第八話ー庭園へ
謁見の間から、応接室に移ったものの、イリスの緊張は増すばかりだ。
目の前にユリウス·ダナンディア1世が座り、更に勇者アレンデルアレンデル。王宮魔術師アーサー·ライナス、隣には白銀の公爵マーシャル·グレイシスがいるのだから。
息を吸うのも一苦労だ。
「皆、下がれ。イリス嬢が緊張するだろう」
マーシャル·グレイシスが冷たい声で言った。
イリスは肝が冷える思いで口を開いた。
「あの、どうして私はこの場に呼ばれたのでしょう?公爵閣下とダンスをしたのは認めます。ですが、恐れ多くも公爵夫人の地位など考えた事もごさいません。どうかお許しいただきたく····」
不穏な空気が流れた。イリスは泣きたくなってくる。
「おい!俺がいない間に事が拗れてないか?どうしてこんなにイリス嬢が怯えているんだ?マーシャル!なんとか言え!」
アレンデルが堪らず言った。
マーシャルはびくりとし、肩越しにイリスに視線を向けた。
「イ····あ····う」
謎の言葉を発し、動かなくなった。
他の3人が氷のように冷ややかな眼でマーシャル·グレイシスを見た。
「こんなにポンコツだとは」
「長い付き合いだが、信じられないな」
「友情を見直したい」
よく分からないがひどい言われようだ。
「私たちはしばらく席を外そう。マーシャル。お前も忙しいんだから、今日中になんとかしろ」
アーサー·ライナスがユリウス1世と勇者アレンデルを連れて部屋を出た。
(えっ、待って待って。私はまだ帰ってはいけないの?まさか本当にグレイシス公爵と私を婚約させる気?)
イリスはどうしたらいいか分からない。自分が通常の伯爵令嬢や侯爵令嬢ならば、この場にいることに納得出来るが、そうではない。イリスは微動だにしない公爵をチラリと横目で見た。
(なんて綺麗なのかしら)
ルビーの様な瞳に、さらりとかかる銀の髪。男性にしては肌が白いが、適度に日に焼けて象牙のようだ。
(睫毛も長いわ。きらきらしてる)
白銀の騎士と称され、冷たくも美しい彼を一目見ようと、凱旋の際には令嬢たちが騒いでいた。
(こんな方と婚約なんて····)
と、そこまで考えてすぐに冷静になった。ある訳がないわ。夢すらみれないほどにかけ離れている。
「よければ···君さえよければ、庭園に行かないか?今日は祭日だ。露店が出ている」
マーシャル·グレイシスが小さな声で言った。隣にいなければ聞こえなかっただろう。
「はい···」
思わず返事をしてしまった。
気のせいだろうか?マーシャル·グレイシスが少し微笑ったように見えた。すぐに顔をそらされてしまったので、よく見えなかったが。
(公爵閣下は私に何か用があるのね。聞いたら邸に帰されるかしら?リリアナ達はあんな態度を取られて、きっと機嫌が悪いでしょうね···)
家に帰るのが憂鬱になった。
(明日はハセドに会いに行かなければ、お父様がお怒りになるわね···)
「何を考えている?」
とぼとぼと付いてきているイリスに、マーシャルが言った。そして腕を差し出した。
イリスは躊躇したものの、差し出されたエスコートを受けないのも失礼なので手をとった。
(そうね。今日は考えないでおきましょう)
前を見ると、薔薇の庭園が広がっていた。手入れの行き届いた美しい薔薇園だ。
王宮の薔薇園は広大だ。定期的に開け放たれ、露店などが出店し、小さな観光地になっている。
薔薇を見ながら歩いていると、グレイシス公爵に声をかけようと貴族が数人近付いて来た。マーシャルはそれをジロリと視線だけで下がらせた。
「グレイシス公、このような場所でお会い出来るとは」
中には視線に気付かず話かけてくる者もいる。
「ハボット侯爵。お久しぶりです」
マーシャルは小さいため息をついて挨拶した。
イリスは小さく頭を下げ、気を利かせて少し離れようとエスコートの腕を離した。途端に腰に手が回された。さっきより密着している。イリスの頭が一瞬真っ白になる。
「侯爵、すまないが今日は連れがいる。また後日お聞きしましょう」
「あっ、これは失礼。閣下とご一緒にいるなんてどちらの····」
マーシャルが視線を流すと、侯爵は口を閉じた。恐怖で効かない場合は、美という暴力で黙らせるのか···とイリスは圧倒された。
「ここは人が多い。もう少し奥に行きましょう」
イリスは腰を抱かれたまま、マーシャルにエスコートされた。
少し進むと、見覚えのある噴水が見えた。
「ここは···」
マーシャルと踊った場所だ。
マーシャルはイリスから手を離した。
「申し訳ない。イリス嬢には婚約者がいるのでしたね。人のいる前で誤解を産む行動をとってしまいました」
「あ、いえお気になさらず」
シュンとしたマーシャルが、さっきまでの侯爵に対する毅然とした態度とあまりに違いすぎて、イリスは可笑しくなった。
「本当に気になさらないでください。婚約と言っても、破棄になりそうなので···」
「破棄?」
マーシャルが驚くのも無理はない。婚約破棄など、早々起こることではないからだ。ましてや家同士の利益が絡む政略結婚では尚更のこと。
「え、ええ。この間お相手の方に頼まれまして···」
「婚約の破棄を?」
「はい···」
イリスは恥ずかしくてみるみる赤くなる。
(軽々しく打ち明けるのではなかったわ。婚約破棄されるなど醜聞でしかないのに)
婚約破棄された理由でも問いただされるのかとビクビクしていたが、何も言われないのでイリスは顔を上げた。
マーシャルをみると、眉間にシワを寄せて何か思案している。
(眉間にシワを寄せた表情すら素敵だわ···)
ぼーっと見惚れていると、マーシャルが急にこちらを見た。
「そういえば、イリス嬢にお渡ししたいものがあったのでした。少しここでお待ちいただけますか?」
見惚れていたイリスは慌てて返事をした。
「は、はいっ」
サッとその場を離れようとしたマーシャルは、くるっとまた振り返った。
「お帰りにならないでくださいね。すぐに戻ります」
念を押してマーシャルは来た道を戻って行った。
読んでいただきありがとうございます。
あと2話で完結となります。
あと2話は明日の更新予定です。




