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英雄になりたかった少年の物語  作者: ななめぇ
第一章閑話
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とある少女の物語15

とある少女の過去話


時系列は序章本編「9歳の日常」付近




 私には、物心ついた頃から続く2つの苦悩がある。


 その1つは終わらない悪夢だ。

 いつも同じ内容の繰り返し。

 黒で塗りつぶしたような真っ暗闇で、光を探すところから始まる夢。

 少し経つと、遥か遠くに灯りが2つ。

 何かがおかしいと夢の中の私は気づいているのに、これが夢だと理解するのはいつも夢から覚めたあと。


 灯りが欲しいと願う私は、なぜかそこから動くことができない。

 2つの灯りは少しずつこちらに近づいて来てくれる。

 私は安心して、その灯りがここまでたどり着くときを待ち――――そして、灯りを願ったことを後悔する。

 2つの灯りが巨大な化け物の瞳であることに気づいてしまう。


 それは、ほんのわずかに弧を描きながらこちらに近づいてくる大きな蛇。

 その尾はどこにあるかもわからないほど長く、その胴は大男を立ったまま飲み込んでしまえるほど太い。

 灯りから逃げたいと願っても、やはり私はそこから動くことができない。

 ただ巨大な蛇が近づくのを黙ってみているしかない。


 死にたくない。

 気が狂いそうになる。


 しかし、私には逃げることはおろか、助けを求めることさえ許されない。

 悲鳴を上げる心を置き去りにして、私の体は迫りくる終わりを待つばかり。


 そして、永遠とも思える程長続く恐怖と絶望のあと。

 2つの灯りはようやく私の手元にもたらされ、私の視界が一匹の蛇で埋め尽くされる。


 一瞬後、きっと私の体は噛み砕かれる。

 そう確信したとき、ようやく私はこの悪夢から解放されるのだ。


 いつも同じ結末を迎える悪夢。


 私はそれを、物心ついた頃から見せられ続けていた。




 そして、もう1つの苦悩は私の体質と、それによってもたらされた私の能力だ。


 私は生まれながらにしてある症状に悩まされていた。

 魔力欠乏――――その名のとおり魔力の総量や時間当たりの回復量が一般的な人間よりも著しく低い状態をいい、私が先天的に持っていた症状の名前でもある。


 人は魔力が枯渇すると、昏睡状態に陥ってしまう。

 理由は詳しく判明していない。

 しかし、その現象が発生するということは事実であり、広く一般に認識されていることだった。


 では、もともと魔力が欠乏した状態で生まれた人間はどうなってしまうのかといえば、やはり生まれたときから頻繁に昏睡に陥るらしかった。

 大抵の子どもは、その状態で長く生きることができずに死んでしまう。

 だから、生まれた子どもが魔力欠乏であると判明した場合、死産として()()()()ことが多かった。


 私の父も例に漏れず、私をそのように扱おうとしたらしい。

 私を庇ってくれた母と大喧嘩した挙句、私たちのこと捨てて去っていったというのは、後々母の知人から聞かされた話だ。


 しかし、魔力欠乏症をもって生まれた私は、なんとか今日まで生き続けることができている。

 理由は<アブソープション>という名のレアスキル。

 私が生後間もなく後天的に獲得したという能力であり、私の生命線。

 そして、私の苦悩を形作る原因のひとつでもあった。




 <アブソープション>は、生命力や魔力を外部から吸収するスキルだ。

 大気中に漂う魔力を少しずつ取り込むこともできるけれど、そんな量では全然足りはしない。

 だから、そのスキルを十全に活かすには、誰かから魔力を奪うという使い方をすることになる。

 私の場合その誰かとは、優秀な魔法使いである私の母だった。


 私は物心つく前から、自身の魔力欠乏を補うため、本能的に母の魔力を吸収していたらしい。

 それこそ、母乳を吸うことよりも熱心だったと聞かされた。


 魔力欠乏の2つの要素である魔力総量と魔力回復量。

 私は後者を<アブソープション>によって補うことができた。

 だから母は私を生かすため、前者の問題も解決しようと試みた。


 魔力を増やす方法は単純。

 ただひたすらに魔力を使うことだった。

 特に幼い頃から魔力を消費することで魔力総量が飛躍的に増加することが、帝都の魔術師ギルドの研究によって判明していた。

 しかし、魔力を消費しすぎて繰り返し昏睡状態に陥ると死の危険があることが指摘されていたし、ただ魔力を消費するだけでは強力な魔法を使えるようにはならない。

