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後ろの席の女子が、たまに変なこと言ってるのが気になる。

作者: 石野舟
掲載日:2026/05/08

「お腹空いたー、お腹ペコの介」


 後ろの席から聞こえてきたその一言に、俺はまたこっそり耳をそばだてた。

 岸川さんだ。

 彼女はいつも、昼休みになると仲のいい女子数名と机をくっつけて弁当を食べている。別に騒がしいタイプじゃない。どっちかと言えば落ち着いている方だ

 なのに。


「あーなるほど、ガッテンフィールド」


 たまに、意味不明な単語を垂れ流している。


 ペコの介?

 ガッテンフィールド?

 なんだそれ。


 ダジャレみたいでダジャレじゃないし、狙って笑わせようとしてる感じでもない。

 なのに妙に耳に残る。

 しかも、周りの友達も普通に受け流しているのがまた不思議だった。

 ツッコむわけでも、笑うわけでもない。まるで「今日の朝ごはんはパンだった」くらい自然なテンションで聞いている。


「うんうん、シャトルランほんとキツかった〜。汗かく前にやめてもいいんだけど、あんまり露骨なのもねー」


 どうでもいい雑談にまで聞き耳を立ててる自分がキモいのは理解している。

 でも最近、岸川さんの言葉選びが気になって仕方なかった。

 特別面白いわけじゃない。

 なのに、妙にクセになる。

 気になる。

 ものすごく気になる。

 岸川さんは、別にふざけるキャラじゃない。

 だからこそ、そのギャップが頭から離れない。

 あれって素なんだろうか。

 仲いい友達の前でだけ出るやつなんだろうか。

 気づけば俺は、岸川さんと話してみたいと思うようになっていた。


 ……とはいえ。

 話したこともない彼女にいきなり「ペコの介って何?」と声をかけることはできない。「は? いきなり何コイツ? 盗み聞きしてた?」的な反応をされたらショックだし、そもそも俺はそんな自然でフランクな声かけが出来る人間じゃない。


 話すきっかけを窺って二週間、進歩どころか初めの一歩すら踏み出せていなかった。

 振り返るだけなのに。


「購買行かね? 早弁したせいで腹減った」


 友人に声をかけられ、俺は席を立つ。


「あ、ああ。この時間でも残ってるかな」


 たぶん今日も、岸川さんとは話せないままだろう。

 廊下を歩きながら、俺は何気ない感じを装って聞いてみた。


「お前さ、岸川さんと話したことある?」

「え、岸川さん? あー……一言、二言くらいはあるかな。移動教室の時に資料集要るかどうか、聞いたと思うけど?」

「変わってると思う?」

「全然。めちゃくちゃまともっしょ。前田とかバカ騒ぎする陽キャとは違う感じだし、別に陰キャでもないし」

「だよな」


 やっぱり。

 あの謎ワードに気が付いているのは、俺だけなんだ。


「何で? 気になってる感じ?」

「まぁ、そんな感じ」

「ガチ⁉ アッツ!」

「ちょ、違うから。そういうアレじゃないから」


 そこから購買に着くまで、友人の誤解を解くのに必死だった。

 ちなみに菓子パンはほぼ売り切れていた。最悪だ。

 教室へ戻ると、ちょうど岸川さん達が昼食を終えたところだった。


「今なら話しかけられるんじゃね?」

「うるさい」


 友人を追い払って席につく。

 その流れで、俺はさりげなく後ろを見た。

 箸を片付けながら、岸川さんが両手を合わせる。


「ごちそうさまでした。ふぅ、お腹パンパン丸〜」


 ……出た、『パンパン丸』だ。

 ちなみに『ペコの介』と並んでかなりの頻出ワードである。

 一度、彼女の語録に法則性があるのか考えてみたことがある。

 その時食べる、或いは食べたものが和食だから語尾に和風の名前がくっ付くのでは? という説を立てたが、メロンパンを食べた後にも『パンパン丸』と言っていたし、だし巻き卵を食べた後には『デリシャス夫人』が飛び出したので、説はあっさり崩壊した。

 たぶん法則はない。

 その場のノリだ。


 ……つーか、そもそも女子の昼飯を観察してる時点でだいぶキモいな俺。やめよう。


「私ほんと運動音痴だからさー。マジでキチ川って感じ」


 また変なの出た。

 岸川さんがこういう口調になるのは、だいたい昼休みに友達と喋ってる時だけだ。

 上京した人が地元の友達と話す時だけ方言が出る、みたいなものだろうか。安心してる相手限定なのかもしれない。


 俺にもそのテンションを見せてくれないかな。

 話しかける勇気もないくせに、そんな都合のいいことを考えていた。


 ——別の日の昼休み。


「あーはいはい、完全に理解したわ。リカイノフ。同じ考え方でここも公式使う感じでしょ? うん、イケるわこれ。ゼッコーチョフ」


 な、なにいいいいいぃぃぃっ⁉ 今日はロシア風味だと⁉ そういう引き出しもあるのか!


