第48話 終戦
ハァハァ…かわいいよ、火憐ちゃん……ハァハァ
お互いに走り出すのは同時だった。それは先ほどまでなら自殺行為だったが、今ではもう違う。どういう理屈かは知らない不思議パワーのお陰で俺の身体能力は飛躍的に上昇している。全力で踏みしめれば石畳に脚がめり込むし、速度は狼と互角かそれ以上だ。それぞれの手に握った刃と鞘をさらに固く握り締め、右の刀を鏡写しのように振るわれる狼の右爪目掛けて振るう。ギャリッと僅かに火花を散らし、それが消えるよりも早く跳び退さる。その行動も、またお互いにほぼ同時だった。
退いた理由はあまり攻め入って手痛い反撃を食らうのを恐れたから。向こうはいきなり強くなった俺に対する警戒、ってとこだろう。
ならば、その警戒が解ける前に追撃するのが吉か。そう結論付けるよりも先に体は勝手に飛び出していた。刃で斬りつけ、鞘を叩きつける。銀色の毛が数本宙を舞った。
自らの体を傷つけられたことを悟った狼が怒り、咆える。空気が震えるほどの音量に押され、再び退く。今度はあちらから飛び掛ってきた。
間断なく振るわれる両爪。獣としての本能か、狙われるのは人体の急所ばかり。というかこの威力なら何処に喰らっても死んだっておかしくない。
頭の片隅でそう考えながら、往なし躱して受け流す。まあただただ内から外へ誘導しているだけなのだが。
一歩で数メートル。バックステップを行いながら攻められる。怒涛の連撃に押されっぱなしだ。残念なことに俺の手は二本しかない。相手と手数が同じで、尚且つ勢いで負けているなら反撃の仕様が無い。
でも、それは手数が同じなら、の話だ。俺にはまだ出せる手がある。
左足ごと凍らせ、氷刃を作り出し蹴り上げるようにして首を狙う。直前に察知され当たらなかったが、気にせず今度は横の壁から断続的に氷柱を、左右から挟むように作る。規則性はほぼ無いといってもいいがそれでも途中から危なげなく避けられてしまうので下からも狙う。両の手も足も動きを止めない。すると、次第に狼の銀毛が所々紅く染まりだす。
「ガ、ガァアアアアアアアアッッ!!」
徐々に増えていく傷に怯みながら、気を振り絞るような狼の雄叫びも、今の俺にはどうでもいい。もっと、もっとだ。思いっきり息を吸い、吐き出さずに腹に留める。そうやって捻り出した力で、両手の武器を叩きつける。相殺のために振るわれた爪を弾き、その奥の体に食い込ませる。それを数回。何度目かの際、鼻面に鞘をぶつけた時点で狼は弱弱しい声をあげ、大きく後ろにジャンプ。離れた建物の屋上に飛び乗った。
追おうかと思ったが、息を止めていた反動で呼吸が荒い。一旦小休止だ。
呼吸のリズムを整えている間、狼は身動ぎ一つしなかった。いや、できなかったのか。俺と同じ、もしくはそれ以上に疲弊した様子だ。
とは言え、俺の体も《飛鳥》のお陰で強くなっているだけだ。多分これが終わったら体中筋肉痛になってるだろう。まあフィナがいれば大丈夫か。
呼気が静まったのを確認。体を動かすのに支障がないと判断し、攻め立てようと――
「!」
動きが止まる。いや、止められる。全身に錘を付けられたのではないかというほどの重圧。何だこれは…?
ギシギシと軋む音すら聞こえてきそうなプレッシャーに耐えつつ、強張った首を動かし、先にいる狼を見る。
「――――――」
君臨。
その二文字が相応しい堂々たる風貌。先程までの疲弊した様子が嘘のようだ。
銀狼は大きくその身を弓なりに反らし、
「オオォォォォォオオォオォォオオォォォォォオ――――――――!!」
咄嗟に耳を塞ぐ。これだけ離れているにも関わらず、そうでもしないと鼓膜が破れるのではないかというほどの大音量だった。掌越しに伝わってくる音だけで僅かに意識がふらつく。気のせいか狼の周りが光っているように見える。貧血の症状か?