 だから、魔力が枯渇しない程度に魔法を使い続け、魔法の習熟に努めながら魔力総量を増やしていく方法が一般的で、私の母もこれに倣おうとした。


 問題は、私が自分の魔力をほとんど持っていなかったということ。

 私は魔力総量を増やすために魔法を使う、そのための魔力すら事欠いていたということ。

 幸い魔法の才能には恵まれており、幼い頃から<氷魔法>を使うことができた。

 しかしその一方で、私のもつ魔力を使ってできることと言えば、せいぜい指先で触れたものの温度を少し下げたり、小さな氷を作ったりする程度。

 たったそれだけで、私の魔力はほとんどなくなってしまう。


 だから、母は私に魔力を吸収させ続けた。

 わずかな魔力で魔法を使い、失った魔力を母から吸収し、再び魔法を使う。

 4歳の頃からただひたすら、それだけのことを繰り返した。


 思えば、それが祟ったのだろう。

 もともと母も、強力な魔法に見合った魔力量を持っているわけではなかった。

 私を育てるために魔法使いとしての仕事も続けなければならず、その上で私に魔力を与え続けることは、母にとって相当な負担だったに違いない。


 私を育ててくれた母は、私が9歳になる直前に他界してしまった。




 母の死後、残してくれたツテのおかげで私が生きていくことはさほど難しくはなかった。

 母がかつて命を助けたという裕福な商人の家で、その商人の家族とともに暮らす日々。

 商人の孫であり同い年の少女、コーネリアと出会ったのはこの時だった。

 この時点で私の魔力量は、魔法を全く使わない同年代の子よりもやや少ない程度まで増加しており、生きていくだけなら誰かから魔力を吸収する必要はなくなっていた。


 でも、ただ生きていくだけではダメなのだ。

 商人本人はともかく、コーネリアの父である商人の息子は私のことを良く思っていなかった。

 このまま無為に時を過ごしていれば、行きつく先は娼館か、商人の息子の妾か、あるいは商家のコネづくりの一環として知らない商人に差し出されるか。

 母が自らを犠牲にしてまで与えてくれた人生。

 そのような惨めな生き方をするのは耐えられなかった。


 母のような魔法使いになりたい。

 魔法しか取り柄のない私がそう思うのは当然の帰結だった。

 魔力総量は伴わなくても、母から教えられ、練習し続けてきた<氷魔法>は、十分実用の域に達している。

 このまま魔力の量を増やし、魔法の練習を続けて行けば、きっといつか母のような魔法使いになれるのではないか。


 そう思った私は――――母以外の人間からも魔力を奪ってしまった。


 魔力総量に優れ、魔法の才能があり、しかし武術の方が性に合っているというネルは、事情を知ってから、たびたび私に協力してくれた。

 ネルには本当にいくら感謝しても感謝したりない。

 しかし――――ネルに負担が掛からないように気を付ければ、その吸収量は自ずと控えめになる。

 ネルが与えてくれる魔力だけでは私の目的には全然届かなかった。

 大通りで歩く人々の近くを歩き回り、ほんの少しずつ魔力を奪っていく。

 多くの人から集めた魔力で魔法を練習し、再び大通りに戻る。

 相手の迷惑にならないようにと始めたこの方法は、あまりの効率の悪さから次第にエスカレートしていった。






「おい、幽霊女!お前のせいでうちの弟が倒れちまったじゃないか」

「私だって触られて倒れたことがあるのよ!」

「うるさいわね!この子は関係ないって言ってるでしょ!」


 その結果が、これだ。


 同年代の少年少女の罵声が、私の心に突き刺さる。

 ひどい言葉を投げかけられているから、というだけではない。


 彼らの言葉が本当にそのとおりであるから。

 だからその言葉は、私の心を深く穿つのだ。


 本当は、もう気づいていた。

 私が魔法使いとして生きていくことは難しいということに。

 どれだけ魔力総量が増加しても、どれだけ強力な魔法が使えるようになっても、魔力回復速度はほとんど上昇しない。

 それは事実上、魔法を使った分の魔力を誰かから奪わなければ、再び魔法を使うことはできないということだ。

 魔法使いとして誰かの役に立つたびに誰かを傷つけなければならない。

 そんな残酷な話があるだろうか。


 ぽたぽたと、涙が頬を伝った。

 優しいネルにつらい思いをさせていることが申し訳なくて。

 母の献身に報いることができない自分が情けなくて。

 八方ふさがりのどうしようもない運命が悲しくて。


(もう、いいよね……)


 生きていても希望がないなら、いっそ終わらせてしまおうか。


「幽霊女が泣いたぞ!」

「近づくと呪われるわ!」

「さっさとあっちいけよな!」


 勝手なことを、と反論するだけの気力も残っていない。

 大通りの騒音が段々と遠くなる。


(どうして……)


