雨と猫
子どもの頃、雨は心地のよいものだった。
雨の日特有の、非日常感が良かった。
皆が傘をさす通学路、皆で教室で過ごす休み時間、そして人の少ない帰り道。
そういうものが好きだった。
大人になった今、雨は私に過去とは反対の感情を抱かせる。
雨のせいで、洗濯物は干せないし、通勤電車で他人の傘が足に当たるわでとにかく不快なのである。
何が変わったのだろうか?いや、そんなものは分かりきっている。雨の方は変わらない。変わったのは自分の心なのだろう。
では、何故であろうか。何が人の好き嫌いを変えてしまうのだろうか。
変化には「きっかけ」がつきものだ。
だが、好きと嫌いという真反対な感情が変化するほどの「きっかけ」とはどういうものか。
いや、それは一つではないのかもしれない。
もしかしたら正反対への変化というものも何か一つをきっかけに急速に起こるものではなくて、グラデーションのように変化するのであろうか。
あるいは、、
そんなとりとめのない思考に耽りながら、仕事帰りの私は嵐のような雨の中、1人家へと向かって歩いていた。
その途中に、いつも近道で通る公園の、その滑り台の下に見慣ぬダンボール箱があった。
なんだろうか。
訝しんで近くに寄ってみると、少し濡れぎみな一匹の灰色の猫が、すっぽりと、丸くなりながら入っていた。
ああ、捨てられたのだな。
自分ではどうしようもない、誰かが拾うだろう。
そう思って、傘だけでも置いて立ち去ろうとした時、ふとその猫がこちらに顔を向けた。
その時の顔がなんともまあ能天気な顔であった。
自分の境遇に気がついていないのだろうか、なんとも阿呆な猫である。
そう思いながらもだがしかし、私にはその顔がなんだかとても愛おしくも感じられた。
「まあ、お前も気の毒やつだ。雨の止むまで、家に置いてやろう。」
そう言って、段ボールから猫を抱え出そうとした時
「にゃー」
と猫が鳴いた。
その瞬間、ふと先ほどまで考えていたことが思い出された。
ああ、そうか。きっとこういうものなのだろうな。
一つ解を得られた喜びを感じながら、傘と猫とで身じろぎもできない中、私は再び家路に着いた。
恐らく、この猫は雨の中外に出るのは今日が初めてだったであろう。
そんなこいつにとって、雨というものはどういうものになるのだろうか。
そんなことを考えながら、また何かを願いながら、少し雨の落ち着いてきた道を一歩一歩進むのであった。