幕間:辺境都市領北東部3
冒険都市から離れた私たちが修行の地として辺境都市を選んだのは、辺境都市の環境が冒険都市に似ているからだ。
主な狩場となるのは広大な森。
魔獣や妖魔を相手にする依頼が多い一方で、交易都市や帝都方面への護衛依頼の経験も積める。
ついでに冒険者が少ないから依頼の取り合いも起きにくく、物価が安いから暮らしやすい。
上級冒険者が少ないことも理由の1つだ。
まだC級にもなっていない身で気が早いと笑われるだろうが、上級冒険者が少ない地域は昇級査定がやや甘いと言われている。
将来性を見込まれたら、ある程度の便宜が期待できるという打算もあった。
予想外だったのは、到着して本拠地登録を済ませた直後、早々に緊急依頼への参加を求められたこと。
依頼中は冒険者ギルドが宿を用意してくれるというが、住処も見つけていない新参者を緊急依頼に引っ張るのは如何なものか。
ただ、これから数年間世話になることを考えれば、心象を良くしておくことは大事だ。
リズやルルと話し合い、私たち『白翼』は緊急依頼を受諾した。
冒険者ギルドが用意した輸送船に揺られ、昇級直後のD級冒険者とともに辺境都市領北東部へ。
そこで私たちを待ち受けていたのは、大樹海の外縁部に生息するものと同等の強力な妖魔だった。
膂力と耐久力が非常に高い、人間より二回りは大きい漆黒の人型。
C級パーティでも倒せない場合があると聞く限り、D級では完全に適正外だろう。
これでは何のために冒険都市を離れたのかわからなくなるが、幸い私たちは黒鬼を狩ることを期待されてはいなかった。
代わりに与えられた役割は、上級冒険者の護衛。
年齢が近く物腰柔らかな魔法使いは、数日間だが辺境都市のことを色々と教えてくれた。
辺境都市に溶け込むため、その地域の慣例やルールは抑えておく必要がある。
注意すべき冒険者も同様だ。
女3人というパーティ構成の都合、避けられない種類のトラブルもあるはず。
この点、同性の上級冒険者と顔を繋ぐことができたのは幸運だった。
故郷を旅立った直後にケチが付いてしまった私たちの旅路。
ようやく軌道に乗り始めたことを、仲間と喜んだ。
しかし、幸運が続いたのもそこまでだった。
緊急依頼に参加してから数日後に起きた、護衛の失敗。
それは、明らかに私たちがティアナさんの足を引っ張った結果だった。
盗賊の存在は警告されていたにもかかわらず、襲撃されるまで完全に頭から飛んでいた。
人質となったルルを救出してくれたのも、足を狙われて転倒したリズを庇ってくれたのも、全て護衛対象であるティアナさんだ。
魔力切れで昏倒した彼女を護送する間、情けなくて泣きそうだった。
街に帰還すると、私たちはすぐに司令部に駆け込んだ。
治癒術師でありティアナさんの仲間であるコーネリアさんは、事情を聞いても私たちを叱責しなかった。
運ばれていくティアナさんを見送った後、堪えきれず涙がこぼれた。
護衛対象を失った『白翼』は、翌日からほかのD級冒険者と同じく黒鬼の哨戒任務に従事することになった。
黒鬼と戦う必要はないが、危険度は決して低くない。
現に、昨日現地で私たちを案内するはずだったパーティは、街に帰還した1人を除いて全滅が確認された。
それが今日の私たちにならないと保証してくれる者は、どこにもいない。
それでも、失点を取り戻さなければという意識が撤退を許さなかった。
見晴らしのいい平地の哨戒という本来なら難しくないはずの仕事は、私たちの精神力を容赦なく削った。
丈の低い草で覆われた草原から、あるいは収穫が済んでいない小麦畑から、次の瞬間にも盗賊が飛び出してくるのではないか。
そんな想像が、私たちの焦燥を駆り立てた。
盗賊は私たちより強かった。
遭遇すれば、全滅の危険もある。
その日、私たちは何者にも遭遇しなかった。
それでも私たちは、会話もないほどに疲弊した。
疲れが取れないまま、翌日も緊急依頼に従事する。
ティアナさんの代理で討伐要員が来たという話が、右の耳から入って左に抜けた。
リズやルルとの会話も少なに街の外へ出る。
そして、恐れていた事態が起きた。
「あれは……!」
草原の向こうに10体もの黒鬼。
それも、こちらを目指して南下している。
本来なら一人だけ街に帰し、残りのメンバーは黒鬼を監視しなければならない。
しかし――――
「全員で撤退しよう」
「でも……」
「ここは隠れる場所がない。私たちじゃ、妖魔を抑えられない……」
ルルはもちろん、リズからも反論はなかった。
たった一度の敗北が、私たちの自信を根こそぎ奪ってしまった。
大空に羽ばたくことを誓って決めた『白翼』というパーティ名。
広げた翼は、早くも折れかけていた。
幸運にも、黒鬼の群れは私たちが発見した1つだけではなかった。
多くのパーティが私たちと同様の動きを見せたため、私たちは役割を放棄したことを咎められずに済んだ。
緊急依頼始まって以来の異常事態に、状況は目まぐるしく変化する。
多くのD級冒険者が街の防衛を担う中、私たちが任されたのはまたしても上級冒険者の護衛。
緊張は、嫌でも高まる。
しかし、それが維持されたのは、1つ目の群れに遭遇したときまでだった。
「すごい……」
圧倒的だった。
私たちにとっては死そのものである妖魔の群れが、黒髪の剣士の前では狩られるべき獲物でしかなかった。
硬い外皮を持つ黒鬼が、まるで朽ちた枯れ木のよう。
次々と斬り飛ばされ、黒い塵となって舞い散る光景を、私はただ呆然と眺めていた。
言い訳をするなら、興奮していたからだろう。
投げかけたのは、あまりにも恥ずかしい質問だった。
簡単に強くなる方法なんて、あるわけない。
夢見がちな子どもの馬鹿げた問いに、それでも黒髪の剣士は真摯に応えてくれた。
「…………」
剣の柄に触れた手が震える。
消えかけていた火が、再び胸の内で燃え上がるのを感じた。
2つの群れを殲滅して街に戻ると、外壁の近くではすでに戦闘が始まっていた。
湧き上がる想いに身を任せ、助勢を申し出た私たちに黒髪の剣士が言う。
「勇敢と無謀の区別が付かない奴は死ぬ。強くなれるのは、生き残った冒険者だけだ」
怯みながらも意思を曲げない私たちにさらに一言告げて、黒髪の剣士は風になった。
もう一人の冒険者も仲間の救援に向かい、空になった魔導馬車の前。
私はリズとルルと顔を見合わせ、大きく頷く。
「行こう!今の私たちにできる、精一杯を!」
大きな掛け声とともに、私たちは再び翼を広げた。