いや違う。本当に光ってるよあれ。狼の銀毛が光を放ち、毛先からは光の粒子が宙へ放たれている。
おまけに、目に見える速度で傷が治っていく。付着していた血液さえも消失している様子。あそこまでするのにどれだけ労力をかけたと思っているんだ。
変化はそれだけに留まらなかった。銀色の毛並み、その表面をバチバチと聞こえてきそうな具合に青白い光が飛び交っていた。同時に、彼奴の額にある紅い珠も煌々と輝きを見せている。
ゆっくりと、天へ向けていた顔をこちらに向ける狼。その顔つきは先程とは全く違う。心なしか体も一回りか二回り大きくなったように思える。気のせいであって欲しい。
そして狼は――消えた。
咄嗟に両の手に握った得物を体の前に構えると、数瞬遅れてそこに狼の手が現れる。反射的なことで碌に力も入れていなかった為、あっさりと弾き飛ばされる。空で一回転して着地。地を蹴って向かう。
激突。お互いに防御など考えない。相手の攻撃はこちらからの攻めで相殺、いや、むしろそうして相手を傷つけようとする、攻め一辺倒。
光り輝く《飛鳥》の光刃とそれに追随する黒い鞘。白光が黒影を塗り潰し、漆黒が閃光を追う。我武者羅に振るい続けた。
先程とは違う。脚も氷も出せない。そんな余裕は無い。考えているうちに命を刈り取られる。一体何がコイツをここまで高めたのか。思考を回す暇が無い。
交差するようにして叩きつけられる狼の両爪を相対するようにこちらも両の武器で受ける。ぎりぎりと鍔迫り合いが続き、不意に狼が口を大きく開けた。
「――――!」
飛ぶ。後のことは一切考えず、勘に任せて一気に飛翔する。これまでかなりの回数この勘に助けられてきたんだ。信じる。
そしてそれはどうやら大当たりだったようで。翼を展開しながら確認すると、一瞬で狼の口の前に白い光が集まり、ビームのように放たれる。街中を一直線に通過したそれは、そのまま正面にあった建物を吹き飛ばした。
もしあのまま攻めていたら、と考えるとぞっとしない。恐怖を押さえ込み、再び攻め入った。
キィィィィンという甲高い音と共に狼の口に何かが収束していく。それが放たれる寸前、横に飛ぶ。白いビームは一直線に地面を焼きながら、対面にあった建物を消す。これで五発目。そろそろ街の心配をした方がいいのかな?
側面から攻める。繰り出される爪を鞘で受け、返す刀で切りつける。飛び散る血を無視しながら、果敢に攻め入る。
体勢を低くしながら腹の下に滑り込み大上段で剣を振る。が、刃は届くことは無く、代わりに狼の巨体が宙を舞った。
チャンス!と判断し、飛翔する。空中では動きは取れないだろうと考えていたが、甘かった。くるりと回転する狼の体。正面を向いた時、その口元にはすでに光が収束されていた。
「ぬおぅっ!?」
急制動。アクロバットのような動きで回避する。発射した勢いを利用し狼は移動。体勢を立て直す前に着地し、こちらに向けて再び収束を開始した。
今度は完全には避けられなかった。光線は左腕を掠め、その後ろの翼を貫いた。それは魔力で出来たものなのでダメージは無いが、流石にバランスが取れない。当然、落下した。
今の身体能力なら多少高いところから落ちても問題ではない。しかし、落ちた場所が問題だった。家と家の間の路地。それも袋小路。さらに悪いことに、狼はこちらへ向けてビームを撃つ用意をしていた。
これはヤバイ。冷や汗が背中を流れる。
口元に収束された白い光が形を変えようとした瞬間、俺は刃を鞘に収め、そのまま鞘尻を後ろの壁にぶち込んだ。そして柄を両手で握り締め、全力でもって刃を抜いた。突き進んでくる閃光の白と引き抜かれた刃の白。それらが激突する。
激突は一瞬で終わった。その一瞬のうちに俺の体がどれだけ傷ついたかは定かではないが、それでも俺は奴の攻撃を凌ぎ切った。後はただ、前に進むのみ。
