幕間:辺境都市領北東部1
ネルやクリスさんと別れて出動に応じるようになってから、さらに半月。
黒鬼との戦いは未だ終わりが見えず、私は今日も要請に従って現場へと向かおうとしていた。
「「「今日もよろしくお願いします!」」」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
元気よく挨拶して私とともに魔導馬車へ乗り込むのは、年下の少女たち3人で構成されるD級パーティ『白翼』。
専任で護衛を引き受けてくれていた女性ばかりのパーティが装備品の損耗によって戦線離脱したことで、代わりに護衛を引き継いだのがこの子たちだった。
全員が未成年。
D級に昇級して日が浅い。
辺境都市領にやってきたばかりの新参者。
これだけ不安要素があっても護衛の交代を求めないのは、代わりの護衛が出せないとわかっているからだ。
そもそも、冒険者に受諾義務を課す緊急依頼は今回のような長期を想定していない。
負傷や装備の損耗によって戦えなくなった後も参加を強制するのは死ねというのと同じで、冒険者ギルドが正当な理由がある場合の離脱を認めるのは当然の流れだった。
その結果、戦線を支える冒険者の数は日に日に減少した。
残った冒険者たちの間に不満が溜まり、次第に避難を強いられた人々からも苦情が上がり始めた。
状況は悪化の一途を辿り、活路が見えない日々。
重苦しい空気を変えたのは、A級クラン『呪いの館』の参戦だった。
A級冒険者に率いられた魔法使い主体の超有名クランは、単独で長大な戦線の半分を引き受けると宣言し、以来その防衛を完全に成し遂げている。
口さがない人々はこれ見よがしに『呪いの館』を称賛し、『黎明』や『疾風』を含む辺境都市冒険者ギルド所属のパーティを頼りないと貶めた。
ただ、風の噂によると『黎明』――――特にアレンさんの陰口を叩いた者たちは、ほかならぬ『呪いの館』によって酷い制裁が科されるらしい。
本来、冒険者が一般市民を害するなんて許されないけれど、A級冒険者にして『呪いの館』を率いるアンジェリカさんを抑えられる者はどこにもいない。
私たちにそんな義理はないし、この街で司令部を仕切っているギルド幹部では完全に力不足だ。
「ここが現場のはずですが……。ここからだと見えませんね」
少女たちと雑談に花を咲かせるうちに、今日の現場に到着した。
村から少し離れた場所で馬車を降り、ゆっくりと村へ近づいていく。
放棄された村の中では比較的大きな村で、遮蔽物となる建物が多い。
50メートルほど距離を取って村を一周しても、救援を待つ冒険者はどこにも見当たらなかった。
「少し、村の様子を見て来てもいいでしょうか?」
「うーん……。見つからないなら見つからないで、無理をする必要はありませんが……」
「大丈夫です、任せてください!」
本来なら報告に来た冒険者と一緒に現場に向かう手筈になっているところ、今日は報告者が負傷していたため、案内役を連れずに出動した。
現場が一時放棄した村の1つで、場所が明確であることを踏まえた判断だったけれど、裏目に出てしまったようだ。
ほかの二人の意見も聞き、斥候を担う弓使いの少女――――ルルを村へと送り出す。
「ルルは戦闘が得意ではありませんが、こういう場面では結構頼りになるんですよ」
「気配を隠すのは上手ですから、しっかり仕事をしてくれると思います」
魔法使いのリズと剣士のレイが、村の中に消えるルルの背中を見ながら話す。
『白翼』の3人は冒険都市の出身で、幼馴染でもある。
辺境都市への道中、絶体絶命の危機にあっても互いを見捨てず乗り切ったと誇らしげに話していた。
きっと、私とネルのような関係だろう。
私情を挟むべきではないけれど、女の冒険者は少ないから応援したくなる。
「ところで、聞いていいか迷ってたんですが、その指輪ってもしかして……?」
私が身に着けている指輪は1つだけだ。
肯定すると、少女たちは口元を抑えながらも大声で騒ぎ出した。
微笑ましいものを感じながらも、時と場所を弁えることを教えなければならない。
それができない冒険者から、次々に死んでいく。
「任務中ですよ。用を済ませてから、帰りの馬車の中で話しましょう」
「あ、すみません!」
リズとレイに警戒心を取り戻させ、私は指輪に視線を落とす。
視線の先にはアレンさんから贈られた婚約指輪。
眺めていると、これを受け取ったときの幸福と失望が同時に押し寄せてくる。
『…………すまない』
たった一言の謝罪。
それが意味するところを、私は完全に理解している。
(わかっていた、はずなんですけどね……)
求めても叶わない。
私の英雄は、私だけの英雄ではなかった。
ここ最近のアレンさんを見ていれば、それは問わずとも明白だった。
それでも、諦めきれなかった。
諦めきれず、私は醜く足掻いてしまった。
戦争都市のホテルの最上階、二人の未来を祝福するような綺麗な月を望むバルコニーで、私は愛する人に毒を盛った。
使用したのは、魔術師ギルドの地下で仕入れた禁制の魔法薬。
その効用は――――記憶の忘却。
飲み物に混ぜて使用するその薬は、耐性のない一般人が原液を摂取すれば、たった数滴で十日分の記憶を失うとされる極めて強力な魔法薬だ。
