第47話 激戦
……………やっぱ微妙。
(ヤバイな…こいつ)
本能がそう警告してきている。最近本能大活躍だな。出来ればもうちょい早く働いてここに来ない様にして欲しかったけど。
ま、なっちまったもんは仕方ないか。
とりあえず、いつまでもアリスを押し倒してるわけにはいかないので体を起こす。視線を釘付けにして動かないアリスに手を差し伸べながら俺も目の前の障害に目を向ける。
その銀色の狼は何をするわけでもなく、きょろきょろと辺りを見回し、時折鼻を鳴らしている。明確な目的があるかどうかは不明慮だが、今起きた被害は着地したときの副産物で狙ったものではないというのは分かった。どうでもいいけど。
何が目的なのか、狼は騒ぎを聞きつけてぞろぞろとやってきた野次馬には目もくれず、相も変わらず何かを探すような動作を繰り返している。
「なに……あれ…」
ようやく立ち上がったアリスが搾り出すように呟いた。んなもんこっちが知りたいよ。
注意深く狼を見ていた俺はふと、違和を一つ見つけた。狼は耳の先から尻尾まで見事な白銀の毛に覆われているのだが、一点だけ、赤い点があった。それは全長十メートルはくだらないであろうこの巨狼の額にあり、俺はそれに見覚えがあった。二回は見た。
記憶力にはあまり自信は無いが、それでも二回も見ていれば見間違えるわけも無いだろう。そもそもあの赤い珠に関してはあまりいい思いではない。どっちも死にかけた。
つまりは、少なくともあの狼は無害ではないってことになる。
「……アリス」
俺は小さな声で背後に呼びかけた。
「…なに?」
「ちょっくらひとっ走りして、城の俺の部屋から《飛鳥》を取ってきてくれないか。お前の足なら十分もかからないだろ」
「えぇっ!?」
おいバカ変な声出すな。あの狼さんに利かれたらどうするんだ―――って、あー、眼が合っちゃったよ。
その鋭い目に見据えられ萎縮しそうになるが、なんとか持ち堪える。何の反応も示さなければ、興味を失ってまたさっきのような行動に戻るだろう。
「グルルル…」
あれ?なんであのイヌ属は俺を見て唸ってんの?
え?もしかしていつもの動物に嫌われるスキル、あの馬鹿でかいのにも効いてんの?おいおいふざけんなよコラ。誰だ俺にこんなめんどくさい呪いかけたの。出て来いやボッコボコにしてやんよ。
おおっと、ついいつもの癖で現実逃避してた。危ない危ない。目の前の奴はそんなことしててなんとかできる奴じゃないだろうし。
こうなると、確実に《飛鳥》は必要だな。俺が今までピンチを切り抜けてこれたのってほとんどアレのお陰だし。
「ほら、早く行ってくれ。俺はしばらく狼君とじゃれていくから」
「で、でも…」
「頼む。あれが無いとやられちまうかもしれないんだ」
「ええっと………うぅ……わ、分かった!」
くるりと反転して駆け出すアリスの背中に、できるだけ早くね~、と声をかけ、改めて狼を見る。今度は若干の害意込みで。
「ガルル…」
野生の勘だかで敏感に感じ取ったのか、先程よりも警戒の度合いを引き上げたようだ。
さて、ただ待っているというのは性に合わないんで、適当にこっちから仕掛けることにする。狼が俺に注意を向けているのに気付いた人達が素早い動作で負傷者を運んでいく。狼の視線が向かうことも合ったが、その時は俺が僅かに体を動かして注意を引いた。
とりあえずは周りに負傷者はいなくなった辺りで、周囲を取り囲む野次馬を押しのけて重装備に身を包んだ騎士がやってきた。いや遅いよ。けどいいか。
「なあ騎士さん。来て早速で悪いんだけどさ、近くに居る人達の誘導、お願いできる?」
「君は何を言ってるんだ!ここは我々に任せて早く逃げ――」
肩に手をかけようとしてくる騎士の動きを感じ、背中から青い翼を出現させる。驚いた騎士は後ずさりし、野次馬もざわざわしだすが、どうでもいい。
「すまねえな、騎士さん。俺はちょっと用事があるんだ」
