【1】無能な当主
戦国時代、北条家を滅亡させたとされる北条氏政は、地獄に来ても父の氏康に会うことを躊躇っていた。だが氏政は「ある親子」を見かけたのをきっかけに、父に会いに行く決意をする。氏康・氏政親子はどんな胸の裡を語り合うのか…。
【地獄 行きつけの定食屋にて 北条氏政】
地獄でも、飯はちゃんと食えるんだよな。しかも美味い。
もう死んでるし、飲まず食わずでも問題はないんだが、やっぱり美味いもんを食えるのは良いことだ。でも最近気づいたんだけど、地獄の飯が美味いというより、現世の飯があまり美味く感じなかったのかもな。
俺は飯に味噌汁を何回もかけて、その度に味の変化を楽しむのが好きだったんだ。でもある時期から、現世では それはやらないようにしていたから、なんだか飯が味気なくなったんだ。今はまた好きなように、飯に味噌汁を何回もかけて食っている。
ただ、大名の家に生まれたおかげで、飢えることがなかったのは幸せだったよ。まあ、その大名家を潰しちゃったのも俺なんだけどね。それについては色々言われてるんだろうが、今さら気にしても仕方がない。
もちろん秀吉に降伏するのは悔しかったし、敗者として死ぬのも嫌だったよ。でも領民を守るには、ああするしかなかった。それに俺も、戦で勝ったり負けたりした。俺が滅ぼした家もあったし、北条家に降伏したやつもたくさんいる。一人の勝者を決めるために、何千何万という敗者が生まれたんだ。俺はその、何千何万の中の一人に過ぎない。
最終的な勝者を決める一番の要素は、運とタイミングなんだと俺は思っている。当然、能力だって関係はあるだろう。その能力に関しては、俺は過去の北条家の当主たちと比べたら、かなり劣っていたんだと思う。元々は、名君の素質があると思われていた俺の兄貴が、家督を継ぐはずだったんだ。ところが、その兄貴が急死したから、俺に家督が回ってきただけだしな。
世の中には、兄弟と争ったり親を追放したりしてまで、当主の座に付きたいなんてやつもいる。だが俺は当主になれると分かっても、別に嬉しくも悲しくもなかったよ。兄貴が当主なら協力し ただろうし、俺の弟たちも皆 同じようなもんだった。ただ親父は、将来を期待していた兄貴じゃなくて、出来の悪い俺が跡を継ぐことになって、内心がっかりしたとは思うよ。まあ、長男に期待を寄せるのは、どの親でも同じだろうがね。
それでも親父は、厳しくても優しかったから、俺も兄貴と同じように扱ってくれた。北条家を滅ぼしてしまったことを、いずれ親父にだけは謝りに行かなきゃならないかな。でも例の味噌汁の話は、なぜか やけに世間に知られているけど、俺が親父から直接言われたことではないんだ。その話は、親父が死んだ後、幻庵(北条氏康の叔父)から聞いたんだ。
親父が直に言わなかったのは、俺が自分で気づくようじゃなければダメだと思っていたかららしい。確かに飯に味噌汁をかけるなら、適切な量を一回でかけるくらいのことができなくては、あの厳しい時代に、大名家を守れはしないという考えは分かる。反論はないよ。親父は、そんな些細な所作からでも、俺の優柔不断さや大雑把さを感じ取っていて、それが北条家を滅ぼす遠因になり兼ねないと見抜いていたんだ。すごい親父だよ。死後20年も先まで予見していたんだ。
でも改めて言うが、俺はもう気に病んではいない。親父以外に、俺を北条家を潰した無能だとか言うやつには、逆に聞いてみたいよ。お前だったら、北条家の領地と領民を守れたのかってね。それとも俺の曾爺さんが興し、爺さんと親父が守り育ててきた、北条家の誇りを捨てれば良かったのか。結果だけ見て、秀吉にペコペコしていれば良かったとか、伊達や佐竹と固い同盟を結んでいれば良かったとか、当事者じゃないから好き放題 言えるだけなんだよ。