一歩踏み込み、爆発的な速度での推進。光線を放ったことのいる僅かな間の反動。その隙に腹の下に潜り込み、そして今度こそ腹部に刃が入り込んだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオッ!」
振りぬいた勢いを殺さず、流すように剣を動かし、構える。今度は突き。頭上の体躯を貫通せんとばかりの速度で貫いた。
痛みに絶叫を上げながら、狼は跳ぶ。腹から血を振りまく姿はかなりスプラッタだ。
ゼェゼェと息が荒い。見れば向こうも同じ様子。満身創痍と出血多量。どちらが終わるのが先か。
壁に埋めたままの鞘を取りにいく余裕すらない。残った力でさっさとあいつを倒すことだけを考えればいい。
別に、逃げたって構わない。策を練って搦め手で攻めてもいい。このまま放置していてもそのうち出血多量で死ぬのだから時間稼ぎでもいいのだ。
それでも俺は前に進む。騎士道精神なんて欠片もないし、正々堂々なんて知ったこっちゃない。でも、必死に戦おうとしている相手を前にして、その心意気を無視できるほど落ちぶれちゃいないんだ。
だから俺は前に進む。向こうもまた、白銀の体を真紅に染めながらも立ち向かってくる。足取りこそ覚束ないものの、踏みしめた脚には確かな力が篭っている。
決着はこれでつく。次の一合でどちらかが終わる。或いはどちらも終わる。でも……それは嫌だ。死にたくない。だから、勝とう。
そう思うと同時に、その意思に答えるように、その意志を待っていたかのように、《飛鳥》の輝きが増す。より眩しく、さらに深い。吸い込まれそうで、どこか強い光が発せられる。体の奥底から、まだそんなにあったのかと思えるほどの力が湧き上がってきた。
より明瞭になる視界に、影が生まれる。数秒先の俺の姿と、同じように数秒後の狼の姿。極限まで集中するとこんな風になるのか。視界がゴミゴミするから嫌だな。
一足で跳び上がり、《飛鳥》を大上段まで振り上げた。予期していた通りの位置に着くと同時に狼もまた影に重なった。そうなれば、後はやることは非常にシンプルだ。
真っ直ぐに、刃を振り下ろす。ただそれだけ。それだけで、こちらに向けて飛び掛って来ていた狼の体は、鼻面から尻尾まで一息に割断された。
剣を振り切った体勢で着地する俺の体の背後を流れていく狼の体。やがてじわじわと真ん中から紅が広がり、右と左に分かれて地面に落ちる。同時にその骸は凍り付き、砕け散った。もしかしたらくっついて治るんじゃないかと考え、斬った先から凍らせていったんだけれど、杞憂だったか。というかやり過ぎた。
「…………」
狼は倒した。これでとりあえずはこの街の安全は保障された。けれど、まだ幾つも疑問がある。戦っている最中は気付かなかったが、終わったことで頭の何処からか浮上してきた。お陰で達成感なんかありゃしない。
アレは一体なんだったのか。何が目的でここに来たのか。というか、そもそも、アレは何か害を及ぼす存在だったのか、というところまで疑問に思う。いきなり目の前にどーんと来て、そのままの流れでぶっ倒しちゃったけれども、果たしてそれでよかったのか。
「う~ん…………ん?」
ちょっと考え、とりあえずもうやっちゃったんだから仕方ないと割り切ることにしよう、と決めた時、踵に何かがぶつかった。
それは狼の額にあった紅玉だった。両断したんだからこれも斬れたと思っていたけど、傷一つついていない。
なんとなく、それをもう見ていたくなくて、踏み潰して壊そうと思った瞬間、紅玉がチカチカと点滅を始めた。そして、
『―――あー、あー、マイクテスマイクテス。聞こえますかー?』
「聞こえてるよ」
反射的にそう返し、そこでやっと目の前の状況をはっきりと理解する。疲れてんのかな、俺。