僅かに浮き上がり、両の手に剣の形をした氷を出現させる。騒ぎがさらにでかくなったようだが気にしない。狼は完全に臨戦態勢。足に力を込め、いつでも飛びかかれる様な体制になっている。
今更だが、俺が変な行動さえしなければ、この場はもう少しマシになっていただろうな、と考える。だがそれは詮無き事。言い換えれば、どうでもいい。物心ついた時から威嚇してくる動物にはこうやって対応してきたんだ。
さらに体に力を込める。ぐっと前のめりになり、そして――
――剣を投げ捨て、翼も消し、そして全力で横に跳んだ。ごろごろと地面を転がると同時に、さっきまで立っていた場所に狼の爪が食い込む。
当たり前だろ。真っ向からぶつかるわけが無いだろう。こんだけサイズの違う相手にそんなバカな真似はしないさ。
横たわったままの体を起こし、態勢を立て直す前に直感的につんめるようにして前に跳んだ。体が宙に浮いている間に、今の今までいた位置を何かが通り過ぎそのまま正面にある建物にぶつかり破壊した。
勘頼みで跳んだため体制が整っているわけも無く、無様に地面にぶつかる。
『主よ!無事か!?』
「いててて…おおツキ、久しぶりに声を聞いた気がするぜ」
『デート中に他の女と会話するわけにもいかぬじゃろう。って、そんなことはどうでもいいのじゃ。怪我はないのか?』
「おうよ。そこそこ頑丈だからな……っと」
粉塵が舞う建物に開いた穴の中から悠々と出てきた狼を視認し、ツキとの会話もそこそこに切り上げて次の行動に出る。
目の前にバカでっかい氷塊を創る。形状は階段。それを駆け上がり建物の屋根の上に乗る。騎士たちの手際が悪いせいでまだ野次馬がいるんだよ。巻き込まれて死なれでもしたら寝覚めが悪いから予防線だ。
幸い、ここらは建物の高さはほぼ等しいし間隔も狭い。十分に跳んで渡れる距離である。
『主っ!』
ツキの声が聞こえるとともに、下に居たはずの狼が音も無く同じ舞台に着地していた。とりあえずはこれで下の奴らは大丈夫なはず。俺が下手をしなければ怪我をしないだろうし、さっさと避難してくれればもっと大規模な戦いが出来る。
もう少し時間を稼ごうと欲張り、翼を出して大きく飛翔した。高さはおよそ二十メートル。これで少しは――
『危険じゃ、逃げろっ!』
「へ?」
聞こえてきた叫びに一瞬呆ける。そんな俺の前に気付いたら狼がいて、ヤバいと思う暇も無く振りかぶられた脚によって地表に叩きつけられた。
「……っ!!?」
声にならない叫びとともに落下していく。そのまま一軒の建物の屋根にぶつかり、勢いのままそこをぶち破った。
うぅ、痛ってぇ……野郎………上等だ!!
もうもうと立ち昇る砂煙を裂き、次々と氷の剣を持った分身が建物から飛び出し、悠然と構えていた狼に飛び掛っていった。
俺と巨狼との戦いは終始狼の優勢で進んでいく。俺がどうにかして繰り出した攻めの手を、相手はいとも簡単に無力化する。
百に限りなく近いであろう分身たちの特攻も、それによって稼いだ時間で生み出した相当に頑強な大槍も、どうにかして見つけ出した死角に地面から氷柱を生やしてぶつけても、弱点のはずの額の赤玉に一点集中して攻撃しても、その全てが一瞬で一蹴されてしまった。
けれど俺だって負けてはいない。この短い時間の中で確実に進化している。
なんと、ひたすらに狼の爪を避けまくっていたら、何かの拍子にバク転することが出来たのだ。地味に感動。今まではやろうかやろうかと考えながらも面倒くさくてやらなかったし。
回避スキルが上がった事で、ごく僅かだが余裕のようなものが生まれた。狼の挙動も少しずつだが目で捉えられるようになってきた。速度も、追いつくことは出来はしないけれど、大体の上限は掴めた。攻撃の威力は速さ×膂力なのではっきりとは分からないが、膂力だけなら把握した。こいつはどうも速度を重視しているらしく、攻撃もスピードを載せた一撃がほとんどだ。距離を置けば置くほど、結果として与えられる攻撃力は大きくなる。
