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ウンディーネは黄昏に踊る  作者: 咲佐きさ


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第九話

 セデュは、スタッフに呼ばれて、セットに戻っていった。どうやらセデュは、セット転換のわずかな時間に、僕を見つけて追いかけてきたらしい。

 まったく、けなげなやつだ。

 去っていくセデュの後ろ姿を見えなくなるまで見送って、僕は、仏頂面のダイアナが横にいるのにやっと気づいた。

「…さっき撮影風景、見せてもらったよ。君の演技、やっぱりいいねえ」

「それはどうも。本心かどうか知らないけど」

「君の毒舌も懐かしいな、なんか元気が出てくるよ」

「それはいいから、涙拭きなさいよ。あんた、今にも死にそうな顔してるわよ」

 レースのハンカチを押し付けられ、なんだか止まらなくなってしまって、僕はしゃくりあげる。

「ごめんね、おかしいな、こんなはずじゃ、なかったんだけど…」

「しょうがないわね、こっち来なさい。控室、貸してあげるから」

 なんだかんだ面倒見のいいらしいダイアナは、突然泣き出した作曲家Aにも動じず、手を引いて促す。セデュが行ってしまった後でよかった。こんな姿、とても彼には見せられない。

 

 ダイアナの控室は、白やピンクのバラの花束がところせましと飾られ、とてもいい匂いがする。

「いいなあ、女の子の部屋って感じだ。僕ここに住んでいい?」

「バカ言わないで。今回だけだからね。セデュイールだって入れたことないんだから」

 化粧台に向き直って自身でパフをはたきつつ、ダイアナは言い捨てる。いいなあ、恋する乙女。甘酸っぱいね。

「セデュとはどうなの? 進展あった? あのパーティーのあと、告白とかできたの?」

「できるもんですか。監督に連れまわされてあのあとロスの街に出て、何件も梯子する羽目になったわよ。もうウンザリ。朝まで飲み明かしたもんだから、シャワーも浴びずに現場に戻らなきゃいけなくなるし。セデュイールも呆れてたわ」

「スケジュールかつかつなんだ。大変だなア…」

「いいわね、作曲家先生は優雅で」

「優雅、でもないんだけどねえ…」

「優雅じゃないの。急にいなくなって、セデュイールにあんなに心配かけたと思ったらフラフラと戻ってきて、今度はさよなら? あんた、セデュイールの気持ち、考えたことあるの?」

「美人のお説教は染みるなア、病みつきになりそうだ」

「ふざけてないで聞きなさい! あんたがそんなんだったら、ほんとにわたしが寝取ってやるから。それでいいのね!?」

「まあ僕がそばにいても、彼にはデメリットしかないからねえ。君ならお似合いのカップルになれると思うよ」

 へらへらと受け流す僕に業を煮やして、ダイアナは出て行った。涙と鼻水でぐしゃぐしゃのハンカチは、洗って返してあげたほうがよさそうだ。ジーンズのポケットにハンカチを突っ込み、控室を出たところで、僕はティーナにぶつかった。

「ルーシュミネ、来てくれたのね!」

 ぱっと花が咲くような彼女の笑顔が眩しすぎて目がつぶれそうだ。僕はぱしぱし瞬きながら「ああウン」とか「久しぶり」とか言っていた。

 衣装から私服に着替えた彼女の出番はもう終わったらしい。すらりと華奢な身体に沿った水色のワンピースがよく似合う。清楚なお姫様という雰囲気だ。

「君の場面は見られなかったな、残念。また来ることにするよ」

「いいの。ラブシーンは恥ずかしいし。セデュイールのおじさまは、とっても優しかったわ。あなたの言う通り! 何か困ったことはないかとか、嫌なことがあったらすぐに言ってほしいとか、いろいろ聞いてくれるの!」

 おじさま。おじさまか、推定18の彼女にとっては30のセデュはおじさまなのか。これは面白い発見だ。あいつに伝えてやる機会はなさそうだから、このネタでしばらくひとりで笑ってやろう。

「君がかわいいからついつい甘くなるんだろうな、おじさまもさ」

「そうかしら? でもおじさまは、スタッフさんにも優しいのよ。素敵な方だわ」

「…そうだね、素敵だ」

「ねえ、セットの中を探検しない? わたし、『風と共に去りぬ』のセットを見つけたのよ!」

「ほんとかい? まだ壊されないで残っているんだ。すごいねえ…」

 きらきらと光を照り返すように笑うティーナに手を引かれ、僕はしばらくセットの中を彷徨った。エジプトの神殿だとか、アメリカ南部の片田舎の小屋のセットだとか、いろいろなものを見て、ティーナと笑いあい、僕はしばらく憂鬱を忘れた。

