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魔女

 異世界転生で薔薇色生活、というのは他作品の話である。

 授かったものが悪かったわけじゃない。今こうして自室のベッドに座って、吐きそうなのを我慢していられるのも、授かった適正で生き残れたからだ。

 それがなければ、他の連中と同じ運命を辿っていただろう。

 地面のシミになるか、ミンチになるか、毎日クソみたいな目に遭いながらも生きていられるか、という選択肢の中から一つ選べるとするなら、とりあえず命があるほうが良い。

 

 死んだほうがマシかもしれないが、一瞬にして血溜まりとなった元同僚たちは判別などつくはずもなく、棺のない葬儀は予約が数ヶ月先までいっぱいだ。

 その上、お国を守るために死んだとか、英雄のように表彰をされ、遺族に金が振り込まれる制度があるせいで、葬儀だというのに満面の笑みを浮かべてる輩に弔われるはめになる。

 

 こっちは発狂しそうな毎日を過ごしているというのに、国防のために子どもを提供してくれた、という名目で出た補助金で、新しい家を買ったとか、この前新しいバッグを買ったとか、腹のたつことをいちいち連絡してくる親族に弔われるのはごめんだ。

 

 転生前の両親が恋しくなってくる。

 親としてやることをやってくれた上に金をたかってくることもない転生前の両親が、どれだけ良心を持った親だったか今更身にしみて分かった。

 今頃仏壇に手を合わせてくれていることだろう。

 こっちの親族であったら、また子どもを作って売りそうだ。

 

 気怠げに時計を見た。

 部屋の壁にかけられた質素なデザインの時計は残酷に時間を刻み続けている。

 長針が上を指しそうなのを見ると吐き気が増してくる。

 時計が奇跡的に遅れていれば良いと祈りそうだが、時計がイカれていても、武装した職員がプライベートも関係なしに連行しにやってくるので祈りも願いも意味がない。

 

 部屋の明かりもつけないで深く息をしているだけだと、時計の音や廊下の足音が嫌に大きく聞こえる。

 今ではもう聞き慣れた足音が近づいてくると、自然と眉間にしわが寄るのが分かった。

 

 どうせ逃げられはしない。

 武装した職員を撒いたところで、これから面会する魔女が直接迎えにくるだけだ。

 分かってはいるが、ため息をつかざるを得ない。

 

 部屋のドアがノックもなく開き、複数人の武装職員が部屋に入ってくる。

 いつもの「魔女との面会の時間です」というセリフの後、レイはのろりと立ち上がった。

 

 こちらの黒い髪を真っ白くしてくれた魔女サマとの面会だ。

 レイは舌打ちをして、武装職員と共に部屋を出た。

 

 

 

 ・ ・ ・

 

 

 

 魔女と面会する部屋は、無機質で殺風景な部屋だ。

 ドラマでみるような、拘置所での面会、といったような部屋である。

 透明な板を一枚隔てた先に魔女がいて、小さな穴が複数空いたところで頬杖をついている。

 

 魔女の方にも、こちらの方にも、武装した職員が立っているが、魔女はそんなことお構い無しだ。

 まるでそこに誰もいないように振る舞う。

 人間として認識できるのがレイ一人だとでも言うように、彼女は周囲にいる職員のことをなんとも思っていない。

 

 アルミの空き缶がそこに落ちている、程度なのだろう。

 その空き缶がレイに武器を向けたりすれば、ぺしゃりと潰す。

 レイが息絶えそうだったら命を吸ってレイに与える。

 

 重い扉を開け、彼女と顔を合わせるたびに、そのことを思い出す。

 涼しい顔で返り血のついた服を眺め、「あらやだ、お気に入りだったのに」と平然と口にする女の元へ進み、彼女が置かせた座り心地の良い椅子に腰掛けると、無意識に顔が曇った。

 

 険しい目で睨まれているはずの彼女は、それでも笑みを崩さない。

 人間など玩具も同然なのだから、平気なのだろう。

 睨まれようが、暴言を吐かれようが、お菓子をつまむように指先を動かせば静かになるのだから。

 

「顔色悪いわよ?治してあげる」

 

 小さな穴が複数空いたところに、割れて指を二、三本通すことができるようになった穴がある。

 魔女はそこに手を差し伸べた。

 

「そういうことをするからこういう顔色になるんだよ」

 

 レイは彼女の手を一切見ることなく、彼女の目をじっと見た。

 

 低い声は地面を静かに転がっていきそうだ。

 いつもの地声より低い。胸に響いてきそうな、放り投げられたような声だった。

 