俺の脳みそは、一瞬でも気を緩めればお陀仏しかねないこの状況下で多くのことを導き出していた。
もちろん、俺が生き残っているのは自分の能力のお陰だけという訳ではない。
先日渡され今も着ている衣服。特別な製法で紡がれた糸を限定的な手順を踏み作り上げたというこれは、幾つかの効果を持っていて、その中には確か防御力上昇という一体どんな場面で活用されるのかさっぱり不明だったものがあったのだが、今これがすっごい役に立ってる。飛んでいる時に殴りつけられ落下したのを皮切りに、何度か近くの建造物に叩きつけられてはぶち破っているのだが、それが痛くない。二階に突っ込み玄関の扉を開けて出てくる、なんてふざけたことをする余裕もあった。まあその後すぐ跳びかかられて慌てて逃げたんだけど。
色々な条件が重なり合ってどうにか生を手繰り寄せている俺。現在は分身を十数体出現させながら戦闘を行っている。分身一人一人には何かしらの武器の形をした氷を持たせてある。
分身一人作り出すのに、大体一立方メートルの氷塊を作り出すのと同じくらいの魔力がいる。つまりは、全快状態の俺が出せる分身の最大数は…………何体だろ?四桁ぐらいかな。
一気に全力で作り数で攻めるというのも悪くないが、自分と瓜二つのやつらが狼の腕の一振りで次々と消えていく光景は見ていてあまり気持ちのいいものではなかったので止めた。
という訳で、最低五人で気をひき、残りの散った面子で遠距離から地道に攻撃する、という戦法をとっている。
本当なら拳銃とかボウガンとか欲しかったんだけど流石に無理なので、適当に役割だけは果たせるよう作った弓矢を持たせている。弓矢の扱い方なら多少は知っている。前に親父が撃つのを見たことがある。あの時は三百メートル離れた的のど真ん中に命中させていた。その真似は無理だが、まあ十メートルくらいの距離なら標的もでかいし外すことはない。当たっても毛皮が固いのか刺さらないのが難点だが。
「……ふぅ」
銀狼の前で踏ん張っていた分身たちが消されたのを見て、思わず息を吐く。囮役がやられたんじゃあ、弓兵が消されるのも時間の問題か。ままならないなぁ。
思わず再度息を吐くと同時に、最後の分身が消滅したのを感じる。目の前に敵が居なくなったアイツが何をするかは分からない。もしかしたら俺と戦うのに飽きて町のほうに行ってしまうかもしれない。それだけは避けたい。ただでさえこの辺りだけでぼろぼろなんだ。街の中央部に行かれたらさらに被害が広がってしまうだろう。
もう少し。アリスが《飛鳥》を持ってきてくれるまでの辛抱だ、と自らに言い聞かせ、身を隠していた場所から出ようとし、不意に頭上に影が射した。
「――ッ!」
背中にに冷水を浴びせられたような冷たさを感じ、何も考えないまま全力で前方に跳んだ。
瞬間、轟音が地面を揺るがす。隠れていた場所が大きく抉られその真ん中に銀狼が降り立つ。あとちょっとでも遅かったらぐちゃぐちゃになってただろうな、と冷や汗を流す。
恐らくは、臭い。あいつはどう見てもイヌ科。嗅覚は鋭いのだろう。臭いで俺の居場所を探り奇襲を仕掛けたってわけね。
じりじりと距離をとる。彼我の距離があればあるほど彼奴の攻撃の威力は上がるわけだが、代わりに俺もアイツをじっくり見ることが出来る。見ずに避けることも勘で動けばなんとかなりそうな気がするもののやはりしっかりと判断して避けたい。
その姿が一瞬ブレた様に見えたと同時にバックステップ。ほとんど影しか見えないが一直線に迫ってくるものが目に映り、大きく上体を逸らす。そうして開いた空間を狼の鋭い爪が通り過ぎていく。
そのままの勢いで連続してバク転して距離を開ける。バク転はついさっき出来るようになったばかりなのでうまくいくかどうか不安だった。
