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SS・掌編小説 純文学

らくだの疑問

作者: 空クラ

短編です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


 ひとつ物語を話そうと思う。それはどこかの砂漠での話らしい。




 らくだは突然足を止めた。広大な砂漠を朝も昼も夜もなく、頭にターバンを巻いた人間を乗せて歩くのに疑問を感じたのだ。

「ねえ。どこに行くんだい? そろそろ教えてくれてもいいだろう」とらくだはターバンの男に訊いた。

 しかし男はそれにはなにも答えず、鼻唄を歌い続けていた。調子はずれのその鼻唄は、らくだの耳には異国の地から届いた悲しみの鳴き声に聞こえた。どこか不安定で、明確に捉えることの出来ない、そんな音だった。


 男は足のかかとでらくだの横腹をこつこつと二度蹴り、再び歩くことを促した。仕方なく、らくだは物憂げに首を振ってから歩き出した。

 照りつける太陽が砂に反射し、上下から熱を浴びながら、どこに向かっているのかと目の前の砂漠のように茫洋と考えていた。


 目的地はどこなんだ。

 街かい。オアシスかい。なあ、教えてくれよ。あんたはどこに行きたいんだい。どこに行くのかわからないのは不安なんだ。らくだは心の中で答えを求めていた。


 一日のうちに数度やってくる暴力ともいえる横殴りの風が吹き始めると、砂が巻き上がり、視界を殺してしまいらくだは動けなくなった。無数の砂がシャワーのように身体を叩き始めると、まつげに絡まり、鼻腔への侵入を防ぐためにぴったりと鼻を閉じなければならなかった。それでも風が通り過ぎるまでらくだは休憩を取ることが出来るから、不満はなかった。


 らくだは風下に顔を向けて、足を折りたたむようにして座った。男はらくだの身体を壁にしてもたれて座り、水筒を取り出して美味そうに水を飲んだ。

 風を凌いでいる間に陽が落ちたために、今日は休むことになった。夜になると昼とは比べ物にならないぐらい気温が下がる。昼間、砂漠の中に潜っていた住人たちも、気温が下がるにつれ顔を出し、食料や水分の確保のために動き始めた。


 男は手際よく簡易テントを設置し、丈夫な麻で作られた寝袋をもってテントに入った。しばらくすると男の寝息がらくだの耳に聞こえ始めた。



 らくだは朧げな月を眺めた。

「何しにこんな地に来たんだ?」とらくだは男に訊いた事があった。まだ知り合って間もない頃だ。しかし男はそっけなく「さあね」と言っただけだった。男はこの地の人間ではなかった。そもそもこの地には人間はいなかったのだ。だが、ときおりふらっと人間がやってきてはらくだの背中に乗せてくれというのだった。らくだも断ることはせず、人間を運び続けていた。


 彼らはどこに行こうとしているのだろう。

 その考えは空気のように軽く、砂漠のようにどこまでも広がっていき拡散していく。

 空をゆっくり流れる雲が月を覆い隠してしまうと、らくだの思考も闇に沈み、深い眠りに落ちていった。



 目が覚めると男はテントを片付け終わるところだった。

 夜明け前の深い青色が名残り惜しそうに空に広がっていた。いつものように気温が上がる前に距離を稼ごうという気だろう。

 男はらくだに荷物を縛り付けると、手綱を引っ張り立たせた。今まで座っていた場所には、昨夜の風によって運ばれてきた砂がこんもりと山になっている。


 朝日が陰影をつくり、砂漠の上に波のような風紋をつけているのが見てとれた。それはこの乾いた地が水を求めて作り出した、幻想のようだった。


 らくだは歩き出してすぐに異変に気づいた。男の様子がおかしいのだ。体調を崩したのか、いつもの鼻唄の代わりに、空気が漏れるようなヒューヒューという音を吐き出していた。太陽が高くなるにつれて、男の意識は朦朧としていったようで、らくだの背中の上でふらふらとし始めた。それでも男は進むことを止めようとしなかった。心配したらくだが歩調を緩めると、いつものようにかかとで横腹をこつこつと蹴るのだった。


 らくだも疲れ始め、背中の男に注意を払うことが出来なくなってきたとき、どさっという音がした。首を回してみると、荒い息をして男が砂漠の上に倒れていた。男の頬はこけ、眼球は落ち窪み、あごには無精ひげにはよだれが固まって白くなったものがついていた。


 それを見てらくだはこの男が死ぬことを悟った。なぜならこれまでにも幾人もの人間が死んでいくのを見てきたからだった。


 この広大な砂漠の中で人知れず倒れ、死んでいったのは数え切れなかった。らくだが知っているだけでも相当な人数になる。


 もしかすると、ここの砂漠の何割かは人の骨が風化して出来たものかもしれない。いや、人間だけでなく、あらゆる生命の末路がここにあるようにも思えた。



 らくだは男に影を作るようにして座った。

「いったい、どこに行こうとしていたんだい?」とらくだは男に訊いた。無駄なことだと知っている。でも訊ねた。男の乾いた唇が微かに震え、すーと小さく吐いたかと思うと、そのまま動かなくなった。



 らくだは夜になるまで男の側にいた。時折やってくる強い風が男の衣服やターバンをばたばたと揺らすのを黙って見つめていた。月が傾き始めた頃、ようやくらくだは立ち上がり歩き始めた。

 どこに行けばいいのかわからない。だが、こうやって歩き続けていると、どこからともなく人間がやってきて、自分の背中に乗せることになるのはわかった。


 どこに行きたかったんだい。何がしたかったんだい。次に背中に乗せる人間は、ちゃんと答えてくれるのだろうか。

 らくだはふと立ち止まり、彼らは答えなど持ってないのかもしれないな、と思った。


 いや、待てよ。そもそもおれは何がしたいのだろう。何日も何日も人間を乗せて、目的の見えない場所を目指す。いったいそれにどんな意味があるのだろう。

 しかしそんな疑問も、新しい人間を乗せる頃には忘れ去られているだろう。

「ねえ。この地に何しに来たんだい」とらくだは陽気に訊くだろう。もちろん、ちゃんとした答えは返ってこないのだ。


 らくだは歩き始める。いったいどこに向かっているのかわからず、ただ人間を乗せるためだけに。

 それでもいいだろう? と、らくだは漠然と問う。

 空には朧げな月が浮かび、叫びに似た風が吹いていた。





 店内には一昔前に流行った洋楽が流れていた。僕はそれを聞くともなしに聞いていた。

 机越しの前に座っている男は酒の入ったグラスを傾けている。僕は彼がうまそうに酒を飲んでいるところを見たことがない。いつもなにかに耐えるように酒を飲み、実際なにかに耐えていた。

 男は僕に物語を話した後「何を象徴しているのかわかるかい」といった。

 僕は首を傾げた。「さあ、さっぱり」

「自分でもわからないんだ。だからきっと意味はないのだろうな」

「君が作ったのかい」

 彼はうなずいた。そうすると照明の加減で彫りの深さがよりいっそう強調されたものになった。

「ひとつ、わかったことがある」と僕はいった。

「なに」

「とても、らくだにはなれそうもない」

「俺もだ」

 そういって僕らは酒を呷った。


気に入れば、ブックマークや評価が頂けたら嬉しいです。

執筆の励みになります。_φ(・_・


他にも短編書いてますので、よろしかったら読んでみて下さい。

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