スキル2
透明で薄いガラスのような壁。
それは確かに、俺の目の前に存在していた。
(俺、やっと魔法を使えるようになったんだな……)
しみじみと感じ入りたいところではあるが、それよりも重要なことがあった。
「ラウラ」
「なあにー?」
「射程距離は?」
「自分と結界の設置空間までの距離、結界の強度、同時展開数、1枚でカバーできる面積。全部<結界魔法>の習熟度と、使用者が魔法使用時に注ぎ込む魔力の量に依存するよー」
「じゃあ、初期の射程距離は?」
そう尋ねると、ラウラはにまにまと嫌な笑みを浮かべる。
「手が届く範囲……」
「近いわ!」
「……よりも、もっと近いよ?」
「なお悪いわ!無駄に溜めてんじゃねえよ!」
というか一枚しか出せないなら<結界魔法>というより障壁魔法じゃないか。
いや、枚数が増えれば結界としても使えるのか。
思わず素で突っ込んでしまった俺を見て、鬼畜精霊はケラケラと笑っている。
(いや、待てよ?)
失敗し続けたとはいえ、俺は<結界魔法>をそれなりに練習してきた。
初期の射程距離よりはいくらか遠くで結界を使えるのではないだろうか。
気を取り直して、俺は体の正面1メートルくらいのところに結界を張る―――張ろうとして魔力を霧散させる。
何度か試したが、どうやら大体自分から50センチくらい離れたところが限界のようだ。
ちなみに1回設置してしまえば、遠くに離れても結界は維持できた。
(練習すれば改善するところもあるだろうし、使いようはあるか……?)
不満な点は残るものの、とりあえず手に入れた自分の魔法に納得する。
「あ、言い忘れてた」
よいしょっ、と言いながら、ラウラはおもむろにこちらに身を乗り出すと、俺が正面に張っていた障壁を軽く叩く。
パリン、と小さく音を立てて障壁が砕け散った。
「……え?」
「この結界、一度攻撃を受けたら砕けるから覚えておいてねー」
「…………」
俺が呆然としているところを見てにやにや笑う鬼畜精霊。
言い忘れたとか言いながら、わざと言わなかったのだろう。
「…………なあ、この<結界魔法>さ。もしかしてハズレか?」
「支援職の後衛として立ち回るのは難しいね。どちらかというと剣や魔法で戦う人が、自分でも攻撃しながら相手の攻撃を防ぐために使う感じかなー」
なるほど、そういう使い方もあるか。
<結界魔法>と聞いて後衛ポジションをイメージしてしまったが、そもそも俺は自分で戦うスタイルを目指しているのだから、この方が好都合かもしれない。
となれば―――
「次のスキルを頼む」
<結界魔法>を活かすことができるスキルを俺が持っているのか、それが問題だ。
「はいはーい。えーと、次は……」
祈るような気持ちでラウラの言葉を待つ。
まるで入社試験の合否を聞くときのような心境だ。
「2つ目は<強化魔法>だよ」
「……効果は名前のとおりだよな?」
「大体合ってるけど、とりあえずやってみてー」
<強化魔法>も試したことがある。
というか毎日欠かさずやっている変身ごっこ――――ではなく魔力の訓練のことなのだろう。
今となっても1分くらいしか持続しないが、アレを維持しているときは身体能力が向上することはなんとなく理解していた。
あれをやると疲労感が大きいので、維持しながら戦える気はしないのだが。
(まあ、やってみるか……)
俺はソファーから立ち上がり、魔力を練りこみながら体中に行き渡らせる。
何年も練習した成果か、魔力を練りこんで体中に充填させる一連の魔力操作は非常に滑らかにできるようになった。
訝しげに見つめるラウラをよそに、俺は構えを取る。
そして―――体中に行き渡らせた魔力を、一気に解放した。
「ふわぁ!?」
ラウラはそれを見ると大きくのけぞり、ソファーごと後ろに倒れて転げ落ちる。
「なんなの!?何してるの!?ねえ、それ何してるの!?」
飛び起きてソファーの後ろから顔をのぞかせ、慌てふためくラウラ。
俺はようやく一本取ってやったと内心でガッツポーズを決め、ドヤ顔で言い放った。
「これが俺の、<強化魔法>だ!」
「違うから!!それ私の知ってる<強化魔法>と違うから!」
やっぱり違ったか。
このまま戦える気はしなかったから、違うかもしれないとは思っていたんだ。