 ロシアの劇場を模したセットではティーナはひとりでパドドゥを踊り、踊れない僕は拍手する。

「わたしね、バレリーナになるのが夢だったの。小さい時から。でもね、プリマになるには、背が高すぎるんですって。だから、だめになっちゃったの。全部」

「そうかい。君の踊り、僕は好きだけどな」

「ありがとう。でもね、もういいの。わたしは映画に出て、舞台じゃなくてスクリーンで踊るの。それが今の私の夢」

 腕一つ、足一つ、動かすのにも全神経を集中させたような緊張感をもって、けれど軽やかにのびやかに彼女は舞って、フィニッシュのポーズをキメる。

 鮮やかに夢を語るティーナは、やっぱりとても眩しかった。



 僕はグロリアの屋敷のプールに浮かんで、ぷかぷかと空を見ている。

 あっさりと戻ってきた僕にすっかり興味を失ったのか、部屋から出ることを咎めもせずにグロリアは現場に向かい、僕はしばらく放置されている。

 あの夜の冒険のおかげで、作曲は順調だ。これはティーナのおかげだ。あと、僕を連れ出してくれたダイアナのおかげもちょっぴり。そういえば洗濯したはずのレースのハンカチは、どこにいってしまったんだっけ。

 ぼんやりと浮かぶ雲を眺めていたら、その視界にもはや見慣れた仏頂面が映りこんだ。

「やあダイアナ、今ちょうど君のことを考えていたんだ」

「あらそう、奇遇ね、ちっとも嬉しくないけれど」

「君が貸してくれたハンカチ、洗濯したはずなんだけど、待ってね、今探してくるから…」

 などと言いつつ動こうともしない僕にダイアナは軽蔑したような視線を注ぎ、

「もういいわ。あれはあげます。あんたの鼻水付きのハンカチなんて手に取りたくもない」

「あー美人のお小言、ありがとうございまーす」

「バカばっかり言ってるんじゃないの。来なけりゃよかったかしら」

 マイクロミニの白いスカートを履いたダイアナは腿まで丸出しで、もう少しで下着が見えそうだ。僕は紳士なので勝手に見たりしないし、指摘もしないであげるけど。あと僕はオッパイ派だから…。

「そういえば君、どうしてここが?」

「あんたのマネージャーに吐かせました。…あんたのマネージャー、あんなにちょろくて大丈夫? 仕事できなそうよね」

「それは僕も、痛感してる…」

 マチウの悪口はそこそこにして、来訪の理由を促せば、しぶしぶといった体で、ダイアナは話をはじめた。

「…もうそろそろ限界みたい。飲酒して、アルコールの抜けないまま現場に来るなんて、今まで一度もなかったのに」

「なんのはなし? 僕ならよくするよ、それ」

「あんたの話はしてないの! それにあんたのカス自慢はどうでもいいのよ! くそくだらない!!」

「うわー毒舌の雨だあ」

「――問題なのは、セデュイールのことよ。あのひと、このままだと、本当にダメになりそうなの」

「…え?」


 ダイアナの手配してくれたタクシーに乗り込み、セデュのホテルを目指す。ダイアナはここ数日の、セデュの荒れっぷりについて、僕に懇々と語った。まず、飲酒しての現場入り。他には、本番中にぼんやりしてNGを連発し、芝居にも熱が入らない。挙句の果てには、引退するとまで口走っているらしい。

 うん、僕ならよくやる手だ。というかたいていの芸能人はよくやる手だ。問題なのは、それをしてるのが、優等生のセデュだってことだ。

「あんたのせいよ。責任取りなさい」

「いや僕のせいかなそれ!? 全然何も聞いていないんだけど!?」

「じゃあ誰のせいだって言うのよ。幸い、引退のことは緘口令が布いてあるから公にはなっていないけど、それも時間の問題でしょう」

「君があいつに何かしたなんてことは…?」

「見縊らないで。あんなに弱ったあのひとにつけこむような真似、私がするわけないでしょう!!」

 毒舌なダイアナはどこまでもまっすぐな女の子だった。これは僕が悪い。付してお詫びしよう。

 ホテルの前に着くとダイアナは憎々しげに僕を睨みつけ、

「じゃあ私は帰るから。ちゃんと話し合いなさい」

 と念を押して帰っていった。





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