 どうして、自分ばかり辛い思いをしなければならないのか。

 私に罵声を浴びせる彼らは、どうして不自由なく生きることを許されているのか。

 生きることを諦めると、じわじわとこの世界への憎しみが溢れてくる。


(奪ってやる……)


 せめて最後に、私を責めた彼らから奪ってしまおう。

 きっとそれで死ぬことはないけれど、せめてもの仕返しをしよう。

 その後はネルに迷惑をかけないように、一人で森にでも行って、ひっそりと終わることにしよう。


 そう決めて、伏せた顔に暗い笑みを浮かべた私の左手を――――誰かがつかんだ。


 相手に触れて発動する、最大出力の<アブソープション>。


 10秒もあれば、大人の魔法使いだって昏倒させる自信がある。

 きっと数秒後に待ち受けるのは、私に罵声を浴びせた彼らの悲鳴と敵意。

 そして、優しい友達からの失望と軽蔑。

 それを少しだけ寂しく思いながら、私は数秒後を待ち――――


 しかし、来るはずだった()()()は、どれだけ待ってもやってこなかった。


(どうして……?)


 先ほどとは異なる疑問が頭の中を駆け巡る。

 顔を上げると、そこには私と同じくらいの歳の黒髪の少年が、難しげな顔でこちらを見つめていた。

 彼は優しく手を引いて私を立ち上がらせる。

 彼の手を握ってからどれくらいが経過したのか、混乱している私にはわからない。

 それでも、ただの少年が立っていられない程度の時間は経過していたはずだった。


「ほら、何が近づくと倒れる、だ。なんともないぞ?」


 少年が声をかけると、先ほどまで私に罵声を浴びせていた子たちは興味をなくしたようにいなくなってしまった。


「なんだか大変そうだけど、お前も泣いてばかりいるなよ?せっかくのかわいい顔が台無しだ」


(かわいい……)


 そんなことを言われたのは久しぶりだった。

 心配したネルがかけてくれる言葉が、私の中に入ってこない。


 ネルと何やら言い合ったあと、風のように去っていった彼。

 その背中が雑踏に消えていくところを、私はただ呆然と見つめていた。






 その日の夜、私は夢をみた。


 それはいつもと同じ内容の繰り返し。

 黒で塗りつぶしたような真っ暗闇。

 私が混乱して周囲を見回し、光を探すところから始まる夢。


 少し経つと、遥か遠くに灯りが2つ。

 何かがおかしいと夢の中の私は気づいているのに、これが夢だと理解するのはいつも夢から覚めたあとだった。


 灯りが欲しいと願う私は、なぜかそこから動くことができない。

 しかし、2つの灯りは少しずつこちらに近づいて来てくれる。

 私は安心して、その灯りがここまでたどり着くときを待ち――――そして、灯りを願ったことを後悔する。


 2つの灯り。

 それが巨大な化け物の瞳であることに気づくからだ。


 ほんのわずかに弧を描きながらこちらに近づいてくる大きな蛇。

 その尾はどこにあるかもわからないほど長く、その胴はどんな大男も立ったまま飲み込んでしまえるほど太い。

 灯りから逃げたいと願っても、やはり私は動くことができない。

 ただ、巨大な蛇が近づくのを黙ってみているしかなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(あ…………)


 その瞬間、私はこの光景が夢だと自覚した。

 私の心を夜ごと苛んだ、気が狂いそうになるほどの恐怖。

 夢だと理解すれば、それを感じることはなくなった。

 体が動かないところは相変わらず。

 灯りが迫るまでの長い時間、ただ左手から伝わる温かさを想うだけ。

 2つの灯りは私の手元にもたらされ、私の視界が一匹の蛇で埋め尽くされる。

 一瞬後、きっとこの時間は終わってしまう。


 そう確信したとき、私は初めて、この夢が終わることを惜しいと思った。


 いつも同じ結末を迎える夢。


 この日から、それは私にとって悪夢ではなくなったのだ。






 悪夢が悪夢ではなくなった日の朝、私は自分でもわかるほどに浮かれていた。

 その浮かれっぷりは、昨日の出来事が私に与える影響を心配していたネルを呆れさせるほど。


 でも、そんなことは気にならない。

 今、私の心を占めているのは、たったひとつ。


(あの人なら、きっと私を救ってくれる……!)


 根拠なんてない。

 それでも私は、夢の中で手を握ってくれた()()の正体を強く確信していた。

 夢の中の私を救ってくれた人。

 そして、現実の私すら救ってくれるかもしれない人。


 名前も知らない私の英雄を探すために、私は西通りへと駆け出した。



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