 俺は危うく勢いで振り返りそうになった。

 今日は四限の数学の問題集を広げているらしい。

 どうやら理解できた時のテンションみたいだが、


「何ニヤニヤしてんだよ。購買行こうぜ」


 友人がまた声をかけてくる。


 この興奮が分からんとは無粋な!


 後ろ髪を引かれつつ、俺は教室を出た。

 それにしても『リカイノフ』と『ゼッコーチョフ』か……二連コンボのパターンは初だ。


 考えながら廊下を歩き、階段を下りた先の開けたところに出る。購買部は今日も大混雑だった。

 なんとか最後の一個のメロンパンと焼きそばパンを確保し、レジの待ち列から抜ける。


「あれ、珍しくお前も買ったんだ」

「今日は朝練あったからな。お腹ペコの介だし」

「何それ」

「最近の俺の中での流行語。語感が良いだろ? ペコの介」


 言って振り返った直後。


「わっ」


 誰かとぶつかった。


「うおっ、ごめ——」


 視線を下げて、心臓が止まりかけた。


「き、岸川さん⁉」


 声が裏返る。


 ……しまった!


 完全に失念していた。

 岸川さんはよくお弁当を食べた後にメロンパンを食べている。

 つまり、彼女もよくこの購買を利用しているのだ。

 近くにいる可能性があるのに、俺は彼女の口癖をそのまま言ってしまった。


 岸川さんは目を丸くしたあと、少しだけ身を引いた。


「……え? 今、ペコの介って言った?」


 ヤッバい! 聞かれてた!

 終わった。完全に終わった。

 女子グループを盗み聞きしてた激キショ野郎認定される——!


 しかし。


 岸川さんは片手で口元を隠して目を逸らした。


「やば……恥ず……私、そんなに大きい声出してた……?」

「あ、いや、前の席だから普通に聞こえるっていうか……」


 なんだろう。

 思ってた反応と違う。

 引かれてるんじゃなくて、普通に照れてる?


「ち、小さい弟がいるの! 家で遊ぶ時に変な喋り方してたら、そのまま癖になっちゃって!」


 妙に納得した。

 確かに岸川さんの言葉は、ちょっと子供あやす時みたいな響きがある。


「そ、そうなんだ。俺は好きだけど」

「へ?」

「あっ、いや、変な意味じゃなくて! ペコの介とかパンパン丸とか、なんか可愛い響きだなって!」

「わ、わー! もういいから! パンパン丸も聞かれてるじゃん! やってるわ私!」


 岸川さんは顔を真っ赤にして、わたわたと手を振った。

 落ち着きなく髪をいじって、視線が右往左往している。


 ……あれ?

 今まで正面からあまり見ていなかったけど、岸川さんってこんな顔するのか。

 つーか……こんなに可愛いかったっけ?


「き、岸川さんも購買?」


 なんとか平静を装って聞く。


「う、うん。メロンパンあるかなって」

「あー……ごめん、売り切れだってさ」

「そっかぁ。人気だもんね」


 少し肩を落としながら、岸川さんは小さく笑った。


「教えてくれてありがと」


 そのまま立ち去ろうとした彼女を、俺は咄嗟に呼び止める。


「待って。これ、よかったら」


 手に持っていたメロンパンを差し出した。別にどうしても食べたいものでもない。


「え、でも悪いし」

「大丈夫。焼きそばパンもあるから!」

「……そ、そう?」


 岸川さんは遠慮がちに受け取り、代金の百五十円を差し出してきた。

 小銭を受け取ると、二枚の硬貨以上の価値を手にした気分だった。


 ついに話せた。

 男子と話すところはあんまり見たことがなかったけど、思ったよりもフランクだ。

 なんだか、ずっと残ってた宿題を終わらせたみたいな充実感だ。


 教室へ戻ろうと歩き出した、その時、

 すれ違いかけた岸川さんが、たったっと、軽快なステップで寄ってくると、ふっとこちらを見上げる。


「ありがと。ペコの介だったから助かった」


 えへへ、と上目遣いのはにかんだ表情。


 その笑顔が、反則みたいに可愛かった。

 岸川さんが廊下の向こうへ消えたあとも、俺はしばらくその場から動けなかった。


 ……やばい。

 岸川さんのことが、ますます()()()()()()()

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