第三話
ふわふわと、羽が触れるような心地よさが、僕を眠りの淵から呼び起こす。
瞼を開くと開いたままのテラスから黄色い西日が射しこむ。
穏やかな風がクリーム色のカーテンを揺らし、ソファに横たわったままの僕の前にはセデュがいる。
蕩けそうな、舐めたら甘そうな、飴色の瞳で僕をのぞき込んで、僕の髪をなでていた指がふと止まる。
「つづけて。きもちいいから好きだな、きみの手」
夢見心地で呟けば、再び緩やかな掌が、僕の輪郭をなぞるように動く。
「よく眠れたか」
「うん、朝にマチウにみつかっちゃったけどね」
「もうホテルに戻るのか?」
「んーん。とうぶんはここにいたいから、なんとか言いくるめて帰したよ。へへ、褒めてー」
ほっとしたような吐息をひとつ、指先が熱をもって僕に触れる。
くすぐったくなってクスクス笑えば、セデュは真剣な顔で僕を見つめる。
「私もまだお前といたい。お前に不都合がないなら」
「僕自身にフツゴウはないさ。ただ世間に知られたら面倒だってだけ、君にとっても、僕にとっても、どうもそういうことらしい。もう手遅れの気もするけどね」
「お前の仕事に不利となるようなことは…」
「僕のことより、自分のことを心配しろよ。僕なんかよりよっぽど影響デカいだろ」
「私のことはいい、なんとでもなる」
「そう簡単じゃないって。怖いぜえ、世間様の目ってのはさ…」
かつて頂点を極め、転落した僕自身の経験談にもとづく諫言だ。それなりに説得力があったのか、セデュは眉間に皺を寄せて黙り込み、指先は探るように、僕の頬に触れる。
「私を受け入れられないのは、そのせいか」
「プロポーズのこと? まあ、それだけじゃないけど…」
「他に理由が?」
「んー、内緒」
「…」
フラフラとはぐらかす僕にむっとした表情のセデュは、ぷに、と僕の頬を軽く抓る。
「いひゃいよー、はなしてよー、いじめっこー」
「マチウは他に何と?」
「そうそう、可笑しいんだぜ、僕のことを天使みたいとか、儚げだとか言ってたな。あの真面目なツラでさ。笑っちゃうだろ?」
「………」
ぱっと手を離したセデュは電気が落ちるみたいに、スウと表情を消す。冷たい空気がびりびりと肌に痛い。あ、これヤバいやつだ。本気で怒ってる時のセデュだ。どうしよう、何が彼の逆鱗に触れたのかサッパリわからないぞ。
とにかく何かで胡麻化そうときょろきょろ視線を彷徨わせる僕に、座った目のままのセデュが言った。
「お前の魅力がやつに知られたのは喜ばしいことだ」
「ちっとも喜ばしくなさそうな顔で言うなよ。なに? 怖いんだけど」
「それはそれとして、やつに口説かれたのか? 迫られたのか? 私のいない隙に」
「くど…?」
きょとんと彼の目を見返して、彼の怒りポイントがどこかようやっと理解して、僕は噴き出した。体を折り曲げて盛大に笑った。
「ぶはははは、あり、ありえないんだけど!? あのマチウだぜ!? ひひ、無理があるって…」
「どこにも無理はない。お前は自分の魅力に無頓着すぎる。たとえ妻帯者であろうが、お前と二人きりで過ごして、参らないはずが…」
「そんなもの好きは君だけだっての! あーおっかしい。君も嫉妬するんだねえ、いいものが見られた!」
「…嫉妬はする。当然だ」
眉間に皺を寄せた仏頂面で、セデュは嘯く。
「お前を愛しているから」
予想もしていなかった剛速球に、ひゅっと息が止まる。こんなのは狡い、何も言えなくなるじゃあないか。
へにゃへにゃと背骨が抜けたようになって引き攣った顔のまま、ソファに凭れ掛かる僕の手を、セデュの大きな掌が覆う。至近距離で見つめあって、観念した僕は彼の整いすぎた美貌を瞼で隠した。これ以上見つめていたら頭がパンクしそうだ。
彼の甘やかな香水の匂いが近づいて、僕は目を閉じたまま、彼と長い長いキスをした。
夢中になった僕らを発見したマチウが銅像のように固まっていたのにもしばらく気づかなかった。




