母が、向かい奥の家にお邪魔していた俺を見つけて連れ戻した、というのが正しい粗筋だ。
家族には強がる必要も無いと思って、留守番失敗した経緯を母達に話すと、
「お盆だから会いに来たんだろうよ」
と流されて終わった。
全ては、お盆というこの時期のせい。
夕方になり、母が玄関先に精霊馬を飾り、外に出て香木のような枝を焼いている。
弟が、母から手渡された鈴を楽しそうに鳴らす。
ご先祖様を迎えるために、煙が、音が、金赤に染まる空へ昇ってゆく。
俺は思った。
もし、俺が恐怖を感じたあの『声』が盆のせいなのならば。
そんな煙を焚いて、わざわざ鈴を鳴らしたりしなくても……
ご先祖様は既に帰ってきているんじゃないのか、と。




