対話
「わたしも、レイと一緒に遊びに行ってみたいわ」
面会で、マリーナは突然そう言った。
指先で髪を弄び、歓談の中で友達と遊びに行きたいと軽く口に出すような口ぶりだ。レイの顔が更に険しくなる。
「そんなことしたらお前が何するか分からないだろ」
「そうね、デートを邪魔するやつがいたら、すり潰してしまうかも」
こちらにとっては命がかかった戦場である。そこをデートスポット呼ばわりとは、流石魔女サマだ。
「そうだろうな。毎回血の海を散歩することになるだろうよ。」
「邪魔なのがいなくなった景色を見るのは楽しいものね。」
ちっとも楽しくない。毎回そんなことをしていたらチルがストレスで死ぬ。
こちらも胃痛どころでは済まなくなるだろう。今でもここにくるまで億劫で仕方ないのだから。
「それに、海なら憧れるわ。血の海でも、普通の海でも。テレビでしか見たことないもの」
血の海に関しては、ここに収容される前にしょっちゅう作っていただろうに、覚えていないのだろうか。
レイが初めて対峙したときも、既に血の海ができていた。
それを目の当たりにして、逃げだす者もいれば、呆然とする者もいたが、結末は皆一緒だった。
潰される者も、幼子のような純粋な残虐さで手足をもがれる者も、皆等しく血の溜まりと化した。
彼女にとって命というものは、おもちゃと変わらないのだ。
彼女と対峙した者は死ぬ。弄ばれ、血溜まりに変わる。
たった一人その結末が違かったのが自分とは、何とも言葉にしがたい。
幸運なのは間違いない。死んではいないのだから。
「本物の海なんて案外がっかりするようなもんだぞ。あちこちじゃりじゃりする」
「そうなの?」
「場所によっては汚いしな。不安になるような色してるぞ」
「それなら血の海のほうがいいかしら。でも、それだと服が汚れちゃうわ。
ここ、新しい服をたくさんくれるから、汚したくないのよね」
マリーナは服の袖を眺める。
そういえば、面談のたびに服装が違う。
どれもこちらに配布されるものより上等なものだ。
そこに使われる金をこちらにも回してほしいが、費用を抑えた金の使い方としては適切なのだろう。変なものを渡して機嫌を損ねられるより良い。洋服代より施設の修理代の方が高くつく。
「そうかよ。そういうとこの感覚はまともなんだな」
「ええ。昔はぼろぼろの服しか着られなかったから、こういう服が着られるの、嬉しいの。だからどれも汚したくないのよね」
レイの険しかった目が微かに開かれた。
睨んでいた視線を少し逸らしてから、視線を戻す。
「……あー……学生だったころ、そういうやつ、いたな」
レイが言葉を探すように言うと、マリーナの顔がぱっと明るくなった。
「まあ、他にもいるのね!その人も魔女に?」
「……どうだろうな。遠いところに引っ越すって言ってから会ってない。もしかしたら、ここに売られたのかもしれないな」
「やっぱり子どもって実験台だものね!わたしの父もそうだったわ!」
「……あ?」
レイの伏せられていた目の色が怒りで染まり、殺意が顔に出た。
しかし、マリーナの笑顔は変わらない。
「色んなものを食べさせられたり、たくさん注射で刺されたりしたのよ、わたし。
あのころはどうしてって思ったけれど、当然よね!子どもを産むのって実験台が欲しいからだもの!やっぱり他の子もそうなのね!」
「……何言ってんだよ、お前」
レイは拳を握りしめた。胸に渦巻く感情は燃えて、重く氾濫するようなのに、言葉はそれしかでなかった。
「あら、なにかおかしいこと言ったかしら」
マリーナはきょとんと首を傾げる。
そして立て続けにこう言った。
「レイの親もそうでしょう?そうじゃないなら、あなたは今ここにいないわ。
あなたみたいな、甘くてやわらかい人が実験台になるはずないもの!」
「……確かに、俺の両親はそうだったけどよ。その捉え方はどうなんだよ」
レイは口に出そうになる怒りをおさえて、ゆっくりと瞬きした。
確かにマリーナの言う通りだ。
この世界では、多くの子どもが実験台にされている。
レイの両親もそうで、サンの両親もそうだった。子どもは金のなる木のようなものだ。
だが、そう扱われたとしても、そうであっていいわけではない。
