エレベーターが俺に教えてくれたこと
読みやすいように超ショートストーリーに仕立ててみました。
感想を聞かせてもらえると嬉しいです。
今朝は不覚にも寝坊し、始業時間ぎりぎりでオフィスビルのエレベーターに飛び込んだ。
息を整える間もなく、閉ボタンを押そうとしたとき、ふと目に留まったのは、こちらに向かって走ってくる一人の女性だった。
一瞬ためらいながらも、俺は閉ボタンから開ボタンへと指を架け直す。
閉まりかけていた扉が開く方向へ反転すると、その隙間から彼女が中に滑り込んできた。
「すみません!」と、申し訳なさそうに息を切らせながら軽く頭を下げた。
ごくありふれたやり取りだったが、次の瞬間、彼女が押したボタンに目が留まった。
「5階…俺より下か」
その事実が、妙に気に障った。
急いでいる俺にとって、彼女が降りる階で足止めを食うという、数秒の遅れが何倍にも膨れ上がったように感じられる。
彼女に対して、次のエレベーターを少し待てばいいのに、という怒りに似た感情がじわじわと湧いてくる。
思いやりのない、自己中心的な人間…、焦りが募るにつれ、彼女の人格を勝手に決めつける気持ちが増幅されていく。
その時、エレベーターが5階に着き、フロア数を案内する機械音声が俺に語りかけてきた。
「ごかいです」
「誤解…?」
まるで、自分の心を見透かされ、何かを指摘されたような感覚が広がる。
扉がゆっくりと開き、彼女が急いで降りていく。
「ありがとうございました!」
と、彼女は恐縮しきった顔で軽く頭を下げ、そのまま小走りで去っていった。
彼女が去り際に見せた態度は、俺が勝手に思い描いていた姿とはまるで違っていた。
どこまでも柔らかく、丁寧で、そして思いやりに溢れていた。
確かに彼女に対する勝手な思い込みは誤解だった。
不思議な感覚だった。自分が抱いていた不満や苛立ちは、一体何に向けられていたのか。
あの気持ちは、彼女の行動ではなく、俺自身の焦燥や狭量さが原因だったのだろう。
心の中に、ほんの少しの自責の念と、それを洗い流すような温かさが広がった。
エレベーターの扉が閉まり、再び静かに動き出す。
そういえば彼女の顔には見覚えがある。確か 5階の総務部にいたはずだが…、名前が出てこない。
そんな考えを巡らせていると、7階に着いたエレベーターの機械音声が再び俺に教えてくれた。
「ななかいです」
「な、中井…?」
そうだ、総務部の中井さんだ。
いつも書類を届けに行ったとき、優しい笑顔で迎えてくれる彼女だ。
その名前が、機械音声の響きとともに俺の中でしっくりと収まる。
「次に会ったときは、きちんと挨拶をしてみよう」
俺がエレベーターから降りると、扉が静かに閉まる。その音が、いつもより少しだけ柔らかく響いた。
<おわり>