「ねえ、なんで魔力を放出したの?体に行き渡らせたらそのままにしておけばいいでしょう?ねえ、なんでなの?というか、それだけ放出してなんで気絶しないの?」
「放出しなくてもよかったのか……」
俺は魔力の放出をやめ、そのかわりに魔力を体に行き渡らせた状態を維持してみる。
「おおー……」
疲労感は以前と比べてはるかに小さく、身体能力の向上も実感できる。
魔力の消費も少ないので持続時間も期待できそうだ。
「これが俺の、<強化魔法>だ!!」
「…………」
ラウラがかわいそうなものを見る目で俺を見つめてくる。
やめてくれ、そんな目で俺をみないでくれ。
居たたまれなくなった俺はラウラが倒したソファーをもとの位置に直し、何事もなかったかのように席に戻る。
「……ありがとう」
釈然としない表情ながらもラウラは礼を言ってソファーに腰掛ける。
こほんと咳払いして、俺は話題の転換を試みる。
「次のスキルを頼む」
「これでおしまいよー」
「……………………」
「ウソだと言ったら?」
「なんだ、びっくりさせるなよ」
「まあ、本当のことだけどねー」
「……………………」
えっ?
「<剣術>スキルってありませんかね?結構練習してきたんだけど……」
「ないよー」
「……つまり、補助系スキル2つだけで、戦えと?」
「そうなるねー。魔力量は正直私もびっくりするくらいだし、<強化魔法>は有用なスキルだけど、直接戦闘に使えるスキルはないねー」
「……………………」
え、まじ?
呆然とする俺を、ラウラは笑うこともなく眺めている。
しばらく経って、不意にラウラが言った。
「アレックスちゃん、冒険者になるのやめたら?」
「ッ!」
「アレックスちゃんがどのくらい剣を使えるか知らないけど、<剣術>のスキルがないということは、きっと才能はそこまでないってことなんだよ。せめて<回復魔法>があればいいんだけど、そのスキル構成じゃパーティに入れてもらえないと思う。<強化魔法>と<結界魔法>を駆使して一人で戦うこともできるだろうけど、そんな戦い方、いつか死んじゃうよ?」
ラウラの真剣な言葉が突き刺さる。
「それにアレックスちゃんは素直だよね。それはいいことなんだけどさ、冒険者として生きていくためには、時として貴族や商人と交渉することだって、汚いことだって必要になるの。アレックスちゃんはその年で十分賢いと思うけれど、こういうことは向き不向きがあるからね。私はアレックスちゃんがそれに向いているとは思えないなー」
先ほどからラウラに散々翻弄されている以上、言葉もない。
汚いことは、どうだろうか。
目指す場所から遠いところにあることは間違いない。
「はっきり言うけれど、アレックスちゃんは冒険者に向いてないよ。数多くの冒険者を見てきた、この私が断言する。…………そう言っても大抵聞いてくれないけどね。冒険者になって、そして―――すぐに死んでしまう」
死んでしまう。
その言葉に、一度目の最後の瞬間が蘇る。
「別に、冒険者だけが生きていく道じゃないんだよ?アレックスちゃんは賢いから、役人として出世することもできるかもしれない。それに出世なんてしなくても、この都市のどこかに勤めて、好きになった人と家庭を築いて、普通に生きていく道だってあるんだよ?」
普通に生きていく道だってある。
それは、そうだろう。
「アレックスちゃん、キミには――――その可能性を捨ててまで、冒険者として生きていく覚悟はあるの?」
「あるさ」
ラウラの瞳を真っ直ぐに見つめ返して、即答する。
「こんな子どもが何を言うって、思われるかもしれないけど……」
目を閉じて、安定を目指した―――冒険から逃げた、一度目を振り返る。
きっと安定を目指して、幸せな人生を送ることができる道はどこかにあったのだろう。
二度目でもそれを目指せば、それに手が届く可能性だってあるのだろう。
それでも、俺がそれ選択することはない。
なぜなら―――
「死ぬよりも辛くて、悔しいことがある。俺は、そのことを知ってるから」
守れなかった少女の笑顔が目蓋に移る。
次こそは守ってみせると誓った最後の瞬間を思い出す。
再び俺は目を開き、ラウラを見つめる。
「だから諦めない」
だって俺は―――
「今度こそ俺は、英雄になるって決めたんだからな」
ラウラは呆然と俺を見ている。
しばらく待っても反応がない。
(あれ、つい勢いで恥ずかしいことを言ってしまったか?)