それを受け入れて、自分は道具同然であると思ってはならない。
自分は人間なのだから。
「捉え方?事実でしょう?」
当然のように聞くマリーナに苛立つ。
思わずレイは眉根を寄せたが、声色はなるべく冷静に、ゆっくりと言葉を選んだ。
「事実だろうが、何だろうが、俺たちは実験台だとか言われようが、それを受け入れていいはずないだろ。
俺たちは売り物じゃないんだぞ」
「売り物?」
「ああ。親にとっての子どもがなんであれ、俺たちはそうじゃない。そんなもんであってたまるかよ。」
「何を言ってるの?」
「そういう扱いを受けたとしても、そう思うなって言ってるんだよ」
マリーナは微かに目を見張って固まる。
信じがたいことを聞いたような顔だ。常識だと思っていたことが嘘だったと知ったときのような表情をしている。
「……分からないわ。それじゃあ、あなたも、わたしも、何だというの?」
「お前はマリーナで、俺は俺。それだけだろ」
「どういうこと?答えになってないじゃない」
マリーナの困惑した顔を見て、レイは困ったように笑った。
目には憐憫の色が浮かび、その色は青い夜を思わせる。
「……お前、俺のことばっかり考えているようだけど、自分のことも考えたらどうだ。
自分が何なのかとか……お前は父親に言われたことを真に受けているようだけど、本当はどうなんだよ。」
マリーナは困惑したまま、睫毛を震わせた。
残酷で、冷徹に見えていた瞳が、今は年相応の少女のそれに見えた。
案外、マリーナには人間らしさが残っているのかもしれない。
今まで会話も噛み合っておらず、自分の思ったことを押し付けていた化け物だったが、今、その獣の皮が微かに剥がれた。
レイがマリーナに対して抱く気持ちに変わりはなく、好きだとは皮肉であっても言えないほどだが、もしかしたら、何かが分かるかもしれない。
別に救おうだとか、そんな大層なことは一ミリも考えていないが、面会のストレスは減る。
――そう思案するレイの横顔はまだ不機嫌のままだが、マリーナの言う通り、中身はどこかやわらかい。
唾を吐いてやりたいと思っている相手であるにも拘らず、何故か情けをかけるようなことを言う。
「本当って、なに?」
「お前は自分が実験台だとか、売り物だとか、誰かの玩具のままでいいのかって聞いてるんだよ。」
「……何を言ってるのか、分からないわ、それでいいのかとか、どういう……ことなの?」
マリーナがそう言い終わったとき、アラームの音が鳴り響いた。
面会時間終了の目安として設定されているアラームだ。
いつもなら、マリーナが仕方ないわと言って、お開きを告げる合図である。
レイはうるさく鳴り続ける時計を引き寄せ、慣れた手付きでアラームを止める。
マリーナに視線を戻すと、初めて見るまなざしがそこにあった。
レイは奥歯を噛む。
脳裏にサンの小さな背中がよぎった。
ここにくる前の話をしてくれたときの背中が、夕日にあたって濃く陰り、サンの身体を小さく、小さく見せたあのとき。
振り向いたその顔を、思い出したくない。
「……そんな目で見るなよ」
レイは時計を元の場所へ戻した。
立つ素振りは見せず、目を合わせたままに。
「だって……帰ってしまうのでしょう?それ……終わりの音だもの」
マリーナは俯いた。
「……いつもみたいに言えばいいだろ、帰るなって」
「でも、そういう約束なんでしょう」
「俺は、通じてる会話だったら歓迎だぜ」
レイはポケットから通信端末を出した。
延長戦の連絡をせねば胃を痛めてしまう相手に報告しなければならない。
「チル、すまん」
通信端末越しに話しかけると、ため息が聞こえる。
これは今夜の近況報告で叱られそうだ。
『会話の一部始終は聞いていました。良いでしょう、許可します。
……無理のない範囲で。分かりますね?』
念を押してくる声に、レイはからかうような笑みを浮かべた。
「分かってる。ありがとうな。」
レイは通信端末をしまい、マリーナを真っ直ぐに見つめた。
「さて、初めて会話らしい会話ができるな。
お前のことを聞かせてくれよ。お前が俺を恋人だって言うなら、相互理解は必須だろ?」
マリーナの瞳が揺れる。
不敵な魔女の、血濡れたベールが剥がれた瞬間だった。