「どうして?元気になるからいいじゃない」

 

「そうしてお前の後ろにいるやつが死ぬんだろ」

 

「そうよ?わたしが命の力をレイに流してあげるんだもの、そうに決まってるでしょう?」

 

「そういうのは嫌だって言っただろ」

 

「嫌でもレイの顔色が悪いのはむず痒いわ。ほら、手を出して」

 

 友人どうしでお菓子の分け合いをするような口ぶりで、彼女は板の小さな穴に触れる。

 

 こちらの意見を全く聞く気がないこの様は、最近始まったことではない。はじめて面会した日からそうだ。

 仕事で負傷したまま面会をしたその日、今日のように治してあげると言われ、疲労で回らない頭でよく考えないまま、彼女の言う通りにした。

 結果、彼女の後ろにいた武装職員が一人死んで、こちらの怪我は完治、更に元気は満タン。

 

 怪我を治すのに人一人の命までいらないのに、彼女は余った命の力を自分の蓄えにしたとわざわざ話し、元気になって頭が回るようになったレイは吐いた。

 ここに来てから何度ゲロ袋の世話になったか数え切れない。

 

「寝れば治る」

 

「昨日もそう言って、顔色が変わらないわ」

 

「ここに来るたびこうなるからな」

 

「仕事を減らしてってわたしからお願いしたらいいのかしら?」

 

「そしたらお前との面会時間が長くなるな」

 

「まあ、レイったらわたしの考えてること、分かるようになったのね。嬉しいわ」

 

「お前に惚れてるから、じゃないからな」

 

「それにしては、わたしのことちゃんと見てくれるじゃない」

 

「相手を見て話すのは常識だからな」

 

「魔女であるわたしのことを、そうやって普通の人間みたいに扱ってくれるひと、少ないのよ?」

 

 魔女は指に髪を絡め、弄ぶ。

 あやしげな笑みを浮かべるその態度は、不敵と表すのが良いだろう。

 レイの存在が自分の手の内にあると確信し、足を組んで椅子の背もたれに凭れ掛かかって、鼻歌まで歌っていそうだ。

 

「それはそれとして……そろそろわたしのこと、名前で呼んで欲しいわ。

 名前で呼ばれたこと、ほとんどないの。憧れなのよ?恋人に名前を呼んでもらうの」

 

 魔女は指に絡めていた髪をほどき、じっとりとした視線を向けた。

 髪と同じ色の白い睫毛は長く、雪が憩う細枝を思わせる。

 その睫毛からのぞく目の色は、ざくろのように真っ赤で美しい。目を合わせたらきっと、こころを奪われて、時間が止まったような思いをするのだろう。

 

 ああ、正にそうだとも。

 彼女は絵に描いたような美女だ。

 そんな女に好かれて幸せだとも。

 

 彼女の性格が終わっていなければ、の話だが。

 

「恋人になることに同意した覚えはないんだがな」

 

「あら、肌を重ね合ったわたしたちを恋人と言わずになんと言うの?」

 

「アレをそう言うんだとしたら、カマキリもお前には真っ青だよ。

 繁殖する前に相手を食って満足するんだからな」

 

「まあ、レイったら知らないの?人間って愛を確かめあうために、肌を重ねるのよ。皮膚と皮膚の境界線を溶かして、愛と一つになるの」

 

 魔女は恍惚として語る。

 さくら色の頬に、万人を射止めるような笑みを飾る、しっとりとした唇。

 声は快楽の残滓に浸り、夢うつつに閨でのことを思い返すような色だった。

 

 彼女が、閨で温く語り合ったことの続きを話しているのなら、これはただの惚気話だ。

 しかしこれは、閨で起こったことではない。

 武装職員に囲まれた実験室で起きたことである。

 もっと言うなら、そこで四肢を拘束され、武装職員の命を彼女を通して注がれながら、食われたときの話だ。

 

 食われた、という表現は比喩ではない。

 歯を立てられ、血を啜られながら肉を噛みちぎられ、内臓を暴かれて弄ばれることである。

 

 勿論麻酔はない。彼女がレイの味を純粋に楽しみたいから、という理由で。

 

 意識が飛んでも完治させられて覚醒する。

 職員は随時補給される。車のガソリンが減ったら給油する、というような感覚で。

 

 その後、自身の能力強化という名目で彼女の肉も食わされたのだが、もう思い出したくもない。

 既に受けた「この世界の英雄サマになれる実験」よりも酷い反応が出て死を覚悟したというのに、身体が適応するまで職員の命を注がれて生き延びたあの日の光景を思い出すと本当に吐く。