今更になって、恥ずかしくなってきた。
「くふ、ふふふふふふ……」
硬直していたラウラが笑い出した。
俺の決意表明がそんなにおかしいか。
「あははははっ!アレックスちゃん、キミはほんっとに最高だよ!ごめんねー。試すようなことを言って」
笑いすぎて涙が出ているのを指で拭い、ラウラは謝罪する。
「なんだ、試したのか」
「言ったことは本当だからね?アレックスちゃんは冒険者に向いてない。……でも、キミはそれでも、冒険者になるんでしょう?」
英雄に、なるんでしょう?
そう言ったラウラは今日一番の笑みを浮かべていた。
「ああ、そうだ」
人に言われると恥ずかしいな、これ。
ちょっと顔が赤くなってきた。
「そこで照れちゃうところもかわいいなー!ねえ、アレックスちゃんここで暮らさない?私が養ってあげる!」
「ヒモは勘弁だ。さて……」
用事は済んだ。
これからは今あるスキルで戦い抜くための戦術を考えなければ。
幸い<強化魔法>はそれなりに使えそうだ。
ラウラはそんな戦い方というが、リスク管理をしっかりすれば戦えないこともないだろう。
「じゃ、もう行くよ。ありがとな、ラウラ」
「あ、アレックスちゃん」
部屋を出て行こうとすると、ラウラが俺を呼び止める。
「キミは本当に面白いから、いつでもここにきていいよ!お金はいらないって、ギルドの人たちに伝えておくから、また私を楽しませてねー!」
「俺は道化か」
「可能性は低いけれど、もしかしたらスキルが増えることもあるかもしれないしー」
「……ああ、そのときはお願いするよ」
俺は今度こそ部屋を出る。
来た道をたどって1階に戻ると、受付に出ていたフィーネを見かけたので声をかけた。
「終わりました、案内ありがとう」
「……どうだったの?」
問いかけるフィーネは、俺が答え言う前からダメな子を見るような目をしている。
「まあまあ、かな」
「そうなの?」
よほど意外だったのかフィーネは目を丸くした。
この子も大概失礼なやつだ。
「スキルの結果は期待と少しずれていたけどね。自分の決意を再確認できたから、まあまあってところ」
「ふーん……」
そのとき、受付に用がありそうな冒険者がギルドの入口から入ってくる。
他の受付は別の冒険者に対応しているから、ここで話し込んでは迷惑になるだろう。
「じゃ、登録するのはまだ先だけどたまに遊びに来るから、これからもよろしくな!」
そう言って冒険者ギルドを出る。
いつの間にか、お昼時をすっかり過ぎてしまった。
早く孤児院に戻らないと昼食抜きになってしまう。
南通りを吹き抜ける風が肌に心地よい。
目標と手段が明確になったからか、結果は期待通りではなかったけれど心は軽い。
12歳まで、あと2年もない。
決意を新たに、俺は目標に向かって―――
「アレックスちゃーん!スキルカード忘れてるから、戻ってきてー!」
「……………………」
俺は周囲の注目を浴び、顔を赤くしながら冒険者ギルドの中へと引き返した。