私は彼の罪悪感を逆手に取り、アレンさんが好む果実酒にグラス1杯分もの原液を混ぜ、彼に飲ませた。
単純計算で丸1年以上の記憶を失わせる猛毒。
それは、『黎明』で共に過ごした記憶をアレンさんから永遠に奪ってしまう。
それでも、構わないと思った。
アレンさんと共に過ごした日々は、私の中に残っていればいい。
共に一夜を過ごして目覚めたとき、記憶を失ったアレンさんは混乱するだろう。
頼れる者がいない状況で、それでも裸で彼に寄り添う私だけは、文字通り簡単に彼の懐に入ることができる。
彼の中からほかの女を排除した上で、また一から積み上げるのだ。
ネルとクリスさんには、婚約記念の旅に出るとでも伝えればいい。
多少は怪しまれるだろうけれど、案外、二人も私たちに倣うかもしれない。
彼と十分な関係を築けたら、辺境都市に帰還して私の口から彼女たちを紹介する。
幼馴染の専属受付嬢、同じ孤児院で育った使用人。
彼女たちは私に対して自身をそう説明したのだから、異論はないはずだ。
それ以上を求めないなら、彼の傍にいることだけは認めてもいい。
直近2月分の記憶さえ失くしてしまえば、アレンさんが彼女たちを囲う理由も失われる。
私が女として彼を満足させられるなら、彼女たちが付け入る隙はどこにもない。
「…………」
そんな身勝手なやり直しは――――結局、私の妄想のまま終わりを告げた。
それは、魔法薬を使う前から予想できていたことだった。
だって、アレンさんには魔法が効かないから。
大貴族家出身のクリスさんをして桁が違うと言わしめる強大な魔力は、彼に害を為すほぼ全ての魔力や魔法効果を大幅に減衰させ、本来の効果を失わせる。
多くの命を奪う強力な攻撃魔法すら、正しい理解の下に行使しなければ有効打になり得ない。
魔法薬が効いているのか、あるいはベースのお酒が残っているだけか。
あの日、目を覚ました彼の様子は、それすら判別できないほどに普段通りだった。
アレンさんをホテルから送り出し、一人になった私は泣いた。
一頻り涙を流して気持ちを整理し、現実に抗うことを放棄した。
そもそも、彼は何も間違っていない。
自分だけをと望むのは、偏に私のわがままだ。
魔獣や妖魔が跋扈する危険な世界。
戦闘に役立つスキルに恵まれた極一部を除き、外敵から集落を守るのは男の役目。
男が戦って命を落とせば、どうしたって女が余ってしまうから、裕福な男が複数の女を娶ることは帝国全土で広く推奨されている。
女を馬鹿にしていると言ってネルが毛嫌いする慣習も、元々は父や夫を失った女が飢えないようにするためのものだ。
行き場のない孤児を愛妾として養う行為は、正しく社会貢献と言える。
公に否定すれば非難されるのは私の方だろう。
それに、アレンさんの場合は別の事情もある。
私が愛する人は、英雄だから。
世界が不安定であるほど、人々は英雄を求め、英雄に多くの子を望む。
辺境都市の領主家ですらそうだ。
アレンさんは私を奪われることを警戒していたけれど、あの場においては嫡男の方がついでであって、本命はおそらく娘の方。
理由はもちろん、英雄の血を取り込むため。
無理強いはしないにしても、興味を持てば儲けものという程度の考えは、領主様の頭の片隅に必ずあったはずだ。
望まぬ女を押し付けて素直に受け入れる性格ではないと、誰もが理解している。
だからこそ、英雄の子を産める胎を減らすような真似は、私以外の誰もが望まない。
すでに懐に入り込んでいる彼女たちを排除することは、誰からも歓迎されない。
無理に強行すれば、私を邪魔に思う誰かによって排除される可能性すら存在する。
下手人の最有力候補が彼の屋敷を管理する妖精となれば、とても防ぎきれたものではない。
一体、いつまで家妖精を続けるつもりなのか。
フロルさんの考えは、出会ってしばらく経った今でも全く理解できないけれど。
いずれにせよ、私は独占欲を押し隠し、彼が望む女を演じ続けることを受け入れた。
醜く足掻いた結果が失敗に終わった以上、それを全うすべきだと理解している。
それでも――――胸の奥から湧き上がる溜息を抑えることは、容易ではなかった。
「ルル、戻ってきませんね。どうしたんでしょうか……?」
「戦闘が始まった様子はありません。足の速いルルが逃げそこなうとも思えませんが……」
二人が視線で私の判断を仰ぐ。
不安そうにしながらも表情に幾ばくかの余裕があるのは、斥候が戻ってこないという事実が意味するところを正しく理解できていないからだろう。
(さて、困りましたね……)
魔力感知には自信がある。
環境の変化によって無視できない狂いが生じていなければ、自身の感覚を頼りに進むこともできたのだけれど。
本来ここに居たはずのパーティに加え、新人とはいえ更に斥候が所在不明となった現状、無策で村に踏み込むのは危険が大きい。
一方で、仲間を置いて撤退することを二人の少女が許容できるとは思えない。
安否の確認すらしないとなれば、なおのこと。
「……仕方ありません、私たちも探索を始めます。二人は遮蔽物に身を隠しながら、慎重に進んでください」
「「はい!」」
それが当然と考えていることがよくわかる、元気な返事。
湧き上がる不安を押し隠し、私は村へと足を進めた。