避けは出来る。逃げも出来る。でも勝つことは出来ない。ああもう、じれったい。さっさと帰ってくれないかなコイツ。無理な相談だろうけどさ。
瞬きをするような時間でまた掻き消える狼。だが一直線に攻めては来ず辺りを飛び交っている。こっちを撹乱しようというのか。ちょっとは頭を使ってきたな。面倒なことに。
ならば、俺は半径約百メートル内において、地面壁面建物の屋根問わず、あちこちに小さな氷を設置する。
パキパキパキパキ、と四方八方から氷の砕ける音が聞こえてくる。連続してなり続ける音にくらくらしそうになるが、砕ける音が徐々に近づいているのに気付き、翼を展開して一気に飛翔する。
翼を出している間、背中の肩甲骨の辺りに妙な違和感が生じる。以前クレアに見てもらったら丁度その辺りが翼の付け根に当たる部分らしい。翼の稼動は頭で思い描くだけで十分。だが、最も速く鋭く飛ぶにはそれでは不足。その違和感を違和感のまま受け入れ、その感覚を元から自らの体にある感覚だとし、そして翼を使って飛ぶ。そうして初めて最高速度で空を駆けることが出来る。
直線で飛ぶと下から跳び上がってきたあいつに叩き落されるので大きく弧を描くようにして旋回。何回か跳んで来た狼からの攻撃は当たらずに済んだ。
そのまま狼の周囲をひゅんひゅん飛び回る。イメージは夏の夜に纏わりついてくる蚊。狼は猫パンチで叩こうとしてくるが効果は無い。そのままフラストレーションを溜め込んでしまえ。
その時、遠くから走ってくる小柄な影を発見する。もしかしなくてもアリスだった。
「トモヤー!持ってきたよー!」
叫びながら手に持った《飛鳥》をぶんぶん振り回す。やめろ落としたらどうするんだ。
まあいい。とりあえずは全力で今出せる最硬の氷で狼を囲う。受け取るまで邪魔はさせない。
しゅたっと着地。そのままアリスに向かって走る。
「はいこれ!」
「よし。ありがとな!」
手渡された《飛鳥》。その石拵えの黒い鞘を握るとひんやりとした感触に幾分か落ち着く。アリスに下がってるように言い渡し、改めて狼の方を見る。すでに氷はかなり削られている。破られるのは時間の問題か。
深呼吸して精神統一。そして刃を抜き、すぐに戻した。
「ツキよ」
『なんじゃ主』
「どうすればこいつは発動するんだっけか」
『言ったじゃろう。古戦器を使うには強い想いが必要じゃ。善悪も正負も美醜も関係ない。ただ純粋な想いがあればよい』
「想い、ねぇ…」
『あるはずじゃ。主ならば必ず』
ふむ、と僅かに考える。その時間が惜しいとも思うが、こうゆうのは落ち着いた方がいいもんだ。
少しだけ考え、俺は氷を噛み砕いている狼の方ではなく、言い付け通りに建物の陰に隠れているアリスの方を見た。
「アリス、聞きたいことがあるんだが…いいか」
「…?う、うん」
いきなりのことに戸惑いながらも頷いてくれた。なら、
「今日俺とデートして、楽しかったか?」
「え…」
「楽しかったか?」
繰り返して聞くと、悩むように俯き、
「……うん。楽しかったよ」
しっかりと答えてくれた。続けて問いかける。
「俺と話して、楽しかったか?」
「…うん」
「俺とあちこち歩いて、楽しかったか?」
「うん」
「俺と笑い合って、楽しかったか?」
「うん!」
「……そうか」
一つずつ問いに答えてくれる。その答えを聞くごとに、俺の中で確かな思いがふくらんでいく。
もう十分だと判断した俺は、アリスに背を向け、もう体の半分を氷から引きずり出している巨狼と目を合わせた。
「…俺も、アリスとデートして楽しかった。…だから」
体を揺すりながら徐々に穴を広げていく銀狼。それを見ながら、体の前で《飛鳥》を水平に構える。
「こんなやつさっさと倒して、デートの続きをしよう!」
完全に自由になった狼が咆えるとともに刃を引き抜いた。その刀身は確かに光り輝いていた。
100点満点中54点ってところだな