 積み上げられた職員の死体の数を見て何も思わないのなら、そいつはこころが死んでいるのだろう。この環境に適応するために。

 

「そのくらい知ってるさ。お前がそうだと思っているものが、そうじゃないってだけで」

 

「……名前、呼んで?」

 

 彼女は手を上げると、何かを摘むような仕草をした。

 その瞬間、彼女の後ろにいた武装職員が宙に浮く。

 

 糸でつられた人形のように足をふらりとさせた職員から、息を飲む音が聞こえる。

 短い悲鳴にも似たそれを聞いた隣の職員が咄嗟に彼女に銃を向けたが、その銃身は震えていた。

 

 レイが職員が死ぬことを良しとしていないことを、彼女は知っている。

 レイは眉をひそめた。その脅しは冗談ではない。彼女は名前を呼んでくれなかったから、という理由だけで人を容赦なく殺すだろう。

 

「……やめろ、リリー」

 

「そっちじゃないわ。それじゃあ父と一緒じゃない」

 

「友達でもないやつのことを名前で呼ぶのは違和感があるんだよ、マリーナ」

 

「やっと呼んでくれた。そうね、わたしたち恋人だもの」

 

 マリーナは手を下ろし、ニコリと微笑んだ。

 職員が床にドサリと落ち、尻もちをつく。

 荒い呼吸の音が耳に張り付くように、嫌にはっきりと聞こえる。

 

「……普通は友達からだろ」

 

「友達ってなに?レイはいたことあるの?」

 

「ああいたさ。全員お前にミンチにされたけどな」

 

「それじゃあよかった!恋人になるかもしれないやつなら、殺さないといけないものね。

 また友達っていうのができたら教えてちょうだい。皆振り払ってあげるわ」

 

 活発盛りの学生たちが、机をくっつけてお話しているような口調で、マリーナは笑顔で楽しげに指を組んだ。


「……もうそんな余裕はないから安心しろよ」

 

 レイは目をそらそうとするのを必死に堪えた。

 

「それならそうね。でも、相手からくる場合もあるんだから、そのときは呼ぶのよ?」

 

「お前をここ以外で呼んだら、緊急出動なんだぞ。分かってるのか?」

 

 レイは机を指で叩き、ため息をついた。

 

 この部屋以外でマリーナを呼ぶと、ご察しの通り、収容室から勝手に脱走する。

 どうやってこちらの声を盗聴しているのかは不明だが、名前をふと呟いただけでやってきたことがあるので、声がマリーナに聞かれているのは間違いないのだろう。

 

 彼女は一応収容されているのだが、施錠も意味をなさず、監視にあたっている職員は肉塊と血溜まりに変わるので、簡単に脱走してくるのだ。

 

 立派な緊急事態である。

 当然、施設にはサイレンが響き渡り、武装した職員が派遣される。

 

 それを引き起こしたのがレイだとするならば、罰があって然るべきだろう。

 レイに何かあるとマリーナが施設を壊滅させるので、これといった罰はないが、中間管理職あたりの職員から睨まれはする。

 

「緊急出動って……関係ないじゃない。レイに寄ってくるのを片付けるほうが大切よ」

 

「そうやってお前がすり潰したやつの多さと、俺に向けられる非難の大きさが比例するんだよ。

 当たり前だよな、俺のミスで大量の人が死ぬんだから」

 

 レイは犬歯で唇の端をぐっと噛んだ。

 最近無意識に歯ぎしりしているのか、顎の筋肉が痛い。

 

「どうして?レイは何も悪いことしてないじゃない」

 

「一人の人間がやらかしたことで多くの人間が死んじまったら、悪いことをしたってことになるんだよ」

 

「レイ以外のがどんなに死んだって構わないわ。あいつら、あなたのことだって道具としか思ってないのよ?」

 

 マリーナの目に冷たい光が微かに揺れた。

 

「……知ってるさ。でも、気分は悪い」

 

 眉間にしわを寄せて、視線をそらす。

 

 苦みの残る表情が、マリーナの瞳に映った。

 しかしそれは瞳の深みに溶けぬまま、一粒の光となってマリーナの笑みを誘う。

 

「ふふ、そんな顔をするなんて。

 だめよ?損しちゃうわ。」

 

「そうだろうな。でも俺は俺だ、変えられはしない」

 

「そういうところが好きよ」

 

「そりゃ光栄だな」

 

 吐き捨てるように言ったが、マリーナの笑みはそのままだった。

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