『おお、そうかそうか。いや、なにぶん急拵えで付与した術式だから上手く発動するか不安でね。まあしっかり作動しているようだし結果オーライといったところか』
性別は男性。声色から判断するに壮年。どことなく気分がよさそうだ。
「あんた…誰だ?」
『ふむ、「ここで人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀ではないか?」と言ってもいいのだけれど、それでは君の機嫌を損ねるだけだからやめておこう。私はあれだよ。いうなれば、悪の組織のボスだ』
「悪の組織?……ああ、何かそんなのがあったような気がするけど……忘れちゃったよ。手紙送ったきり何してこないんだものアンタら。組織名すら忘れた。手紙の内容もうろ覚えだよ」
『悪の組織にも色々と都合があるのだよ。具体的に言うと、戦力の強化と各方面への根回しだね。以前君が我々の実験結果をあっさりと破ってくれたからね。念には念を入れてさらに改良を加えたんだけど…またもやられてしまったね』
そういえば、そんなことがあったような。忘却の彼方だけど。
「うん?その言い方だと、つまり、俺がさっきまで戦ってた狼はあんた等のなのか?」
『いかにも。我々「アレウス」が創り出した最高傑作。模造品シリーズNO.1、検体名「フェンリル」』
「いやいや、狼だからフェンリルって。ちょと安直過ぎやしないか」
『違う違う。狼だからフェンリルなのではない。フェンリルだから狼なのだよ。模造品シリーズは君がいた世界から流れ着いた書物に標されていた空想上の生き物を我々の技術力で再現したものだ』
「それはそれは、創っている方は楽しいだろうけど聞いているこっちは若干居た堪れなくなるセンスだな。ってか、NO.1ってことは、それ以降もあるのか?」
『それが君に関係あるのかい?』
「…………」
男は笑った。
『質問には答えよう。模造品はこれからも創る予定だ。創り、そして各国の都市部に送る。都市機能を麻痺させることが出来れば良し。国の上層部にダメージを入れることが出来れば尚良しだ。そうして弱ったところを一気に叩く。模造品には多大な費用をかけているんだから、それに見合う働きをしてもらいたいところだね』
男は一息入れ、
『しかしながら、その栄えある第一号は君に倒されてしまった。被害も大分小規模だろう。君は本当に厄介だ。疎ましい。目の上のたんこぶという奴だね。よって、これからしばらくは今君がいるレパーラ国には手を出さないことにするよ。他の国には手を出すけど、わざわざそれを止めに行ったりはしないよね。物語の主人公じゃあるまいし』
「…ああ、そうだな」
俺は答えた。
「止めに行く気なんか無いよ。面倒臭い。自分から厄介ごとに首を突っ込むほど俺は馬鹿じゃない。まあ目の前で暴れられでもしたら止めるけど、そうじゃないなら気にしない。精々俺の前に現れないようにするんだな」
『ご忠告感謝するよ。ありがとう』
「どういたしまして、っと」
パキン、と。明滅を止めた紅玉を踏み砕く。
「ん~…」
少しの間にいろんなことがありすぎて頭がパンクしそうだ。ややこしい。向こうから女性陣が駆け寄ってくるのが見えた。
「………」
俺はそのまま歩き出した。後片付けは騎士の人達に任せよう。肝心なときに何もしなかったんだから、これぐらいはしてもらわないと。
…………そうだよな。別に深く考えるほどのことでもないんだ。こちらから危険に立ち向かう必要は毛頭ない。あっちから攻めてきたら対抗するけど、こっちからは何も手は出さない。それでいいだろう。
『トモヤ――ッ!』
アイツ等を守るには、それで十分だ。
月火ちゃん……あァ、月火ちゃん月火ちゃん月火ちゃん月火ちゃん月火ちゃん――――うっ!