おそらく俺の名は後世一般に、無能な敗者として遺るんだろう。それは構わない。でも、勝者とその腰巾着以外は無能だと言うなら、現世も地獄も、無能の掃き溜めじゃないのか。
【地獄の同じ店にて 武田信玄と武田勝頼】
「勝頼、おい勝頼」
「ああ?」
「お前、蟹ばかり食うな」
「蟹ばかり?そんなことはねえ。海老だって食ってるぞ」
「おい、蟹と海老ばかり食うな。野菜も食えよ」
「断る。あんた、好きなもんをいくらでも食えって言ったじゃねえか。そう言われたから、あんたと飯なんか食いたくねえのに、こうして付き合っているんだぞ」
「確かにそう言ったが、野菜も食え。野菜を食わないようでは、武田家の当主は務まらんぞ」
「俺は好きで当主になったんじゃねえよ。それにもう死んでるし。あと野菜と当主に、何の関係があるんだよ。どっかの名君みたいな逸話を作ろうとするんじゃねえよ」
「分かっておらんな。野菜と領地経営は大いに関係があるのだ」
「どう関係あるんだよ」
「良いか、よく聞けよ。野菜は山でも採れる。だが、そのでかい蟹や海老は、海でしか捕れない。お前は山で採れる作物を大事にせず、いつも海の幸にばかり目を向けていた。だから、無闇に他国を攻め、周りを敵だらけにして…」
「おい、それ誰のことだよ」
「現世でも密かに思っていたのだぞ。俺の死後、お前に伝えるように命じておいたのに聞いてはいないのか?」
「誰に命じたんだよ」
「それは…忘れた」
「現世で、あんたと飯なんか食ったことなかったじゃねえか。見え見えの嘘を吐くな」
「ああ、バレた?」
「バレたじゃねえし。周りを敵だらけにして死んだのも、あんただろう。武田家が滅んだのを、俺だけのせいにすんなよ」
【地獄の同じ店にて 再び北条氏政】
何だ、あいつら。でかい声でうるせえな。同じ時代のやつらっぽいな。しかも、あいつらも時代の敗者らしいな。あんな行儀の悪いやつらが、親戚とかじゃなくて本当に良かった…あれ?あの親父、よく見たらお義父さんじゃねえか。ってことは、あの息子らしいほうが勝頼か。あいつの顔を見るのは初めてだ。
あいつは、俺より苦労したんだろうな。勝頼の兄貴は確か、親父に謀反人扱いされて、幽閉先で死んだんだっけな。ひどい話だよ。武田信玄が、俺の実の父親じゃなくて良かったよ。
ああ…でも不思議だな。なんだか俺も、急に親父に会いたくなってきたよ。なんだかんだ言っても、やっぱり北条家を潰したのは事実だし、親父にだけは どうしても合わせる顔がなかったんだ。
でも、武田信玄と勝頼を見ていたら、そんなこと どうでも良く思えてきた。俺が今でも飯に味噌汁を二回も三回もかけてるのを見たら、思いっきり怒られるかな。親父にすぐ会いに行かなかった俺は、やっぱり出来の悪い息子だったよ。早く、行こう。
【地獄の同じ店にて 再び武田信玄と武田勝頼】
「まったく、メンドくせえやつだよ、あいつも。やっと氏康(氏政の父)に会いに行ったな。勝つのも負けるのも、結局 運とタイミングだとか自分で言ってたくせに、しっかり気にしてるんじゃねえか。
家が滅びようが何を失おうが、誰のせいでもねえんだ。謝る必要もねえ。地獄に来たら、ただ親に会いに行けば良いだけなんだよ」
「そういうあんたは、追放した親父に、もう会いに行ったのか?」
「え~ その件につきましては、ただいま調査中でして…」
「兄貴は、あんたにいつ会いに来るのかな」
「本当に……すみませんでした」
今後、武田信玄・勝頼親子のエピソードも投稿します。しばらくお待ちください。
北条家滅亡時の当主は氏直ですが、ここでは氏政を実質的な当主として描いています。




