第二話
レンタカーを借りて彼の運転でドライブして(ちなみに僕には免許がない)、夜まで時間があるというセデュを連れて昨年撮影したという彼の最新作を観に行った。
年上の女性に恋する青年の役をセデュが演じた映画は大入満員で、特に変装もしていないセデュがひょっこり現れたのでちょっとした、というよりかなり大掛かりな人だかりができ、僕は弾き出されてしまったのだが、劇場の支配人が裏口からこっそり入れてくれ、僕とセデュは映写室で映画を観ることができた。
かたかたと映写機が回る音と、劇場の無数の頭の向こうの大画面に映るセデュ。僕の隣にいる彼は自分の出ている映画も特に感慨などないように、淡々としている。近距離からの撮影で大画面に彼の顔が映るたび、客席から漏れるため息などは聞こえていないようだ。
隣でチラチラ彼を窺う僕に気付いたのか、映画の終盤、大女優と彼のキスシーンから目を逸らした僕と彼との目が合った。なんだか気まずい思いでへらりと笑ってみせると、無言で彼の顔が近づいて、僕の視界は覆われた。
そのあとの映画の内容は、ほとんど覚えていない。
覚えているのは、映写室を出る際の映写技師のおじさんの、恥ずかしそうな微笑みだけだ。
劇場を出ると街は夕暮れに染まっていた。オレンジから藍に変わるグラデーションの空の下、オープンカーに吹き込む風が火照った頬を冷ます。
長く伸ばしたポニーテールがはたはたと靡いて、気持ちのいい風に目を瞑る。
座席に凭れ掛かり、ララ、ラ、と思いついた曲想を口ずさめば、機嫌のよい彼が隣で微笑む気配がする。
完璧に最高の気分だ。怖いものなんて何もないんじゃないかってくらい。
朝に僕を悩ませていた煩悶も忘れ、僕はそのとき有頂天だった。
頂点にのぼりつめたら、後は落ちるだけなんだけどね。
僕専属のマネージャーがセデュのホテルを訪れたのはその翌日だった。作曲のための音響機材諸々も僕とともにセデュの部屋に運び込んだので、そこから足がついたのだろう。まあ隠すつもりも特になかったし、それ自体は問題ではない。
問題なのは――
「ムッシュ・リーヴェ、貴方はご自分の立場をよくお考えいただかないと。ただでさえ貴方にはダーティーなイメージが付き纏っているのですから、この上にムッシュ・レヴォネの離婚の原因が貴方だったなんて世間に知られようものなら、どんなことを言われるかわかったものではないのですよ」
「はいはい、ご教示ありがとう。君はいつこっちに来たの?」
「貴方と連絡がとれなくなって探し回っていたのですよこっちは!」
ものすごい勢いでまくし立てるのは黒髪をぴったりと撫でつけるように整えた黒縁眼鏡のマネージャーだ。名前はマチウ。奥さんに頭が上がらないらしい30歳、子供はいない。
フリーになる前、セデュは今の僕の所属事務所にいて円満移籍したわけだが、マチウはセデュのマネージャーを務めたこともあったらしい。
「そんなこと言われてもねえ。僕って縛られるの嫌いだからさあ、なんとかならない?」
寝起きに突撃された僕は昨日と同じ、だらしなく羽織ったシャツとジーンズを脱ぎ捨てた下着だけの姿でモスグリーンのソファに寝転び、テーブルの上に置かれたブドウを齧る。昨夜も乗りに乗って夜明けまで作曲していたせいでとんでもない寝不足だ。じゅわりと染み出すブドウの汁が甘くておいしい。目を瞑ったままブドウの皮をもちゃもちゃしていると、また眠りに引き込まれそうだ。ちなみにセデュは夜の打ち合わせに行き、一度帰ってきて、僕の目覚める前にはもう出かけたらしい。すさまじい体力とバイタリティだ。僕にはとてもまねできない。
「貴方売れたいんですよね!? そういうワガママは、もっとビッグになってから言っていただきたい!」
「売れたいというか…僕は自分の音楽が聴いてもらえるなら、それでいいんだけど…」
「ほら寝ない! 貴方のイメージ次第で、仕事がなくなる危険性もあるんですよ、わかってますか!?」
耳元で手を叩かれてキンキン声で叫ばれるのは非常に不快だ。こいつの声がもうちょっとやわらかい美声だったらな。セデュのセクシーな声だったら、お小言でも楽しめるのに、残念だ。
まあマチウにここまで言わせる、僕が悪いんだけども。
「イメージってなんだよー。僕は僕でしかないんだぞー」
寝返りをうって伸びをする僕にマチウは「いいですか!?」とつかみかかる。
「あなたのそのブロンドに見事な緑の瞳、華奢で折れそうな体つきに長い脚、黙っていれば天使のような儚げな美貌、黙っていればただひたすらに愛らしい赤い唇から覗く八重歯…」
「黙っていればが多いな…」
「少女の憧れる偶像としての素質は十分なんです、まだあなたの過去の所業を知らないうら若き乙女をターゲットに売り出すのが、事務所の方針なんですよ!」
「アイドル売りは嫌だなあ。それで痛い目見たわけだし」
「そうならないように、気をつけろって話をしてるんですが!?」
なんだか血管が切れそうにヒートアップしているマチウを、「まあまあ」と僕は口だけで宥める。
「公の場ではあいつに近づかないようにすればいいんだろ? わかってるって」
セデュと二人でデートして楽しかった昨日のことは、マチウには黙っていようと心に誓う僕である。彼の血管が切れたら大変だからね。
「そんなに心配しなくても、ヘマはしないって。あいつのイメージも、守らなきゃいけないし…ふああ」
大口開けて欠伸をすると、疑わし気な目線を向けていたマチウがぼそりと尋ねる。
「あまり寝られていないのですか」
「んーまあね、ついつい熱くなっちゃって、一晩中やってたら気づいたら日が昇ってたよ。眠れたのは、3時間くらいかな?」
「ひとばんじゅう…」
「やっぱり溜まったものは早く吐き出さないと気が済まないっていうかさ。あいつも喜んでくれるし」
「よろこんで…」
「そうそう、あ、聞いていく? 昨夜の録音したのがあるんだけど…」
「わわ私は貴方がたのプライヴェートには関知しませんので!」
マチウは飛び上がって素っ頓狂な声を挙げ、バタバタと出て行った。
作曲の話、だったんだけど、何か勘違いをされた、ような気がする。
…まあいいか、出来上がった曲は後で聞かせてやろう。昨夜はセデュも喜んでくれたし、出来は悪くないはずだ。
ホテルを移る話が有耶無耶になったのにほっとして、横たわったままの僕はまた体を伸ばす。
セデュが帰ってくるまで、もうひと眠りできそうだ。




